第169話

 通信を終えた崇人はコックピットの内部で深い溜息を吐いた。

 理由は通信だけでも(通信という顔が見えない連絡手段でさえも)彼から伝わる気だ。こちらもそれなりに力を入れていないと、あっという間に根負けしてしまう程の強い気。

 だから通信の終始、崇人は強い緊張感に襲われていた。蛇に睨まれた蛙――とでも言えばいいだろうか。崇人の世界の諺が、一番似合う状況だった。


「なんというか……やはりあのリリーファーは『特殊』ということなのだろうな」

『ええ、その通りです。彼のリリーファーは最強であり最悪。何故なら、インフィニティと同じ装備を持っているから。インフィニティと同じ装備が、インフィニティとは違う別のリリーファーに装備されていたなんて、前例がありません。全くもって、理解出来ないことです』


 予想外の事情にフロネシスも理解の範疇を超えてしまったらしい。


「たまに、フロネシスは人間なのではないかと思う時があるよ」

『そうですか?』


 画面にハテナマークを浮かべることで、疑問を示すフロネシス。

 ますます人間らしい、と崇人は思ったが、それ以上言うのは野暮だと思った彼は言うのを止めた。


「……ともかく、先ずはあのツクヨミを信じるか否か、だ。どう思う?」


 フロネシスに訊ねるが、実際の決断をするのは崇人だ。

 だからあくまでもフロネシスにするのは『相談』に過ぎない。

 あくまでも彼女は人工知能であり、人間ではないのだから。


『私はツクヨミを信じていいと考えています。理由は単純明快、その性格と言えます』

「性格? 性格がいいから、信じてもいい……と?」

『少なくとも、今はインフィニティを倒す予定など無いように思えますから。そう考えれば、その方が宜しいかと思います』


 フロネシスの言葉を聞いて崇人は頷く。

 フロネシスは単なる人工知能に過ぎない。だからこそ、参考意見を聞いたに過ぎないが――。


(その意見は完全に合致している、か……。まるで、考えていることを写し取られているようだ)

『……どうなさいましたか?』


 フロネシスの言葉を聞いて、我に返る崇人。


「いや……何でもない」

『ならば、問題ありません。大急ぎで戦闘態勢を立てなくては。こちらが何もしないでは、相手に狙われる可能性は高いですから』

「それくらい解っているさ」


 そして崇人は真っ直ぐ前を向いた。




 コルネリアからの通信が来たのは、フロネシスとの会話が終わって直ぐのことだった。


「……撤退、だと?」

『ええ、撤退よ。このまま続けていても無駄だからね。どうやら、こちらにも戦力が増えたようだけれど、それの確認も込めてね』

「何故だ! あいつらは……マーズを殺した……。殺したんだぞ!!」

『確かにそうかもしれない。けれど、今の状況を鑑みて、そう結論付けた。幾らあなたが攻撃出来るからと言って私は許可しない。隊員の全員の安全を確保することも、上司の役目だ』


 それはその通りだった。実際問題、上司は部下の安全も確保する必要がある。必要、というより義務である。だからコルネリアの考えももっともなのだが――。

 それを崇人は聞きたくなかった。従いたくなかった。マーズを殺した、国を、人を、壊したかった。


『あなたがそう思う気持ちも解る。けれどね、ここで退かないと埒が明かない。話が進まない、とでも言えばいいでしょうね』


 正論だった。

 このままでは何も進まない。何も終わらない。ただ被害を増大させるだけで終わってしまう。

 それはとても嫌だった。マーズを処刑した国が許せなかった。


『……タカト、退こう。コルネリア……だっけ? 彼女の言う通り、今はむやみやたらに進撃するべきではない』

「ゲッコウ……。君もそう言うのか」

『そう言わざるを得ないだろう。実際問題、上司の命令には従ったほうがいい。僕は未だこの星に来たばかりだから何も言えないのだけれど……。そうだとしても、先ずは命令に従ったほうがいい。この世界が君にとって「理解できない」世界なのならば、猶更』

