87.手紙と回想

「中に文字が書いてあったのか。読めるか?」

 アルバートに尋ねられ、萌香は曖昧に頷く。

 萌香が紙を開いたことに気をとられていたのか、二人は萌香が驚いたことには気づいてないようだ。


 ――えりもえか。平仮名だけど私の名前よね? 偶然?


 手書きで独特の癖がある文字だが、間違いなく日本語だ。

 エムーアの文字のように、無意識に日本語だと思い込んでいる可能性も考えて気を付けてみたが、間違いない。

「すみません。ちょっと集中しますね」

 静かにしていてほしいという意味を込めてそう言うと、萌香はゆっくりその手紙を目で追った。


 ***


えりもえか様


 この手紙がきっとあなたに届くことを信じてここにしたためます。

 私の名前は支倉はせくら詩織。あなたとは違う次元の人間です。

 とは言え、今のもえかさんには意味が通じないかもしれません。

 私がどうしてあなたを知っているのか。それも不思議に思っていることでしょう。

 でも今は時間がないので簡単に用件だけ書きます。


 私は今、次元の谷にいます。正式な名前ではありません。便宜上そう呼んでいる場所です。

 ここは色々な世界や時間の落とし穴のような、混とんとした世界です。

 私はそこに同じように落ちた人たちと一緒に、外への脱出を試みています。


 ここは色々なものがねじれているので、もえかさんのいるところとは時間の流れも違うと思います。それでも今手紙を書いているこの場所のように、外とつながりやすい場所がところどころにあります。

 一緒にいる仲間が言うには、テレビゲームで言うセーブポイントのような場所じゃないかと言ってますが、意味が通じるでしょうか?


 そこでもえかさんにお願いがあります。

 一番そちらと繋がりの強い場所に私たちがたどり着いたとき、私たちを引き上げる手伝いをしていただきたいのです。不躾なのは承知してますが、今お願いできるのは、一番近くにいるもえかさん、あなただけなのです。


 時間はそちらの暦で十二月になると思います(ちなみに私にとっては八月です)。


 今後ももえかさんに呼びかけを続けます。私たちが「光の糸」と呼んでいる糸を送り続けます。

 どうか気付いてもらえますように。

 何らかのツールを媒体とすると、糸を送受信する疲労は激減します。もし適切な媒体を持ってると助かるのですが。


 きっと意味が分からないでしょう。でもお願いするしかないのです。

 あなたにこの願いが届くことを信じています。


 支倉詩織


 *** 


 手紙を何度も読み直す。

 よくよく注意して見れば、この詩織と言う女性は、かなり急いでこれを書いたのだろうと気づく。でもこれは自分に宛てたものだ――そう確信すると、半分呆然としながらも妙に納得する部分があった。

 彼女がなぜ萌香のことを知っているのかは分からない。でも時々聞こえるような気がしていた声の正体がわかってホッとした。偶然と片付けるにはあまりにもタイミングが合いすぎているからだ。

 どこか近しいような親しみを感じる柔らかい声。

 そのせいか嫌悪感や恐怖は一切なく、萌香はもっとよく聞きたいとさえ思っていた。


 多分、王宮で見えたのは、この詩織たちのことで間違いないだろう。

 南西のエアーリアから北東のバーディアまでを結ぶような何か。そこに迷い込んだ何かがいると感じたことは間違いない。

 詩織の言う「光の糸」は、「竜の糸」と関係があるのだろうか?

