第177話
ティパモール共和国。
その地下。
フィアットは通路を歩いていた。
背後に立っていたのは、彼の秘書であるクライムである。
「……クライム、僕がいったいどこへ向かうか、解るかい?」
無言のまま俯くクライム。
フィアットはそのまま何も答えないまま、ただ進んでいく。
地下通路は壁にパイプが敷き詰められており、明らかに異質な空間だった。
この様なものが地下にあるとは――幾ら彼の秘書であるクライムですら、知らなかった。
「フィアット様、ここはいったい何なのでしょうか?」
彼の機嫌を損ねないように、丁寧に言った。
フィアットは笑みを浮かべ、
「この通路は始まりであり終わりへと繋がる通路だよ。時はついに満ちた。チャプターが僕以外シリーズに駆逐されてしまったのは非常に残念な話だが……これさえ完成してしまえば何の問題も無い。未だここから形勢の逆転は大いに可能だ」
そう答えた。
独り言にも似たその言葉に、クライムは俯いただけだった。
フィアットはそれを否とせず、ただ歩く。
クライムもそれに着いていく。
「……人間がしてはいけないこと、それは何だと思う?」
「宗教によると思いますが」
「ティパ教も法王庁も変わらない。人間がしてはいけないこと、答えてみろ」
「ええと……、人間を作ってはいけない、ことでしたか?」
「そうだ。正規の方法……男と女がまぐわって出来るという方法、それでしか人を作ってはならない――そう言っている。だが、考えてみろ。どうして人間がそれ以外の方法で人間を作ってはいけないのか? 既に人間の構成成分は解析されている。物質さえ集めれば、容易に人間を作ることさえ可能だ」
「倫理観を崩壊させないためでしょう。現にその方法では一定確率の失敗が含まれています。非常に残念な話ですが……身篭ったあとも、子供は生まれないケースもあるのです。それが、物質を集めて作るともなれば変わってしまう。それこそ、ロボットと同じように」
「ロボット、か。確かにそれも考えられるな。……だが、実際は違う」
フィアットは立ち止まった。
そこにあったのは巨大な扉だった。扉には翼の生えた人間が天へ昇っていくモチーフが彫られていた。
「注意しろ、そして、これから見るのは――この世界の『暗部』だ」
ギイ、という音を立てて。
思った以上に軽いその扉は、ゆっくりと開け放たれていく。
そこに広がっていたのは――壁一面に掛けられた人間だった。
どこか青白い身体の少年少女が壁一面にかけられ、目を瞑っていた。
その異様な光景に、クライムは目を疑った。
フィアットはそれを予想していたのか、鼻で笑う。
「だから言っただろう。今から見せるのは、この世界の暗部である、と」
「これは……いったい何なのでしょうか?」
「人間だ」
ぺちぺち、と壁にかけられた人間の身体を叩くフィアット。
「人間……ですが、しかし、どうして」
「言葉がうまくまとまらないようだな。まあ、仕方あるまい。これは禁忌だ。人間がやってはいけない行為そのものだからな……」
その部屋の壁には所狭しに人間――いや、人間の器が並べられていた。その数、数百人規模であった。
「……この部屋には、凡てこのような人間が?」
「ああ、未だ量産段階に入ったばかりだからね。プログラムの調整も未だ難しいところが残っているし。一番厄介なのは、メリア・ヴェンダー氏がハリー騎士団の残党とともに去ったことだ。そもそも、彼女はもともとあちら側だったのだから警戒しておけばよかったというのに、むざむざと連れていかれた。失態だよ、これは」
「メリア・ヴェンダー氏が、このプログラムを?」
「正確に言えば、人間の中身……『魂』のプログラムを開発していた」
魂。
人間の内部を構成する、唯一かつ無二の代物。
人間一人ひとりにそれぞれの魂があり、それが移動することやコピー出来ることも無い。
解析しようにも人間の器から出すのは、現時点の人間の科学力では不可能である。
だから、魂の解析なんてことは進まなかった。
「脳信号が電気信号と同一のシステムであるということを、人間は理解していながら、私たちはそれをシステム化することを出来なかった。人間の手で、人間の脳をそのまま再現することが出来なかった。……今までは、ね」
「今までは……?」
「開発できたのだよ、魂が」
「魂が、開発……とは?」
クライムは未だ言葉の意味を理解できていないようだった。
溜息を吐くフィアット。
「いいか、クライム。これは魂さえ入れなければただの肉の壁だ。木偶の坊のほうがまだ活動をするくらいに、な。けれど、魂を入れてやればこいつ一人ひとりが人間と同等の立ち位置となりうるだろう。それが何を意味しているのか、解るか?」
「……簡単に兵力を増強できる、ということですか? 人間をスカウトするのではなく、厚生物質と魂のプログラムをインストールすることで」
その言葉に頷くフィアット。
フィアットはゆっくりと歩き出し、部屋の中心にある一台のワークステーションの前で立ち止まる。ワークステーションからは幾つものケーブルが繋がっており、壁にかけられている人間モドキの方に繋がっている。恐らくではあるが、一人ひとり繋がっているのだろう――とクライムは思った。
フィアットはキーボードを使ってパスワードを打ち込む。
画面に表示されたのは、たった一言だった。
――プログラム『エリクシル』、セットアップ中。
「エリクシル、とは?」