「理解できない世界……? なぜゲッコウ、君がそれを……」

『何を話しているの、タカト! いいから急いで戻るのよ!』

「解ったよ! フロネシス、移動するぞ」


 頭を搔いて、フロネシスに指示する崇人。

 フロネシスは素直にその命令に従い、ゆっくりと動き始めた。

 それを合図に、レーヴ軍はゆっくりと動き始める。

 レーヴ軍が消えるのは――あっという間の出来事であった。




 ティパモール共和国報告書。

 今回の作戦の報告書について、形式4に記す報告書にて以下にまとめる。

 今回の作戦により、罪人タカト・オーノとの癒着が指摘されたマーズ・リッペンバーの刑を執行。月からそれまでのタイプとは異なるリリーファーがやってくるなどのアクシデントも見られたが、進軍を退けた。

 以上、報告を終える。





 レーヴアジト。

 リリーファー格納庫にインフィニティ、次いでツクヨミが格納位置に着く。

 インフィニティから崇人が降り立ち、待っていたコルネリアと対面する。

 コルネリアは崇人に近付くと、彼の身体を抱き寄せた。


「ちょ、コルネリア……! やめろ、って」

「いいじゃないか。今は私もリリーファーに乗ることは出来ない。乗る必要が無いと言えばいいかな。そうなっているからね。リリーファーに乗る君たちは素晴らしい人間なのだよ。いつかは、リリーファーに乗らなくてもいい世界が来ればいいのだけれどね……。平和な世界というのは、なかなか来ないものだよ」

「そんなことを言っていた人が、昔居たよ」


 崇人は昔のことを思い出していた。

 リリーファーの必要が無い世界を望み、テロ行為に走ったアーデルハイト。

 最終的にアーデルハイトはその行為に失敗し、自ら命を落としたのだが――。


「アーデルハイトのことだな? ……彼女は道を誤ったよ。確かに、彼女の考え方は正しいよ。起動従士、誰しも考えることだよ」

「それはそうかもしれない。けれど……」

「何だか面白そうな話をしているね」


 その言葉にコルネリアと崇人は振り返る。

 そこに立っていたのはゲッコウだった。

 こう、ゲッコウの姿をまじまじと見つめると、とても時代錯誤に思われた。

 黒のゆったりとしたローブめいた格好をしたそれは、男性だった。黒の服と対比するように、銀髪だった。特徴といえばそれだけしか無く、放っておけば消えてしまいそうな存在にも見えた。


「あなたがツクヨミの起動従士、名前は……」

「ゲッコウさ。そう呼べばいい」


 ゲッコウはそう言って、コルネリアに頷いた。


「あなたがゲッコウね」


 次いで、インフィニティとツクヨミに相対する位置に到着したスメラギ二機とベスパ・ドライ。

 そして続々とエイムス、エイミー、シズクが降り立ってきた。

 話をしたのはその中で一番早くコルネリアの場所にやってきたエイミーだった。


「ええ、僕がゲッコウです。はじめまして」

「はじめまして、私はエイミー」

「僕はエイムス」

「……私はシズク」


 お互いにお互いの簡単な自己紹介を済ませ、一礼を済ませる。


「ところで、あなたは月からやってきたらしいわね?」


 コルネリアの言葉に頷くゲッコウ。


「僕は月からこの星にやってきました。この星はいい星ですよ。まったくもって住みやすい。あ、一応言っておきますけれど、侵略に来た宇宙人とかそういう解釈では無いので」

「よくしゃべるわね……」

「それ言われますよ。僕は別にしゃべりたくてしゃべっているわけではないですけれど。どうもしゃべり足りないとかあるんですよね。実際そう思いませんか? だってしゃべり足りないってことで、もっと話しちゃうんですよ。人間には話す容量が少ないとか多いとか、人によって言われているけれど……まあ、僕は少ない方だと思うよ。だから、話す言葉も少なくなってしまう。……面白いですよねえ、人間って」

「よくしゃべるわね、本当に……」


 コルネリアは溜息を吐き、首を横に振る。


「これからこちらにお世話になります。どうか、よろしくお願いします」


 ゲッコウは頭を下げる。

 それをエイミーは不満そうに見つめていたのだが。



◇◇◇



「何よ、あのカッコウとかいうやつ! 自分出来ますオーラ出してさ!」


 休憩室に着くやいなや怒りを前に出してソファに腰掛けたのはエイミーだった。

 エイムスは冷蔵庫から牛乳を取り出して、コップに注ぐ。


「彼の名前はカッコウではなくてゲッコウだよ。まあ、実際彼の実力がどうなのか解らないけれどね……。もしかしたらとても強いのかもしれないし。それは誰にも解らないよ。まだ、見ていないからね」