 送受信とあるから、メールのようなものかもしれない。

 もしメールのように、何らかの方法でメッセージのやり取りが出来たら? そう思うと不思議な高揚感が全身を駆け巡る。

 未知のものに対する不思議なワクワク感と、助けを求められていることへの責任感。そのすべてに全身の神経がピンと張りつめるような気がした。


 ――力を使ってみてみればもっと色々確信が持てるかもしれない。

 ふとそう考えたものの、仕事前に疲れるわけにはいかないので、こぶしを握って我慢した。


 何度も詩織の手紙に視線を戻し、このまま二人に話そうか悩む。

 これが自分に関係のない話なら見たままを話せるのに、内容が内容だけに躊躇する。

 こちらを見るパウルとアルバートを交互に見て、まだ心の整理がつかないまま他の紙も見てみたが、あとのものは何が書かれているのか分からなかった。英語に近いような文字もあったけれど、多分英語ではない。手書きで癖が強いだけかもしれないが、多分違う。


 ――どうしよう。


 もう一度顔をあげるとアルバートだけが目に飛び込んできて、一瞬世界に二人しかいないような錯覚に陥る。一度瞬きをして周りを見回すと、いつのまにかパウルが消えていた。


「パウルさんは?」

「用事があって、さっき出て行ったよ。しばらくすれば戻ってくる」

「そうですか。いつの間に」

 全く気付かなかった。

「ずいぶん集中していたみたいだな。眉間にしわが寄ってた」

 人差し指で萌香の眉間をつつき、アルバートが伺うような表情でこちらを見る。そのままじっと見つめられて落ち着かなくなり、萌香は視線をさまよわせた。


 二人きりになるのはいつぶりだろう。王宮で謁見の後以来?

 そんなことを思い出しかけ、慌てて記憶を抑え込む。

 だめだめ。あれは考えちゃだめなやつだ。忘れろ、忘れろー。


 急に落ち着かなくなった萌香にアルバートは軽く噴き出した後、我慢できなくなったのかクツクツ笑い始めてしまった。

「なんで笑うんですか?」

「いや。お前が急に赤くなったり青くなったりするから」

 あまりにも面白そうに言われ、そこで初めて、自分がまったくポーカーフェイスが出来ていなかったことに気づいた。

 思わず両手で顔を覆ったあと、指のあいだからチラリとアルバートを見る。頬杖をついてこちらを見る目があまりに甘やかで呆然とした。それは今まで見たこともない眼差しで、心臓が途端に暴れだす。


 ――え、なんで?


 今まで生きてきて、自分をそんな風に見る人なんて一人もいなかった。だから見間違いかもしれない。いや、間違いなく見間違いだ!

 思い切って手を放して顔をあげると、彼の表情はまだ面白そうにしてはいるものの、甘さが消えていてほっと息をつく。


 ――よかった。やっぱり見間違いだった。こんな幻覚を見るとか、はずかしすぎる。


 萌香は心の中でパタパタ手を振って、一気に上がった熱と衝撃を冷ます。

 自分が見たのは、彼がこの品々に興味を持ってワクワクしている表情だったに違いない。アルバートが運んできたアウトランダーの物らしきもの。



 考えてみれば鈴蘭邸でもそんなことがあった。

 萌香の車をワクワクした表情で隅々まで見ていたし、中から出てくる私物の一つ一つに目を輝かせていた。それは付き合いの長いトムから見ても珍しい反応だったらしく、なにやら面白そうにしていたのが印象に残っている。

 アルバートは萌香の話に耳を傾け質問し、萌香の疑問にも丁寧に答えてくれた。

 その中で彼に「どうして調査員になったんですか?」と聞いてみたことがある。


 その質問をしたとき、たまたま二人きりだったからだろうか。アルバートは一瞬目を丸くした後、子どものようにクシャリと笑った。それは彼が初めて見せた無防備かつ無邪気な表情で、萌香の目と心に、光りながら何かが落ちていくようにくっきりと焼き付いた。


「自分たちが考えるよりも、広い世界を見たかったんだよ」

「広い世界」

「こことは違うどこか。蜃気楼の向こう。外から来るアウトランダー。知らないことに触れたり知ったりするのは心躍る作業じゃないか」

 目をキラキラさせながら一気にそう言った後、他に誰もいないことを確認したアルバートは「内緒だぞ?」と言った。

 それは子どもっぽくて恥ずかしい。まるでそう思ってるようだったので、後日、ほかに誰もいないタイミングを見計らい、今度は「普段あまり笑わないのはなぜですか?」と聞いてみた。