「前時代にあった永遠を手に入れることの出来るものだ。それがどういうものであったかは、詳細に記されていないがね。ただ名称だけに限った話になるが、そのエリクシルは様々な名前で呼ばれていたらしい。そして、その中の一つに、エリクシルがあった……というだけらしいのだよ」
「エリクシル、ですか。しかしそんなものがこの世にあるとは、到底思えません」
「疑うのも無理はない。現に私もそれを知るまでは信じられなかったからな。けれど、これは事実だ。……ただ、これだけは言える。これは真実だ。私は真実しか言わないし、真実しか言っていない。それは解るだろう?」
コクリ、と頷くクライム。
フィアットはワークステーションのキーボードを使って、コマンドを打ち込み始める。
ぐいん、と少年少女の人間の器の首が、回る。
彼ら彼女たちの標的は、ほかでもないフィアットだ。
「目覚めたようだな。プログラム『エリクシル』、先ずは第一段階の終了と言えるだろう」
魂のプログラムをインストールされた少年少女たちは、ゆっくりと壁から抜けて地面に降り立つ。少年少女たちは生まれたままの姿で、フィアットの方へと向かう。
「フィアット様……!」
フィアットの危険を案じ、クライムは叫ぶ。
対して、フィアットの表情は涼しかった。
「安心したまえ、クライム。彼ら彼女らは見知っている人が居なくて、最初に目に入った私を主人として認めているだけの事。人間でもこのようなことはあるじゃないか。例えば、どちらが父親でどちらが母親か? ではないが、『自分が親だ』ということを示して、親の愛称で呼ばせるということはよくあるだろう?」
「……ほんとうに、大丈夫なのですね」
「大丈夫だ。僕を信じろ、クライム」
「あな、たの、なま、えは?」
器の一つが、無表情のまま、トーンを一定にしたまま、訊ねた。
フィアットは溜息を吐いて、全部の器に聞こえるように、言った。
「僕の名前はフィアット。君たちの主人≪マスター≫だ」
「マスター?」
うんうん、と頷くフィアット。
「そうだ。僕がマスターだ。そして君たちは僕に従わなくてはならない。解ったなら頭を垂れよ」
器たちは命じられたままに、フィアットに向けて頭を垂れる。
百幾にも及ぶ人間が、フィアットに頭を垂れている光景は、まさに圧巻だった。
「ははは……。ついに、完成したぞ! 人間を、無限に作ることが出来る! これさえあれば、死をも恐れぬ最強の軍隊を作ることが出来る!!」
「あとは、リリーファーだけですか」
クライムの言葉に、フィアットは首を傾げる。
「何を言っている、クライム? 既に完成しているぞ、リリーファーならば」
「しかし……リリーファーは未だ完成していないのでは?」
「何を言っている、クライム。既に完成しているのだよ、ヤタガラスは」
「ヤタガラスは未だ量産段階に入ったばかりのはずです! そんなことは――」
「有り得ない、って?」
フィアットの表情が歪む。
流石のクライムにもそれは恐ろしく思えた。人間がここまで恐怖に満ちた表情が出来るのか――そう思ったくらいだ。
だが、そこで彼は認識を一つ誤った。
「一つ、指摘してやろう」
人差し指を一つ立てて、フィアットは微笑む。
「忘れているのかわざとかは知らないが……僕は人間ではない。『シリーズ』に対抗するために生まれた『チャプター』という一員の一つだ。神になり損ねた存在、とでも言えばいいだろうか? いずれにせよ、まともな存在では無いということを、一度は君に伝えたはずだが? ……まあ、忘れてしまったのならば、それはそれでいいだろう。これから始まる絶望を知らずに済むのだから、ある意味幸せなのかもしれない」
「滅相もございません! ただ、突然のことで頭がいっぱいでして……」
冷や汗をかいていた。
フィアットの機嫌を損ねてはならない。それはクライムがフィアットの秘書を始めてから、彼自身定めている訓戒である。これを破ってしまうと何が起こるのか解らない。特に突発的な怒りが発生すれば――。
彼はそんな『憎悪』を思い起こしながら、ごくりと、唾を飲み込む。
「ですから、私は忘れて等は」
「解った。クライムの言いたいことは解った。だから、落ち着け。君も人間だ。このようなことを受け入れがたいと思い、そういう風に脳が判断するのだ。だから君の行動を否定するつもりもないし、受け入れるつもりだ。もちろん。それくらいの寛容な心を持ってこそ、指導者たる者と言えるだろうからな」
「ありがとうございます……」
静かに、頭を垂れるクライム。
フィアットは笑っていた。
このプログラムを搭載した器と、量産型リリーファー『ヤタガラス』。
この二つが合わさることで最強の軍隊が完成するということを。
そして、シリーズが思い描くシナリオを完全に破壊できるということを、確信していた。
「あの時はまさか月に封印されていたリリーファーが舞い戻ってくるという事態が発生するとは思わなかった。あれもシリーズの仕業だ。だが、今回は違う。今回は万全の態勢で臨む。プログラムとリリーファーが、ここまで揃うのが遅くなるとは思わなかったからな……。シリーズ、見ていろよ。お前たちの立場もこれで終わりだ。計画を完膚なき迄に潰してやる」
そして、フィアットの計画は最後の段階へ突入していく。
一つの物語が始まるように、終わりを迎えていく準備が、着々と進んでいた。
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