第28話 謎を呼ぶ謎(後編)
「あっ、みんなおかえり! さっき結界が急に途切れたんだけど、無事だった!?」
「は、はい。まぁ一応」
学校に戻りいつもの制服に着替えた後、先ほど別れた保健室で僕たちを出迎えたのは奥村先輩だ。壁際の机の上にノートパソコンを広げており若干取り乱していた様子だったが、僕らが戻ったのを確認すると表情を緩ませた。
「よかったぁー。なんか街中の魔力の揺らぎが突然検知できなくなってね、これはちょっと只事じゃないかなって思って。何せ今までこんなことなかったから」
「魔力が検知できなくなったって……いったい何が起こったんですか?」
「いや、私に聞かれても分からないよそんなの。ずっと保健室にいたし。実際に見た九条くんたちの方が事情は詳しいでしょ」
「え、そう言われても……」
僕は奥村先輩に大まかな状況を伝えた。直径十数メートルも地面に穿たれた大穴、言葉を流暢に話す若い男の姿をした狼のイレイズ、そしてイレイズが見せた白い石のような物体のこと。
一通りの話を聞いた後、先輩は訝しむような表情で口を開いた。
「うーん……まだ断定はできないけど、そのイレイズが見せた物は魔鐘塊の一部の可能性が高いね」
「一部、ですか?」
「私も動いている実物を見たことあるわけじゃないから実際のところは詳しくないけど、街中を覆うだけの結界を開かせるためには魔鐘塊だけじゃなく、それを接続する機械も必要なの。でも私が昔見せられたことのあるものは、もっともっと凄い大きさだった」
「はぁ……」
魔鐘塊がこの街の地下に埋まっているという話を聞いた時からそうだろうなという予感はしていた。細かい仕組みについては説明されても分からないので先輩が言うならそうなんだろうと思うことにする。
「インターネットで例えるなら、私たちのプロメテが普段使うスマホとかパソコンで、地下の魔鐘塊がモデム、接続している機械がルーターみたいなものだね。結界の展開はプロメテから魔鐘塊を通して本部に申請して行うから、その中継地点で異常が発生したら本部にちゃんと電波が届かないの」
円がよく分かるような分からないような注釈を入れた。機械とか工学みたいな理系の分野は昔から大の苦手なのだ。
魔鐘塊が敵に奪われたのは理解したが、問題はこれが今後の僕たちの活動にどのくらい影響するかである。
「そうなると、やっぱりもう開けないんでしょうか。結界」
結界の中は一秒を数万倍に引き伸ばしているらしく、その中でないとビショップは注入した魔力を維持させられないそうだ。つまり結界を張れない限り、僕たちは戦う手段を失うことに等しい。
「魔鐘塊が埋まってるのは一箇所だけじゃないから全く開けないってことはないけど、街全体の魔力の濃度がかなり薄くなっているわね。恐らく今日みたいに短時間で結界が強制的に解除されたり結界の大きさがかなり狭くなるかも」
「短時間……」
奥村先輩の見解に円が考え込むような仕草を見せた。
体感ではあるが、あの時円が魔鐘結界を開いてから狼のイレイズと接敵し強制解除されるまで10分もなかったように思う。今までのイレイズと戦ってきた時間と比べると、あまりにも短い。
「すまないな。俺も間に合っていれば、少しは役に立てたと思うんだが」
保健室の隅の掃除用具入れの中から長谷川の声がした。流石にいるだろうなと思っていたので今さら驚かなくなったが、部室の外ぐらいきちんと姿を見せられないものだろうか。状況によっては変質者と間違われかねない。
「……いえ、私たちが着いた時には敵の目的は既に達成していたみたいですし、どの道逃げられていたと思います。それに、敵は始めから私たちを攻撃する意思がなかった……」
円が長谷川のフォローをするが、常にイレイズに敵意を燃やしている彼女らしからぬ発言だと僕は思った。だが、その思い詰めたような表情からすぐに円の心情を察した。
あの狼のイレイズが今の自分たちで対処できる相手じゃないことは、実際に戦った彼女が一番肌で感じていただろう。少しでも向こうが殺す気であったなら、僕や円はもちろん長谷川も無事では済まなかったに違いない。
「あのさぁ〜、お取込み中悪いんだけど」
重い空気に包まれて数秒後、誰かが保健室の扉を勢いよく開いた。
「そろそろ保健室閉めるから、みんな帰ってくれないかな? 土曜だし早く帰りたいのよこっちも」
そこにいたのは身長が少し高くぼさぼさの髪が特徴の女性教師、養護教諭の西先生だった。茶色の上着からどことなく漂うヤニ臭さから、さっきまで喫煙所にいたのだろう。
