第148話

「はい、それじゃこれは誰でしょうか?」


 崇人の部屋にやってきた一人の女性が、彼に鏡を見せて言った。

 崇人はそれが何なのか理解できなかったが、取り敢えずそこに映し出されている――自分の顔を見て言った。


「これは……僕の顔だ。間違いない」

「はい。その通りですね」


 そう言って女性は持っていたノートに何かを書き記した。

 シンシアと呼ばれた少女はしばらくこういう感じだった。まるで崇人を人間だと思っていないかのような扱いだった。


「……僕は何か悪いことをしてしまったのだろうか」


 崇人は呟く。

 それを聞いてシンシアの行動が停止した。

 しかしその停止した時間は、とても僅かだった。


「……これから、検査に入ります。ですので、これを装着してもらいます」


 ジャラ、と金属同士が擦れ合う音が独房に鳴り響く。

 それは手錠だった。両手の自由を奪う、一つの手段。


「これを装着すれば、今の出来事について教えてくれるのか?」

「今から検査に入り、あなたの『今』を知ることが出来ると思います。それに、あなたが置かれている現状も理解してもらわなくてはなりません」


 質問に対する解答は、少しだけずれていた。


「頼むよ、少しで構わないから教えてくれないか。今は何年で、どうして僕はここに……」

「シンシア・パロング少尉、何をしているのかしら?」


 彼女はその冷たい声を聴いて、振り返った。冷たい、と言ってももちろん意味的なものではなく、そういう風に解釈できるという意味である。

 シンシアの後ろに、白衣を着た女性が立っていた。とはいえ、白衣の中はうっすらと黒いブラジャーとパンツが見える。そして女性は白衣のポケットに手を突っ込んで、ただ崇人を睨み付けていた。

 そして彼はその人間の姿に見覚えがあった。


「申し訳ありません。現在対象に手錠をかけているところでしたので」

「時間を三分もオーバーしているのよ。少しくらい時間を守ってほしいものだけれど。私だって暇じゃないことくらい、部下であるあなたも理解しているんじゃない?」

「それは、そうですが……」

「メリア……メリアなのか?」


 彼女は崇人のその言葉に一瞬身を震わせたが、すぐに冷静を取り戻し、話を続ける。


「とにかく、私の部屋に連れていきなさい。私は待っているから。いい? 時間をかけるんじゃないわよ」

「……かしこまりました」


 そう言ってシンシアは敬礼する。

 メリアはそれを見て踵を返すと、静かに立ち去って行った。




 メリアの部屋に崇人が連れていかれたのはそれから五分後のことだった。

 医官室、と書かれたプレートを見て崇人はドアの前に立つ。

 同じく崇人の横に立っているシンシアが敬礼して、はきはきとした声で言った。


「シンシア・パロング少尉、入ります」


 返事は無かった。シンシアは持っていたカードを扉の横にあるパネルに置いた。すると電子音のあと、扉が開かれた。

 部屋は広かった。とはいえ、検査用と思われる器具がその大半を占めており、メリアが使っているスペースは僅かだった。

 彼女は上下三つ、計六つのモニターを使って何かを確認していた。そのモニター一つ一つにはそれぞれ別のデータが示されている。大量の数字が上から下へ流れているものもあれば、グラフが放置されているモニターもある。

 そしてその六つのモニターを、モニター裏にあるワークステーション及びメリアの前にあるキーボードで管理しているということだ。

 彼女は扉が開く音を聞いて、椅子を回転させる。そして、彼女とシンシア、そして崇人が対面した。


「ご苦労様、シンシア。取り敢えず対象を検査機器に入れて。……服装も着替えさせて」

「解りました」


 命令を聞いてシンシアは崇人を隣の部屋へと連れていく。

 そこは脱衣所のようだった。とはいえ大人数で使うようには設計されていないらしく、


「手錠を一回外します。ですが、ここは監視カメラが五台あり、どこからでもあなたのことを監視しています。この意味が解りますね? あなたは逃げ出すことが出来ない……ということです。ですから、素直に、この服に着替えてください」


 そう言ってシンシアが差し出したのは青い浴衣のような恰好だった。

 素直に受け取った崇人。それを見てシンシアは頷くと、手錠を外し、部屋を後にした。

 部屋を出て、大きく溜息を吐くシンシア。


「シンシア、幾らここが管轄外だからって息を抜き過ぎ。ちょっとは気を入れて」

「すいません。……でも、どうしても対象を相手にすると」


 それを聞いてメリアは頷く。


「そうよね……。それは仕方ないことね。でも、あれは……」

「解っています。あれはインフィニティが暴走した可能性があり起きたことだ、と……。でも、実際にそれを実行したのは誰ですか。インフィニティに乗り込んでいたのは誰なんですか! そもそも、インフィニティは私たち人類を救ってくれる鍵となったんじゃないんですか!」


