十三.守護獣との再戦[前]


 一昨夜から、何度も繰り返しシミュレーションした。

 負けるつもりはないが、勝てる気もしない。自分は人族と戦う術を教え込まれはしたけれど、猛獣や幻獣と戦ったことはほとんどないのだ。

 上着の裏ポケットに入れておいた鍵を思い直して取り出し、鎖を通して首に掛ける。こうしておけば、たとえ衣服や身体を引き裂かれても、首を噛みきられない限り奪われずに済むだろう。


 ここユヴィラの森には『聖域』がある。その影響により危険な野獣や魔物が少ないらしい、というのは学者たちの仮説だが、村の伝承からロッシェが連想したのは植物の精霊王ユグドラシルの存在だった。

 その点についてはセロアも同意見らしい。

 一般には知られていないが、ユグドラシルは、生者が住まう地上と魂が眠る地奥とをつなぐ〝黄泉路ヘイディロード〟をつかさどる。彼女に道を開いてもらえれば、すでに転生の眠りについてしまった魂でさえも呼び起こし、地上へ連れ帰ることができるのだ。

 蘇生魔法リザレクションを扱える高位術者さえいれば、死者を生き返らせることも可能になる。

 そしてもう一つ伝承で示唆しさされているのは、高位精霊ラヴェールの存在だ。

 ラヴェールは〝奇跡〟をつかさどる精霊であり、それには当然蘇生魔法リザレクションも含まれる。それらを考え合わせれば、ユヴィラの聖域におもむく理由もおのずと知れてくるわけだ。


 これほど高位の精霊がそろい踏みしていれば、害意のある生き物を寄せつけないのも理解できる。だから、子どもたちを連れてこの森を進むことには不安はない。

 問題はここの先、結界で閉ざされた森の最深部に入る時だ。聖域へと到る道は恐らく【迷宮ラビリンス】の魔法で隠されている。この鍵は恐らく、結界を抜ける資格証明のような物なのだろう。

 結界へと踏み込む際にも効力を表すアイテムならば、その瞬間に守護獣は鍵の存在を知覚することになるはずだ。


「おそらく、この先でしょうね」


 手元の地図に目を落とし、セロアがつぶやく。彼は諸国漫遊がライフワークなのか、こんな辺境の地図までしっかり持っていたりするから驚きだ。

 きっと一生の間に大陸全土を回り尽くしてしまうに違いない、と関係のないことが頭に浮かぶのは、この先待ち受ける恐怖を誤魔化ごまかそうとする心理状態のせいだろうか。


「大丈夫ですか? ロッシェさん」


 振り向いたセロアが、静かに問うた。おそらく自分は今ひどい顔をしていて、虚勢きょせいを張っても彼やルベルには見抜かれてしまうに違いない。

 けれど、結局、他に方法を見出すことはできなかった。


「ああ、大丈夫さ。先生こそ、ルベルを頼むよ」

勿論もちろんです」


 こんなところで死ぬつもりはない。けれど。

 どんな行動を選択すれば最善の結果が得られるのか、解らないまま、ここに辿たどりついてしまった。

 セロア、ルベル、ルティリス、リトの順で境界を越える。足元に敷き詰められているのは湿った落ち葉のみ、目に見えるしるべなどどこにもありはしないけれど。


 意を決し、踏み越えた、その瞬間。

 胸元にじわりとした熱を感じ、思わず服の上から鍵を押さえる。布越しでさえ解る淡い発光は、鍵が確かにその効果を現している証明だ。


「……来る」


 湿気しけて冷えた森の空気を震わせる、音。茂みの草葉を散らし、落ち葉を踏みしだいて近づいてくる。

 数歩進み出て三日月刀シミターを抜き、ロッシェは紺碧こんぺきの双眸をわずかに細めた。


「守護獣か?」


 確かめるようなリトの声。

 ロッシェがうなずくと、彼はルティリスをかばうように前に立った。


「先生、ルベルを連れて隠れてくれるかな」


 声が震えていたかもしれない。娘に気づかれないことを祈りつつ、セロアがうなずくのを視界の片隅で確認する。

 茂みをかき分けるように、赤金の獣が姿を現した。金に輝く鷲の頭と、緋い獅子の身体。左翼を切り落とされ右だけになった金翼を持ち上げて、怒りに燃える両眼でこちらを睨み据える、炎の守護獣・フェリオヴァード。