「あちゃー、先生も来ちゃったことだし今日は解散しよっか。芥先生には私の方から連絡しとくから」
奥村先輩の合図で僕たちはぞろぞろと保健室から出ていった。ロッカーに潜伏していた長谷川も奥村先輩に引きずり出される。
「おぉい、そこの寝てる女子。あんたもさっさと出るんだよ。帰れ帰れ!」
「ふがっ!?」
西先生がベッドで寝かせられていた謎の少女……須賀あさひを乱暴に叩き起こす。すっかり熟睡していたのだろう、あさひは気の抜けた悲鳴を上げてベッドから転がり落ちた。具合悪くて休んでいるかもしれない人に対してなんて対応だ。
「ネトゲだか何の話だか知らないけど、遊んでばっかりいないで学生は帰って勉強しなさい。テスト近いんでしょ?」
落ちた時にぶつけた膝をさすりながら出ていくあさひと出入口手前で待つ僕たちを交互に見て西先生がぶっきらぼうに言い放った。
「んっん〜〜〜〜寝た……あれ、さっきより人増えてる? みんなってどういう集まり?」
廊下に締め出された僕たちの中で、事情を把握していないあさひがどこか場違いな質問を投げかける。当然だが彼女は部外者なのでみだりに口外はできない。
「ま、いっか。私も帰ろっと」
しかし返答が無くとも特に気にする様子もなく、小さく欠伸をするあさひ。記憶喪失と言う割に元気そうだ。
「……九条くん」
「先輩?」
学校を出る時、奥村先輩が後ろから僕の背中をちょいちょいと指で軽く突いてきた。振り返ると、普段の彼女らしからぬ真面目な顔つきで僕の目を真っ直ぐ見ている。
「あの須賀あさひって人、気を付けて」
「気を付けて……ってどういうことですか?」
意味を理解できず聞き返す僕に、奥村先輩は何か言いあぐねている様子だった。屋上であさひを発見してからというものの、彼女に対しての先輩の反応はずっと妙だ。
「……ううん、やっぱりいいや。私も確信が持てているわけじゃないし」
「は、はぁ……」
奥村先輩は結局最後まで話すことなく正門前で僕たちと別れた。
時刻は17時を回った夕暮れ時、僕と円の帰るいつもの通学路に、今日は謎の女子生徒の須賀あさひもいる。普段は道中でお喋りしたりもするのだが、完全に知らない人が混じっているので円は若干気まずそうにしていた。
「ねぇねぇ2人ってさ、いつも一緒に帰ってるの? 高校生にしては仲いいよね。あ、私2年の須賀あさひ。せっかくだから名前教えてよ」
「あ、1年の沢灘円……です。えっと、いっちゃん……九条くんとはただの幼馴染で」
「ふーん円ちゃんって言うんだ。いいなー青春してるって感じ」
初対面で反応に困る円を前にぐいぐい距離を詰めるあさひ。人当たりが良く誰とでも仲良くなれる円も向こうから距離を詰められるのには慣れていないらしい。
「あのさ、つかぬことを聞くけどもしかして円ちゃんと九条くんって付き合ってたりする?」
「えっ!?」
急にデリカシー皆無の発言が飛んで僕は前を歩く2人の後ろで変な声を上げた。
「いえ……本当にただの幼馴染です。同じ部活で一緒に朝走ったりしたりはしますけど。そういう関係じゃないですから」
(……はぁ)
眉ひとつ動かさずきっぱりと否定され僕は心の中で落胆した。分かりきっていたことではあるが、少しぐらい動揺してほしかったなと思う自分自身にも嫌気が差す。それにしても今日知り合ったばかりでいきなり聞いてくるこの人もどうなんだろう。
「なんだそっかー、お似合いっぽいのに。君たち見てるとさ、なんか良い詞が浮かぶような気がしてくるんだよね」
「詞…… ですか?」
「そ、私ギターやっててね、自分で曲作って歌ったりするのが趣味なんだ。部活でバンド組んでてね、しかもメインボーカルなの」
その後も歩きながら円とあさひのお喋りは続いた。僕は後ろから2人の会話を聞いているだけなのだが、こうして見ると格好こそボロボロなもののあさひも普通の女子生徒にしか見えない。
奥村先輩がさっき僕に何を言いかけたのか……それだけが頭の片隅に引っかかっていた。
「じゃあ、私の家ここなので。いっちゃん、また月曜日ね」
「あ……うん」
気付けば円のマンションの前まで来ていたようだ。彼女は僕に小さく手を振るとオートロックの扉を開けて入っていった。
「あれ、そういえばあさひさんって家どこなんですか?」
「ん? ああ、もう少し歩いたとこだよ。この坂下って信号右曲がったとこ」
二人きりになったタイミングで、僕は今さらすぎる疑問を尋ねた。当たり前のように一緒の帰り道を来ているが、記憶喪失なのに自分の家が分かるのか。
それにそのルートは僕の住むアパートとも同じだ。ここまで道が被ることも珍しい。
(……ん?)
