星刻の鍵

羽鳥(眞城白歌)

序.狐の少女と黒衣の魔族


 快晴の空に、春めいた風の匂い。

 森の小道を抜けて降りた街は昼前の活気にあふれ、ルティリスは軽い足取りで通りを散策しながら、今日のお昼ご飯を考えていた。

 金毛の長くふさふさしたしっぽと、同じ色の大きな獣耳。つり目がちの両眼は明るいオレンジで、幼さを残す顔立ちは彼女がまだ少女の域にあることを物語る。


 彼女はユヴィラの森にある狐の部族ウェアフォックスの村に住む獣人族ナーウェアで、時々こんなふうに街へ出て来るのが楽しみの一つだった。森と街は徒歩で三十分程度と近く、村にはない色々な物品と店であふれている。まだ子どものルティリスにとって街は好奇心を刺激し、満たしてくれる格好の遊び場だった。

 村長である父が言うことには、ユヴィラの森は精霊が非常に多く、魔獣がほとんどいないらしい。森は豊かで獣や魚もたくさん住んでおり、それに隣接するこの宿場町も治安が良いという理由から、この街にだけは一人で行くのを許可されている。

 本当はもっと遠くへ足を伸ばし色々な街を見てみたいという気持ちもあるが、今の所はここでの散策だけでも十分に楽しめるので不満はなかった。


 朝早くに起きて歩いてきたからか、昼前だというのに胃が空腹感を訴えている。ルティリスは行きつけの小さな食堂に入ると、空いている席に座ってメニューを開いた。

 美味しそうなメニューのリストを眺めていたら、きゅるるるとお腹が鳴った。誰が聞いているわけでもないけれど、思わず手を当てる。そうしたら、くすくすと頭上から笑い声が降ってきた。


「……?」


 つられるように見上げた視界、口元に手を当て笑いを堪える男性の姿が目に映る。

 全身に黒い衣服をまとった、黒髪黒目の見知らぬ魔族ジェマだった。つった双眸を和ませ、自分を見ている。

 ほやんとその様子を見つめていたら、彼は自然な所作でルティリスの向かいに座り、笑顔でじっと彼女を見返して、口を開いた。


獣人族ナーウェアのお嬢さん、今からご飯かい?」

「あ、はい。これから注文しようと思ってました」


 覚えのない人なのにすごく親しげなのは何だろう。空いている席はまだあるのに、相席しちゃうなんて、一緒にご飯を食べるつもりなんだろうか。

 頭の中に疑問符ハテナを巡らせながらメニューを握りしめていたら、彼が話しかけてきた。


「何にするんだい?」


 ぴくんと耳が跳ねる。メニューの陰から顔を出し、上目遣いに向かいの魔族ジェマをちょっと観察してみた。

 優しい笑顔と、自分を眺める穏やかな瞳。怖い人では、ない気がする。


「ええと、このエビとイカ墨のパスタにしようかなぁと思ってます」


 どきどきしながら答えたら、彼は嬉しそうに言った。


「じゃあ、俺も」

「え?」


 反射的に、つい聞き返してしまう。彼はにこにこ笑いながら、念を押すように言い直した。


「俺にも同じものを頼んでくれないかな?」

「あ、はい!」


 その笑顔に圧されてつい、ルティリスはそれに応じてしまった。嬉しそうににっこり笑う黒衣の魔族ジェマの分もパスタをオーダーし、料理を待つ間、再び彼が話しかけてくる。


「俺の名前はリトというんだけど、君は?」

「えと、ルティリスです」

「そっか、いい名前だね」


 優しい声で褒められて胸の奥がほわんと暖かくなった。両親がくれた、大切な名前。自分でもお気に入りだけど、誰かに気に入って貰えるのはすごく嬉しい。

 無意識に頬が緩み、緊張が解けてゆく。ちょうどそこへ料理が運ばれてきたので、自然な流れで二人は一緒に食事をしながら会話を続けることになった。


 ルティリスはよく知らなかったが、村があるユヴィラの森は〝ティスティル〟という大きな帝国の一部らしい。そこは魔族ジェマの女王様が治める魔族ジェマの国だが、他種族であっても入国したり居住したり出来るのだと、リトは説明してくれた。

 女王陛下は黒髪で可愛らしいお姿をしているんだとか、帝都には大きな学園があって魔法科学の研究も盛んに行なわれており、この街では考えられないほど面白い物や美しい物があふれていて、見ていて飽きないのだとか。

 リト本人が帝都に住んでいるらしく、彼の話は具体的で面白かった。すっかり引き込まれて夢中になってしまい、気づけばいつの間にか時刻が午後へと傾いていた。


「そろそろ、帰らなくてはいけないね」

「……そうですね」


 不意と顔を上げたリトが壁時計を確認し、呟く。頷いたものの心残りな気持ちが胸にわだかまり、ルティリスはじっとリトを見た。

 たまたま相席になって食事を共にしただけだ。ここで別れたらもう会うこともないのだろうか。それも何だか寂しい気がした。

 リトが請求書を手に取り、席を立つ。その行動の意図に気づいて慌てて立とうとするルティリスを、穏やかな黒い瞳が制する。


「楽しい時間を過ごさせてもらったお礼に、ここは俺におごらせてくれないかな?」

「あ、ありがとうございます」


 慣れた動作が大人の余裕を感じさせる。カウンターで会計を済ませ戻ってきたリトは、長衣を羽織ろうとしたが、ふと思い出したように手を止めた。


「ところでルティ、近いうちに帝都に来てみないかい」

「え?」


 愛用のリュックを背負って帰り支度をしようとしていたところに、突然意外な誘いをかけられ、ルティリスは動きを止めてリトを見る。彼が席に座り直し促すように自分を見たので、彼女ももう一度座り直した。

