第28話 希望の世界9 空吸い再び
マヤの眼前に龍の牙が迫った瞬間、えぬは咄嗟にスカートに付いていたブー太のブローチに手を伸ばしていた。なぜそうしたのかはえぬ自身もわからなかった。自分の行動を、思考を超えた動作であり、自分の体とは思えないような素早い動きだった。
握られたブローチは逆回転した掃除機のように何かを勢いよく吐き出した。空に浮かんだのはえぬの見覚えのあるものだった。
「空吸いだ」
空も海も、身体も心でさえも吸い取ってしまう巨大な渦。それが再び現れた。
気づけば、龍は尾の方からモザイクのようにばらばらになり吸い込まれ始めている。しかし、渦の世界でえぬたちを襲ったそれと違って、吸い込んでいるのは龍だけである。
やがて、龍の腹まで空吸いに飲み込まれ始めた。えぬの頭の中には、ブー太の言った「今度は僕が助けるから」という言葉がよぎっていた。「こういうことか」と一人合点した。
悲鳴のような、地響きのような唸り声をあげて龍は空吸いの中へと消えたいった。同時に、空吸いも小さくなり、跡形もなく消えていった。
「ありがとうブー太」
えぬは小さく呟いて豚の鼻の形のブローチを撫でた。
ホルプの街の人々は一部始終を呆気にとられたように見ていたが、龍を退治したのがえぬだとわかるとすぐに駆け寄ってきた。えぬは人々の間でもみくちゃにされた。感謝の言葉に賛辞の言葉。えぬは悪い気がしなかった。
マヤがゆっくりと近づいてきた。
「だから言ったでしょう。何とかなるって」
その他人行儀な言い方にえぬはまた少しむっとした。こっちは大変な思いをしていたのに。何とかしたのは、わたし。
「えぬ。あなたはこの街の希望。胸をはってそう言えるのよ」
「わたしが希望?」
「ええ、人々に生きる活力を与える存在。あなたがいれば、この先同じようなことがあっても何とかなる。あなたのおかげで街の人々は恐怖にしばられなくてすむの」
急に重たい話になった、とえぬは思った。
「それは困るよ。わたしはいずれこの街を出なくてはいけないの。それに、希望として讃えられるのは嬉しいけど、次に同じようなことが起きてもどうにかできる自信もない」
そう言ってえぬはスカートに付いた豚の鼻のブローチを眺めた。色が失われて白黒になっている。おそらく、もう空吸いは使えないんじゃないか。直感でそう感じた。
「わたしは、希望の存在であり続けることはできない」
えぬがそうはっきり言うと、人々の様子が変わった。急にしんと静まり返り、無表情になった。
人々の代弁者のように、マヤが前に出てきた。
「そう。残念ね。でも、この街のために、あなたは必要。これで、考えを変えてもらえるかしら」
マヤは右手にもった紫色の花をえぬに向けた。妖しい、香りがした。
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