「だからこそ、よ。実力を見せていないからこそ、なおさらああ自信満々に言われるとむかつくの。あなたはむかつかないわけ?」


 怒りの矛先が徐々に自分に向けられていることを実感しつつ、エイムスは少しエイミーから離れてソファに腰掛けた。


「うーん……。むかつくかむかつかないかだったら後者に入るかなあ。まだ実力が解らない以上、何も言えないよ。今の時代じゃ、実力主義になっているからね。裏を返せば、僕たちよりも強かったら僕たちは何も言えない。あのリリーファーがどれくらいの実力を持っているかも解らないし」

「ほんと、あんたってどっちつかずの人間よね……。いつになってもあんたの思いが解らないわ」

「そんなことを言われても困るよ。僕だって好きでこうしているわけではないんだから」


 エイムスは牛乳を一口。


「でも、面白い話だよね。どれくらいの実力か解らないのはまだつらいところではあるけれど、少なくとも今は頼ってもいいと思う。あのリリーファーも僕たちとは違うようだしね」

「やっぱり旧式なの?」


 それに頷くエイムス。

 エイミーは溜息を吐いた。


「結局旧式の方が使えるというわけね。何と言うか……システムの変更をしても、その程度なのね」

「それはあまりにも言い過ぎではないかい? 確かにそうなのかもしれないが、想って居ても言っちゃいけないことといいことの分別は見分けないと」

「解っているわよ、それくらい!」


 エイミーは激昂するも、すぐに冷静を取り戻す。

 頭を掻いて、俯くエイミー。


「……ごめん。あんたに怒ることでも無かった」

「いいよ。別に。僕に怒っても構わない。それを実際の任務に出してくれなければ、それだけで」

「……そういうところ、ほんとに淡白だよねえ」


 エイミーは立ち上がり、冷蔵庫へと向かうと扉を開けた。そして中に入っているコーヒー牛乳を取り出すとその場で飲み始めた。


「またラッパ飲みしているね? それはしちゃだめだ、ってコルネリアさんも言っていたでしょう」


 その言葉を聞いて、少しだけイライラしながらソファの定位置に腰掛ける。


「確かに言っていたけれどさあ……。あの人、いろいろ細かいこと多いんだよねえ。別にそこまで言わなくていいでしょ、ってこと」


 細かいことを言っているのは君だって一緒でしょ、とは言わなかった。

 何せ、今のエイミーは怒っている。不満を募らせていると言ってもいい。不満を募らせている女性に、声をかけるのは神経を使う作業である。それはエイムスがエイミーと一緒に過ごしていたところから、なんとなく理解していた。


「まあ、いいわ」


 ひょいと立ち上がり、エイミーは言った。

 エイムスはいつもと違う行動に違和感を抱き、訊ねる。


「どうしたの、エイミー。いつもらしくないじゃないか」

「いつもらしくない、って……。私がいつも落ち込んでいるように見えるわけ?」

「いいや、そういうわけじゃないよ。ただいつもより気分の切り替えが早いなあ、って」

「そりゃずっとウジウジしているわけにもいかないからね。少しくらい気分を早く切り替えたっていいでしょ」


 エイミーの言葉は尤もだった。

 彼らは常に戦場と隣り合わせである。戦場へ向かうということは、いつ死んでもおかしくない。――かつての古い歴史に残されているような、『死ぬことこそ美学』という考えとは違うわけなのだから。

 戦場へ向かい、必ず生きて帰ることが出来るという保証はない。だからこそ、彼らはこの日常を大事にするのだ。この日常を過ごすことが出来ないときは、明日訪れてもおかしくないのだから。


「エイムス、あなたはどう思うわけ?」


 空になった紙パックをゴミ箱に捨てて、エイムスに訊ねる。

 エイムスは意外という表情を浮かべそうになったが――それをすんでのところで堪えて、考え始める。


「……すぐには出てこないかなあ。取り敢えず、戦力が増えたか減ったかは彼の実力次第だと思うよ? 実際問題、それによって僕らの運命が決まると言っても過言で無いのだから」

「過言では無い……それはそうね。でも、私は気になるのよ。あのリリーファー、気にならない? だって旧式ならば、記録が残っていてもおかしくないでしょう? 空からやってきた、月からやってきたとか言うけど、どうも信用出来ない。きっと何か隠しているに違い無いわ」