『やはり此処ここへ来たか』


 腹に響くような声が脳裏へと直接届く。途端、リトの後ろにかばわれ震えていたルティリスが、かくんと座り込んでしまった。


「ルティ?」

「ルティちゃん!」


 リトとルベル、同時に駆け寄るが、ルティリスは両眼に涙を溜めて嫌々するように頭を振っている。ルベルがぎゅっと抱きしめたが、すぐに泣きやむのは無理そうだ。

 予想しなかった訳ではないが非常に不味い。獣の瞳が後方へ向くのを阻むため、ロッシェはさらに一歩進み出、親指で自分の胸元を指し示して言った。


「あんたの探し物は、これだろう?」

如何いかにも。貴様をほふって奪い返してやろう』


 不穏な宣言と、鷲の喉から漏れ出る唸り声に、ともすればもたげそうな恐怖心を精神力でねじ伏せる。

 守護獣がほっするのは奪われた宝物と、奪った罪人の命だ。だから自分がここから離れれば、ルティリスやルベルに危害が及ぶことは確実にない。


「ああ、やってみたまえよ。不格好な片翼で空も飛べない癖に」

『貴様!』


 使い古された挑発でも、効果があったようだ。

 獣が身を低くし攻撃態勢になったのを確認し、ロッシェは身をひるがえす。自分の中で本能が警鐘を鳴らしているのは解っていたが、今はあえて気づかぬ振りをする。


 少しでも障害物のある所を。灌木かんぼくの群がり絡まる間をすり抜け這松はいまつの陰へ回り込んだ所で、頭上に影が踊った。すんでで立ち止まるが、降ってきた獣に行く手をふさがれてしまい、ロッシェは小さく舌打ちをする。

 やはり素早い。

 結局、逃げ回ったところで獣の足にはかなわないのだ。背中を向けて隙を見せるより、いくらでも反撃した方が勝機を見出せる、の、かもしれないが。


『地上を人間ヒトなど、飛ばずとも捕えられる』


 じりじりと間合いを詰めつつ獣が言い、そして跳んだ。かわしきれない勢いを察し咄嗟とっさに剣でくちばしを弾く。

 キィンと派手な音が響き、震動で腕がしびれた。柄を握る指に力を込めるが、続け様に襲うくちばしを止めるだけで精一杯で、反撃できない。

 獣の前足が持ち上がる。マズイ、と思った次の瞬間振り下ろされた獅子の爪が肩を引き裂き、思わず悲鳴をかみ殺すが、隙を与えてしまった。

 巨躯きょくに勢いよく体当たりされ、すべもなくまたも地面に押さえつけられる。


「う、っぐぅ」


 胸をす怪力に呼吸がままならない。躊躇ためらいもなく喉を狙い打ち下ろされるくちばしを、かろうじて剣で受けた、途端――鋭い金属音と共に刃が根元から折れた。

 思わず喉をかばった右腕に激しい痛みを感じ、こらえきれずに悲鳴が漏れる。

 そういえば、と不意に思い出した。鷲はかぎ爪で獲物を捕らえ、押さえつけながらくちばしで引き裂き飲み込むのだという。

 であれば今、獣は、ロッシェを食おうとしたのだ。


『口程にもないな』


 あざけるように見下ろす獣を、痛みで朦朧もうろうとなりかかる意識をつなぎ止めながら睨み返す。

 死ぬつもりなどない。

 それでも、この状況をひっくり返すだけの有効策をまだ、見つけられない。





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