歩いている道中、ポケットの中でスマホの音が鳴った。画面を見てみるとメールが一件。差出人は円。
『ごめんごめん。「ただの幼馴染」じゃなかったね。いっちゃんは私の「ライバル」だから』
どうやら円はさっき咄嗟に出た一言を気にしていたようだった。常に気配りができる彼女らしいフォローであるが、こういうところは鈍感だなと思わなくもない。嬉しいか嬉しくないかと聞かれたらもちろん嬉しいが。
「私の家、ここだよ。ここの102号室」
「え……こ、ここって……」
あさひが指さした建物は築30年の若干古めかしい2階建てのアパート。名前は『メゾン・ド・パラダイス』、そこは僕の住んでいるアパートでもあった。ちなみに僕の部屋番号は101号室である。
「あ、あさひさんうちの隣に住んでたんですか……? というか、102号室って……」
「えっ、隣ってどういうこと? もしかして九条くんの家もここなの?」
僕の言葉の意味が分かっていないのか、あさひが不思議そうに首を傾げる。
記憶が正しければ、102号室は今は誰も借りていないはずだった。表札には名前のプレートは付いていないし、今まで暮らしていて隣の部屋から物音がしたことも一度もない。
「……ありゃ、鍵がないや。困ったなぁ、どこかで落としちゃったかも」
制服の上着のポケットをしばらくまさぐった後、インターホンを鳴らすあさひ。だが、当然反応はない。
「お母さーん! お父さーん! いないのー!?」
数回鳴らした後、痺れを切らしたあさひがドンドンと扉を叩き呼びかけるもののやはりその声に返ってくるものはなかった。
「あ、あの……あさひさん。102号室って、昔から空き部屋ですよ? どこかと家間違えてませんか?」
「…………え?」
僕の言葉にあさひは信じられないといった表情でこちらを見た。目の前の現実を受け入れられないのか、彼女の顔色はどんどん青ざめていく。
「そ、そんなはずないよ。建物の名前だって合ってるし、私生まれた時からずっとここに住んでるんだよ? 変な冗談はやめてよ……」
言葉だけでも精一杯強がるあさひ。だがその声は誰が聞いても明らかに震えていた。
「スマホは……バッテリー切れだ。ごめん、親に電話したいから九条くんのスマホちょっと借りていい?」
「えっ、いい……ですけど」
その剣幕から流石に無碍にもできず、僕はあさひにスマホを差し出した。彼女は焦るようにそれを受け取り、番号をタップする。
「…………ぇ……」
スマホを耳に当てて数秒後、あさひは声にならない声を上げてその場にへなへなと崩れ落ちた。貸したスマホからは微かにだが「お掛けになった番号は現在使われておりません」の案内音声が聞こえたような気がした。
「なんで、どうなってるの……お母さん、お父さん、どこ行っちゃったの……?」
ぼろぼろと涙を流し、うわ言のように呟くあさひ。「どうなってるの」とはこっちも言いたいところだが、言い出せる空気じゃなかった。
(なんなんだ、この人……)
誰も気付かない間に屋上にボロボロの格好で倒れていて、奥村先輩でも全く知らない室星の生徒で、そして誰もいないはずの部屋に住んでいると言う。だが、僕には彼女の反応が悪戯や演技であるようにはどうしても思えなかった。
「……あの、てかさ。九条くん」
少し落ち着いたのか、泣き止んだあさひがこちらを見つめ、口を開いた。今の表情は悲しみや絶望と言うよりは困惑に近い。
「なんで九条くんがうちの隣に住んでるの? そこって、いつきちゃんの家でしょ?」
「……………………は?」
全く予想しない言葉に僕は素っ頓狂な声を上げた。
101号室が「いつきちゃん」の家? 僕も生まれた時からずっとこのアパートに住んでいたが?
いよいよもって、僕も意味が分からなくなった。
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