四.繋がれた狼


 この世界には、創世の時代より六つの種族がある。

 ルティリスは獣人族ナーウェアと呼ばれる、身体の一部に獣の特徴を持つ種族の狐の部族ウェアフォックスで、ロッシェは人間族フェルヴァーだ。そしてリトは魔族ジェマと呼ばれる、とがった耳と長寿を持つ魔術に長けた種族だった。


 魔術に関してはほぼ素人のルティリスには、リトの魔術技量レベルがどの程度なのか解らない。それでも、魔法語ルーンひとつでロッシェの傷をふさぎ、一瞬で森から屋内へ三人を転移させるというのは、すごいことに思えた。

 それでも失血のせいか傷が存外深かったのか、ロッシェの傷は治癒魔法だけでは十分に治らず、リトが呼んだらしい医者が往診に来てくれた。

 外傷だけでなく骨折もあったので、手当てをし鎮痛剤を打ってロッシェが眠ったのを確認してから医者は帰っていった。その間ずっとリトは姿を見せなかったが、ルティリスは眠る気分になれず、ベッドのそばに座ったままぼんやりと付き添いをしていた。


 夜中、熱が出たのかロッシェは少しうなされたようだった。ルベル、と言う名を二回ほど聞き取れたので、きっと待ち合わせていたという相手なのだろうと思った。




 布のこすれる音が耳をくすぐり、ふっと意識が覚醒する。

 早朝に差し掛かる少し前の時刻、自分はいつの間にか眠りのふちへと沈み込んでいたようだ。ぼうっとする頭で目を開け、ロッシェが寝かされているベッドにうつぶしていたと気づく。

 乱れた髪を手で払いながら頭を上げ見れば、ロッシェは目を覚ましていた。夜とほとんど変わらぬ姿勢で横になったまま、何をするでもなく天井を見つめている。

 声を掛けるべきか迷っている内に、彼はゆっくりとこちらへ瞳を向けた。


「ロッシェさん」


 薄明るい部屋の中、紺碧こんぺきの双眸がわずかに細められたのが解る。それが笑顔だと、遅れて気づく。彼が今陥っている状況は自分が招いたものであると痛感して、申し訳なさと後悔が胸をふさぐ。


「ごめんなさい、わたしがあの時、鍵を捨てていれば……」


 くだんの鍵は今はリトが持っている。何か必要な細工をしなくてはいけないらしいが、その説明を聞いてもルティリスには難しくて記憶できなかった。


「優しい人だと思ってたのに、こんな、酷いことをするなんてっ」


 ロッシェは治癒魔法を掛けてもらった時に、逃げられないようかせを付けられた。今は布団の下で見えないが、医者の治療を受けていた時にルティリスはそれを見てしまい、そして忘れられない。

 自分がリトのいいつけを守ろうとしてロッシェの言葉を聞き入れなかったせいで、ロッシェは大怪我をした上こんな場所に拘束されている。何か悪いことをしたわけではなく、むしろ親切心から関わってくれたのに、待ち合わせの約束も果たせずに。


「ごめんなさい」


 魔族ジェマだけれど優しい人なんだと思った。見ずしらずの人だけど、悪い人とは思えなかった。

 自分にできることで助けになれるのなら、頑張ろうと思ったのに。

 こんな、酷いことをする人だなんて。


 どんな説明をしても言い訳にしかならない気がして、謝る以外に何も言えず、膝の上でこぶしを握りしめうつむいてしまったルティリスを、ロッシェは黙って見る。

 瞳をさまよわせて部屋を一瞥いちべつし、他に誰もいないのを確認してからゆっくり上体を起こした。その動作につられるように、ちゃり、と微かな金属音が聞こえる。

 左の肩と腕は骨折のため動かせず、動く方の右手を伸ばそうとすれば手枷てかせの鎖に制限され、足枷あしかせのため足も自由には動かせず。自分の置かれた現状を一通り確認してから、ロッシェは自嘲気味にくすりと笑った。


「なんだこれ。ずいぶんと厳戒じゃないか」


 その言葉にますます縮こまるルティリスの方に、ロッシェは再度右手を伸ばそうとして、そしてあきらめる。代わりに手招きをした。恐る恐る近づくルティリスの頭にロッシェは右手をのせ、ぽんぽんと叩くように撫でる。


「心配ないさ。僕はもう大丈夫だし、彼はそれほど悪い人物ではないよ」


 泣き出しそうなオレンジの瞳と下がりきった狐の耳が何より彼女の心境を代弁している。だからロッシェは返事を待たずに言葉を続けた。


「彼自身が言ったとおり、リスクを冒してまで僕を助ける理由なんてない。僕は彼の目的を阻止しようとしたし、余計な事に感づいてしまった。だから、あの場で殺すか少なくとも放置しておく方が彼にとっては好都合だったはずさ」