 彼は萌香と二人だと、相当な笑い上戸だ。なのに、親友であるトムの前でも澄ましていることが多い。それがとても不思議だった。


 だが今度の質問の答えはなかなか聞けなかった。

 のらりくらりとかわされてしまうのだ。

 それでもラピュータに行く二日ほど前。トムたちと酒を飲んで気分がよくなったのだろう。トムがメラニーを部屋に送っている間にポツリと語ってくれた。

「笑うと、子どもっぽいからな」

「そうですか?」

 首をかしげる萌香にアルバートが苦笑する。ローティーンの頃、ある女の子からそう言われたらしい。その女の子は年上のクールな男性に熱をあげていたこともあるだろう。笑ったり夢の話をしたりするアルバートに冷たい目を向け、「子どもね」と言い捨てたというのだ。


「ひどい……! 好きなことを楽しいと思ったり笑ったりすることの何が悪いの? 子どもっぽくてもいいじゃないですか。そんなの気にしちゃだめですよ。前にも言いましたけど、アルバートさんは笑ったほうが絶対ぜーったい素敵です!」

 憤慨して当時のアルバートに変わってプンプン怒る萌香に、彼は面白そうにしながら手を伸ばし、クシャッと優しく萌香の頭を撫でた。

「ありがとな?」


 その表情に、アルバートはその女の子のことが好きだったのだと気づく。

 もしかしたら初恋だったのかもしれない。

 同情したのだろうか。アルバートの表情と声に胸の奥がキリッと痛んだ。

 次の朝の様子から、彼はこの話を覚えてないように思う。ふりかもしれないけれど、それでいいと萌香は思った。



 そんなことを思い出しつつ、何事もなかったように、次に箱を確かめていった。


 大きさは手のひらサイズから、大きなものでも靴を買ったときに入っている箱程度の大きさだ。素材は紙、木、それから金属のようなものと様々で七つある。

「中は元々空なんですか?」

 中くらいの大きさの箱を開けると、中は黒い布張りのようになっているが、品物は見当たらない。ただ、残された四角形の窪みから元は板状のものが収められていただろうことが予想できた。


 アルバートに質問しながらも、次に手のひらより大きな箱を手に取る。すると彼が「それが中に入ってたものだよ」と教えてくれた。

「薄い箱……でしょうか」

 素材は金属だろうか。箱というより手帳に近いような気がする。

「こうすると開くらしい」

 アルバートが側面の一部を横に滑らせるとパカッとあっさり開く。それは三つ折りになった、タブレットやスマホのように見えた。

「お前のスマホに似てないか?」

 アルバートの言葉にコクリと頷く。

「エムーアのタブレットにも似てますね」

「タブレットは折り畳めないけどな」

「そうなんですね。うーん、ここが起動ボタンかな」

 片側の画面の一部にあったボタンを長押ししてみたものの、予想したとおり電源は入らない。充電が必要だと思うのだが、コードも、そして充電器をさすであろう窪みも見当たらなかった。


「スマホやパソコンに近いような気がするんですけど、充電が必要だと思います」

「充電?」


 ちょうどパウルが戻ってきて、そう言いながら椅子に座る。


「タブレットみたいなものだと思うんですけど、このままだとただの板ですね」

「そうなのか」

 ジーッと三人で三つ折りタブレットを見つめる。

 エムーアのタブレットなら、歯車とチューブに流れる水で半永久的に動くという。でもこのタブレットには歯車やチューブは見当たらない。

 萌歌の知ってるどちらにも当てはまらないものだった。

 ふと、カイの顔が思い浮かぶ。


「カイさんは、どうやってスマホの充電をしてたんだろう……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る