プロローグ
「
サッカー部の部室内。時刻は午後十時。
「もう
外から
こんな時間まで私たちが学校に残っているのには、一応それなりの理由がある。
「仲良くしようよ、
「いっ……
……助けてください。
苦手な先輩と、部室に閉じ込められました。
キーンコーンカーンコーン……。
終わりのチャイムが鳴る。ううん、むしろ、始まりの音が。
私、
放課後を告げる音に
うらやましい……。このまま家に帰れる人たち、みんな。
「こらー、何やってんの、梨子。
クラスメイトで友達の
痛くもないのにそこを
「だって、部活行きたくない……」
「入らなきゃよかったじゃん」
「それは言わないで……」
友理奈の
「悪い、
「あっ、だ、大丈夫……です」
至近
縮こまってしまった私を見て、友理奈がため息をひとつ。
「よくそれで、サッカー部のマネージャーやろうとか思ったよね」
それを説明するには、二ヶ月前の四月に
桜の花びらが
幼なじみの
私は……とても困っていた。
「ねー……、やっぱり私行くのやめるよ……」
「なんだよ、ここまで来て。どうせ、このまま家に帰るだけだって言ったじゃん。部活見学くらい付き合えって」
「だって、サッカー部でしょ? 男子しかいないんでしょ?」
「
中学までずっとサッカー部だった知宏が、もちろん高校でもサッカー部へ行こうというのは当然のことだと思う。
人見知りで、まだまだクラスに
「知ってるでしょ、私が男子苦手だって」
問題は、これ。
昔から男子を目の前にすると
成長するにつれ、ますます意識してしまうようになり、それはどんどん悪化していった。
「別に、
「そうだけど……」
練習に参加しなくても、女子はそもそも選手になれないんだから、見学者だって男子ばかりなんじゃないのかと思うんだけど。
そしたら、結局は男子の近くでサッカーを見なくてはいけないわけで。
「俺とは普通に喋るくせに」
生まれた時から近所に住んでいて、母親同士が親友。そんな
そんな、性別も意識する前から一緒にいた知宏は、もはや別々に住んでいる
「知宏は特別。幼なじみだし今さら。クラスも一緒でよかったよ……。他に誰も知り合いいなかったしさ」
「……ふーん? 特別なんだ? 俺って」
「何ニヤニヤしてんの?」
人が困ってるのに。と、
歩きながら話していたら、いつの間にかサッカー部が練習しているグラウンドに
予想していたのは、男子ばかりの練習風景に、入部希望の一年生男子たち。だけど、グラウンドのフェンスの向こう側で見学しているのは女子ばかりで。
「あれっ、女の子しかいないんだね……」
なんだ、思ってたのと
「中学の時も、結構こういう感じだったけど」
「そうなの?」
「お前、俺の部活見に来たこと、一回もなかったもんな」
「うん、サッカー興味なかったから」
男子しかいないと分かっていて、わざわざそこに飛び込んでいくなんて自殺
「あっそ」と、人知れず
「きゃーっ! 浅野くんすごーい!」
「さすがー! かっこいいー!」
その声に反射的に視線を向けると、グラウンドではひとりの男子がドリブルをしながら、次々と敵チームのメンバーをスルスルと追い
まるでボールが体の一部にでもなっているかのように、立ちはだかる障害をものともしない。
それは、サッカーをよく知らない私ですら、
──
周りの音が、消えたような気がした。
最後にシュートを決めた
他に何も見えない。何も聞こえない。
景色が、スローモーションになる。
初めての感覚に、その場から動くことが出来ない。
「浅野くーん!」
「きゃー!」
目が合いそうになったその時。ホイッスルの音と共に、歓声が耳を
ゴールを決めた男子は、
なんか……イメージと違う。チャラい……。
さっきのは見間違いだったのかと思うほどに。
「こら、浅野くん集合だよ!」
「はいはい」
浅野くんと呼ばれたその人は、マネージャーの女子に手招きをされて
「あー、もう行っちゃったぁ」
「しょうがないよ、
「まぁねー、あの人が相手じゃねぇ」
先ほどまでキャーキャーと
マネージャーの人は、澪さんっていうんだ。綺麗な人……。
ストレートの長い黒髪を後頭部で一本に束ねていて、風が
スタイルも良くて、街で会ったら芸能人か何かと間違えてしまいそうなほどに。
部員が
あ、先生に
付き合ってるのかな。まぁ、私には関係ないことだけど……。
「ねぇ、あなたたち、もしかして入部希望とか?」
「え? わあ!?」
もう少ししたら帰ろうかななんて考えていた時。フェンスを
び、びっくりした……。終わったんだ、顧問の先生の話。
「あ、はい、俺は中学でもサッカー部だったんで」
「そうなんだ。良かったら、練習参加してみない?」
「え、でも
「そんなことないよ、
「
「知宏くんね。私、二年の
知宏が澪さんと話し始める。
澪さん……じゃなくて、二年生だから澪
一年違うだけでこんなに大人っぽくなれるものかな。
……いや、私じゃ来年になってもきっと無理。
自分の、セミロングの髪の毛をつまんでみる。髪を
知宏もグラウンドに入るみたいだし、私は帰──
「あなたも、よかったらどう?」
「……え?」
明らかに私に向けられた澪先輩の
「いえ、私、女なのでサッカーは……」
「うん。だからね、マネージャーやってみない?」
「はい?」
マネージャー? サッカー部の? え、何でいきなり?