 す、とリトがテーブルの上に手を伸ばし、ルティリスの手を取った。その接触にどきんと心臓が跳ね、思わず彼を見返す。穏やかに自分を見る黒い瞳は新月の夜空に似て、どこか底知れない深さを感じた。


「預かって欲しいものがあるんだ」


 彼が指をルティリスのてのひらに絡める。小さな何かを滑らすように押し込まれ、握らせられた。触感で感じる形状は、鍵に似ている気がする。


「これは、何ですか」


 渡された所作から、人の目に触れないようにという意図がうかがえる。

 ぎゅっとてのひらを握り込み、ルティリスは声をひそめてリトに尋ねた。秘密めいた空気に心臓が熱を帯びてゆく。


「これは、閉じこめられている精霊を自由にしてあげるための鍵なんだ。とある人から俺が頼まれたんだけど、この鍵は俺には使えなくて」


 悲しそうに瞳を曇らせ、リトが言う。それがどんな事情なのか解らなかったが、ルティリスは何だか自分の胸も締めつけられるようで悲しくなる。


「これは、誰なら使えるんですか?」

「うん。俺も、この鍵が選ぶ相手を探していたんだけど」


 柔らかな笑みが口元に上る。かぶせられたままの彼の両手に力がこもり、優しくルティリスの手を握った。


「鍵は、君を選んでいるんだ」


 どんな顔をしていいか解らず、ルティリスはただ呆気にとられてリトを見つめる。

 自分はまだ子どもで、精霊や魔法についての知識もそれほどない一介の狩人見習いだ。それなのに〝鍵が選んでいる〟って、どういう事なのだろう。


「わたしなら、使えるんですか?」


 理解が追いつかないまま聞き返せば、彼は嬉しそうににこりと笑んだ。


「そうなんだ。だから、君に協力を頼みたいんだよ、ルティ」


 降って湧いた重大使命に、ルティリスの心臓が高鳴る。無意識にぎゅっと鍵を握りしめ、リトを見つめてこくりと頷いた。

 どんな精霊なのかは解らないけど、閉じこめられているなんて、可哀想だ。

 きっと、冷たくて寂しいところに閉じこめられているに違いない。そう思うと、胸が痛くなってくる。

 自分に出来ることがあるのなら、何とかして自由にしてあげたい。


「わたしは、何をすればいいですか?」


 漠然とした不安を期待感が凌駕りょうがし、ルティリスはリトにそう尋ねた。リトはほっとしたように笑い、それから声をひそささやく。


「ありがとう。ルティ、俺はその鍵の件でまだやらなければいけないことがあるんだ。だから三日後に、帝都の図書館で落ち合おう。……そこまで来れるかい?」

「はい! 村に戻れば地図もあるし、きっと大丈夫です」


 帝都に行くためにはまず両親に許可を貰わなくてはいけないが、こんな重大使命があると聞けば、きっと二人とも協力してくれるに違いない。そう思ったルティリスだったが、リトは神妙な顔で口元に手を当て考え込んだ。


「どうしたんですか?」


 自分の言動で何か機嫌を損ねてしまったのだろうか。少し不安になり、首を傾げて尋ねれば、彼は真剣な瞳を上げて口を開いた。


「これは特別な、とても大切な鍵だから、なくさないように大切にしておいてね。それと、誰かに聞かれても、絶対に話さないように。誰に何と言われても絶対に渡さないように。……出来るかい?」


 深淵に飲み込まれそうな、真剣な瞳だった。鋭ささえ感じるその闇色に、ルティリスは息を詰めてただ頷く。

 この鍵については誰にも、両親や兄にも話せない。であれば、帝都に行きたいと話して理由を問い詰められるより、この足でまっすぐ向かってしまった方がいいかもしれない。


「はい」


 リトの真剣さに応えたくて、ルティリスは唇を引き結んで頷いた。リトの表情が、穏やかで優しいいつもの笑顔に戻る。


「ありがとう。ルティ、君の幸運を願っているよ」





 遠のく後ろ姿に手を振りながら、ルティリスは心中で決意を固める。

 帝都の図書館へ行ってリトと会うまで、この鍵のことは誰にも話さないし、肌身離さず持っておく。これはとても、大切なものだから。

 鍵に紐を通し首から提げて衣服の中へ仕舞い込むと、ルティリスはリュックを背負い直した。ここから帝都まで、まずは経路と交通手段を考えなくては。


 初めてのことばかりで不安もあるが、ルティリスはわくわくしていた。

 この出逢いが、今までとこれからの人生を大きく変えることになると、この時はまだ気づいていなかったけれど。





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