「それは考え過ぎじゃないかなあ……?」


 首を傾げるエイムスだったが、エイミーはさらに話を続ける。

 こうなってしまったら、もう彼女は止まらない。


「あなたは甘いのよ。考えが甘い。私みたいにもっとスマートに、先を見据えた考え方をしなくては。あなただって起動従士なのよ? 今、レーヴの一員である以上、レーヴの全員とレーヴが匿っている人民、併せて千人程度……彼らが窮地に立たされた時、救うのは誰?」

「それは言われなくても解っている。ほかでもない、僕たちだ。起動従士である、リリーファーに乗ることが出来る僕たちだからこそ出来ること」

「解っているならば、それでいい。けれど、慢心しないことね。いくら私よりシンクロテストの数値が高いからって……」

「未だそのことを気にしていたのかい。コルネリアさんも言っていたじゃないか。リリーファーとの意思疎通に必要な『Q波』は体調によってその量が左右される、って。今日は体調がよくなかったんだよ。ほら、たとえば女子には月に一回体調が悪くなる日が」

「デリカシーを持て、この変態!!」


 エイムスが言葉を言い切る前に、彼の脇腹にキックを浴びせるエイミー。

 エイムスはその衝撃で床に崩れ落ちる。何とか先ほど飲んだ牛乳は吐かずに済んだようだったが、それでもギリギリな状況には変わりない。


「ひどいよ、エイミー。突然、蹴りを入れるなんて……」

「それはあなたがデリカシーを一つも持っていないからでしょう!? いくらなんでもその発言を麗しき乙女の前でする必要があるのかしら!!」

「エイミー……自分を麗しき乙女なんて言う人、そうなかなか居ないよ?」

「余計なお世話だ、コンチクショー!」


 エイムスが立ち上がったタイミングを見計らって二発目のキックを浴びせるエイミー。

 そのやり取りをシズクはただ昆布茶を飲みながら眺めるだけに過ぎなかった。



◇◇◇



 結局もう一発追加され三発の脇腹キックを食らったエイムスはソファに横になっていた。


「僕が悪かったのは認めるけれど、三発はやりすぎじゃないですかね」

「いいえ。順当な処罰よ。もし口答えするのならば、もう一発増やしてもよろしくてよ?」

「……エイミーさん、キャラ変わっていません?」


 エイムスは恐る恐る訊ねる。

 その時だった。

 影が出来たので、エイミーとエイムスがそちらを見ると、彼らの前にシズクが立っていた。


「どうしたのよ、急にここまで来て」


 エイミーはシズクがずっとこの部屋に居たことを知らなかったらしい。

 しかしエイムスはここに居たことが解っていたので、それについて言及することは無かった。


「……あなたたちに命令が来たから」


 シズクは無機質にそう言った。


「命令?」


 シズクの言葉を反芻するエイミー。

 エイミーの言葉にシズクは頷く。


「どういう命令なのか、誰からの命令なのか、教えてもらってもいいかな?」


 訊ねたエイムスにシズクは頷いた。

 そして、シズクはまるで目の前に紙があるかのような一本調子で、言った。


「現時刻より一時間後、『ツクヨミ』起動従士のゲッコウと『スメラギ01』起動従士のエイミー・ディクスエッジとの模擬戦を地下シミュレートセンターにて実施。それによりゲッコウの実力を量るとのこと。もしスメラギに負けるようであればそれだけの実力と見なし、レーヴからの強制脱退も考えられる、とのこと」


 それを聞いたエイミーは、思わず笑ってしまった。


「考えていることはコルネリアさんも同じ、って訳ね……」

「命令は伝えたから。私は戻るよ」


 シズクは踵を返し、休憩室を後にする。

 エイミーも立ち上がり、休憩室を後にしようとした。


「頑張れよ」


 エイムスの声が聞こえて、立ち止まった。

 エイミーは振り返ることはしなかった。


「負けるな、エイミー。君は強い、それだけ解っていればいい。自分を信じて」

「……それくらい解っているわよ。私を誰だと思っているわけ? エイミー・ディクスエッジ様よ? これくらいお茶の子さいさいよ」

「お茶の子さいさいなんて、今日日聞いたことも無いよ……。まあ、それはいいや。取り敢えず、君が頑張ってくれるならそれだけでいい。頑張ってね」

「ええ」


 そして、エイミーは休憩室を後にした。

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