もう一度グラウンドを見る。男子ばかり。……うん、当たり前。
「い、いえいえいえ! そんな! 無理……っ」
顔の前で手をブンブン振って断ろうとすると、澪先輩はパンッと手を合わせた。
「お願い、困ってるの! マネージャーってね、今私ひとりしかいなくて。すっごく大変なの」
「いえ、あの、私じゃなくても、なんかマネージャーになりたそうな人いっぱいそこにいるような……」
こんな、今初めてサッカー部を見に来ただけの私を
「だめなの、あの子たちじゃ。浅野くんにキャーキャー言うだけで仕事しないし、部の
と言うことは、すでにあの中の何人かをマネージャーにした後だということで。
「あ、そうだ、あの、でも、私、サッカー全然分からないし」
「
「えっ、ええ!? な、何でそんなに私を……」
「だって、あなたなら」
と、澪先輩はなぜか知宏をチラッと見る。
今までだんまりを決め込んでいた知宏が、澪先輩の気持ちを
「いいじゃん、梨子。やってみれば? 入りたい部活もないって言ってたじゃん」
「えっ、ちょ、知宏……!」
私が男子苦手だって知ってるくせに!
「そうなんだぁ~、ちょうどいいねっ」
じゃ、ないです!
澪先輩が両手を組んで
近くで見ると、本当に綺麗。
……って、
助けを求めたくてグラウンドに目を向けると、
その中には、もちろん浅野さんの姿もあって。
一瞬。気のせいかと思うほど、ほんの一瞬。
……目が、合った。
「大丈夫だって。俺もいるんだから」
どっちの味方なんだか分からない知宏のアシストが、私をまたその場所に
澪先輩が不安そうに「だめ?」と
……負けた。
「分かりました……。やります、マネージャー」
「見たかったなぁ~、澪先輩の全力
帰宅部の友理奈は帰り
「あとで聞いたんだけどね、私と知宏が付き合ってるんだと思ったからなんだって。すでに彼氏がいる子なら、浅野先輩に騒がないだろう、って」
「あー……、そうだね。あたしも最初は、梨子は知宏くんと付き合ってるんだと思ってたよ」
「違うよ、幼なじみ」
付き合っていないし、だからといって浅野先輩に騒ぐつもりもない。
だって、私はあの人のことが……。
「でもいいじゃーん、サッカー部。あの浅野先輩でしょ? イケメンがサッカーとかやばいよね。そんなん、好きになるよね~。うらやましいよ」
「ないよ、ありえない。好きになんてならない」
強めの私の否定に、友理奈がキョトンとする。そして、すぐに
「そうだね~。澪先輩の彼氏だもんねぇ。ふたりとも
「じゃなくて……」
誰かの彼氏だとか、私自身が男子が苦手だとか、そんな理由以前の問題がある。
「あれ? 梨子、行かねーの? 部活。お前、いつももっと早く行くじゃん」
「え?」
いつからそこにいたのか、知宏にそんな
「こんな時間!」
友理奈にのんびりと「いってらっしゃーい」と見送られ、私は知宏と教室を飛び出した。
「へぇー? ふたり仲良く
笑っているけど笑顔じゃない。いつもヘラヘラしている人ではあるけれど、その辺の違いは区別がつく。
サッカー部の練習グラウンドに最後に
遅れてしまったのは事実だから、反論は出来ないけれど……。
知宏ひとりだけだったのなら、きっと
私が、
「こら、浅野くーん。後輩いじめるのは禁止だよ」
何も言えずに、知宏と一緒に
「知宏くんは、今日は先生に呼び出されてるから少し遅れますって、ちゃんと前もって
「あ、いえ、そういうわけじゃ……」
ここで否定するよりも、そういうことにしておいた方が後々
私は反論するのをやめて、頭を下げた。
「……すいません」
「いいんだよー。梨子ちゃん、いつも誰よりも早くきてくれるんだから、今日一日くらい」
笑顔で
「梨子ちゃんて、最初からずっと知宏にべったりだったもんね」
浅野先輩が、にっこり笑って
──浅野先輩は、私にだけ意地悪だ。
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