 少なくともあの場で、リトは絶対的に優位だった。

 さすがの自分も一応死を覚悟した、というのは、今は言わないでおくが。


「でも、彼はわざわざ僕を連れ帰って手当てをし、牢ではなくまともな部屋に置いてくれている。だから、僕も今の所はこの扱いに甘んじてやることにするよ」

「……ロッシェさんは、怒ってないんですか?」


 恐る恐るルティリスが尋ねると、ロッシェは一度瞬いてからうなずいた。


「怒ってはいないよ。でも、君は自分を責めてるだろう。僕が怒っていないことが、不安なのかい?」


 傷の痛みも手錠の不快さもあるだろうに、それを微塵みじんも顔に出さずロッシェは淡々と話している。自分に心配を掛けないようにするため、無理をしているのではないかという不安はぬぐえない。そしてやはりそれも見抜かれているようだ。

 どう返答すべきか迷いながらロッシェを見返せば、彼はまた自嘲気味に笑った。


「そりゃあ、平気と言えば嘘だけど。待ち合わせすっぽかしちゃったから向こうは今頃ご立腹だろうしさ、困ったなぁって思ってるけど」


 紺碧こんぺきの双眸に優しげな笑みが宿る。表情に乏しいロッシェの顔が、それだけでずいぶん幼げな印象になった。本当に狐とか狼に似ている、と思ってしまう。


「ルティリスは、どうして鍵を預かったんだい? 彼は見ず知らずの魔族ジェマだったんだろう」


 問われて考える。優しそうな人だと思った。ご飯を一緒していろんな話をして、いい人だと思った。だから、協力して欲しいと言われて力になりたいと思った。


「リトさん、閉じこめられている精霊を自由にしてあげたいんだって、だから、わたしにできることがあれば頑張ろうって思ったんです。リトさんにも精霊さんにも、笑って欲しくて」


 思い付くまま言葉に乗せたら、不意に悲しくなって涙がこぼれた。

 みんなが幸せになれればいいと思った。だれにも不快な思いなんてさせたくないのに、――リトの冷たく怒った横顔が忘れられない。

 またも自己嫌悪に沈みそうになったところで、急にぐいと頭を引き寄せられた。そのままロッシェの胸に顔をうずめる形で抱きしめられ、子どもみたいに頭を撫でられる。


「僕も同じだ」


 低い声が耳をくすぐった。


「僕も、君の困ってる様子を見て、何とかしてやりたいと思ったから、関わることを決めたのさ。面倒事を予測しなかった訳じゃないけど、放っておけなかった」


 抑揚よくようが少なく優しい声が、ルティリスの不安をゆっくり鎮めていく。


「自分で決めて、その上で巻き込まれた面倒くらい、僕は自分で何とかできる。だから君も、自分がなぜ関わりたいと思ったのか、その時の気持ちを忘れちゃいけないよ」


 ゆっくり語られる一言一言と、規則正しい心音を聞きながら、ルティリスは黙って目を閉じた。ロッシェの所作しょさは幼い子どもに対する時のようで、まるで父に慰められているような錯覚を覚える。


「それに君は、無力なお嬢様ではないんだから。彼が本当に悪い奴だったり、君をだましていたのなら、遠慮なく殴ってやればいいじゃないか。……できるだろう?」


 笑うような口調で問い掛けられ、ルティリスの口元にも思わず笑みが上った。


「はい」


 そういえば、襲撃者をたったひとりで撃退したことが、ロッシェと出会った切っ掛けだった。簡単で当然なことなのに、言われるまで全然思い付かなかったのはどうしてだろう。

 自分を包む腕がゆるめられたのを感じる。顔を上げてロッシェを見れば、彼は不敵な笑みを浮かべてルティリスに言った。


「さて。僕はもう一眠りしようと思うんだけど、このままじゃちょいと具合が悪くてね。ルティリス、肩の固定具を外すのに手を貸してくれないか」

「えっ、ロッシェさん……骨が折れてるのに外しちゃ駄目ですよ」


 驚いて聞き返すと、子どもみたいに彼はにこりと笑った。


「大丈夫。治った」

「…………もしかしてロッシェさん、魔法」


 他に考えられず、でも信じられないという顔で尋ねたら、ロッシェはあっさりうなずいた。


「でも、リトさんは傷をふさぐしかできなかったのに」

「僕は精霊の干渉を受けにくい体質でさ。大抵の魔法は僕には効かないんだ。だから、この程度でも干渉を成功させられる彼はすごいよ。きっと、精霊に愛されているんだろう」


 真顔で話すロッシェの説明は、ルティリスにはいまいち理解できなかった。ただ、精霊に愛されているという表現に心が温かくなる。


「僕自身も一応魔法は使えるんだけど、発動率がすこぶる悪くてね。でも今日は、うまくいったみたいだ。だから、もう怪我は心配ないよ」

「はい、解りました」


 彼がいつの間に魔法を発動させたのかわからなかったが、本人が心配ないというのならきっと大丈夫なのだろう。であれば、幾らかでも自由で楽な姿勢で眠れるようにしてあげたい。

 ロッシェの技量について、実のところルティリスはほとんど知らないままだ。それでも、甘んじてやるという言葉に込められているのはただの負け惜しみではないと、なんとなく解ってきた気がした。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る