 それを聞いてメリアは何も答えることができなかった。

 彼女の言う通り、インフィニティの起動従士が発見されたときは、『人類の救いとなる』と大きく報道していた。現にインフィニティに敵う存在など居ない――そう考えられていたからだ。

 だが、実際は違った。

 インフィニティの起動従士、タカト・オーノは起動従士としての業務をする程、精神が強くなかった。

 これは後にメリアが残した記録から明らかになっており、さらにマーズにも伝えられている。

 マーズはそれを聞いて、責任は自分にもあるのかもしれないと嘆いたが、それを批判することは彼女には出来なかった。

 何故ならメリアもまたその共犯と言われてもおかしくないためである。崇人をリリーファーシミュレータに載せたこと、そして彼のパイロット・オプションを発見したのもその時だった。彼がリリーファーとして適格という明確な証拠となり得てしまったのであった。


「……彼が着替えを終えたようね」


 メリアの言葉にシンシアは振り返る。モニターの横は硬化ガラスとなっており、検査機器のある部屋が見えるようになっている。

 メリアは手元にあったマイクを持ち、言った。


「これからあなたの検査を始めます。先ずはその機器に横たわって下さい」


 その言葉と同時にシンシアは崇人の元へ向かう。彼のサポートを行うためだ。

 崇人の元に辿り着いた彼女は、直ぐに崇人を横たわらせる。機器から突き出したベッドのようになっているスペースだ。そのスペースを支える柱はレールの上に乗っている。どうやらそれでスライドして前後に動かすようだった。

 それを見ていて、崇人が横たわったのを確認したメリアはキーボードで操作し、あるプログラムを起動した。


「それじゃ、これから検査を行います。くれぐれも動かないように」


 そしてメリアはエンターキーを押した。

 それと同時に短い電子音が機器から鳴った。ゆっくりとベッドめいたものがスライドして、トーラス型の機器へと収納されていく。そして、トーラス型のそれは地響きのような鈍い唸りを上げ始める。

 ベッドめいたもののスライドはそれがトーラス型の機器に収納されるまで続いた。そのまま数秒停止し、そしてゆっくりと逆方向にスライドを開始する。未だその状態でも機器からは唸りが聞こえていた。

 そしてベッドの位置に戻り、停止した。少しして唸りも静かになった。


「検査は終了しました。起き上がってください」


 メリアは再びマイクを通して彼に告げた。そしてその時小さく、「シンシア、お願い」と彼女だけに聞こえるよう小さく言った。

 彼女はそれを聞いて頷くと、崇人の元へ向かった。

 シンシアは崇人の隣に寄り添う形で、メリアの前にある椅子に彼を誘導した。そして彼を座らせると、メリアから少し距離を置いた位置に立った。

 メリアは先程起動したプログラムに映し出された結果を見ながら、彼と対面した。


「……血圧や心拍、その他もろもろは異常なし、か。予想通りとも言えるだろう。寧ろこうであってはならない」


 メリアはプログラムに映し出された様々な図表を見て言った。


「なぁ……教えてくれないか。どうして僕はこんな目にあっているんだ。あれからいったい何があったんだ」

「シンシア、取り敢えず対象の経過は良好だと伝えて。漸くコントロールルームも一安心するでしょう。これがあるまで戦々恐々としていたのだからね」


 メリアはわざとらしく崇人の質問には答えず、シンシアに話題を振った。

 シンシアは頷くと、医官室を後にした。


「なぁ、答えてくれよ。世界はいったいどうなってしまったんだ?」

「まぁ、私たちも一安心と言えばその通りになるわね。恐れていた事態にはならなかったのだから。まさか二回もあんなことになるなんて思いもよらずしなかったからね」

「質問に答えろよ」


 メリアはモニターを見て、呟く。


「シンシア少尉が戻ってきたら直ぐにあなたは独房に戻ってもらいます。……言っておきますが、余計な真似はしないほうがいいと思うよ? そんなことをしたら、私たちはあなたを殺さなくてはならない」

「殺す……? それっていったい!!」

「残念ながら、これ以上は言えない。あなたはこの組織の人間では無いからね。あなたはこの組織の庇護下にあり、あなたの命は私たちに握られていることを理解しなさい」


 何も、言えなかった。

 崇人は何も言うことが出来なかった。

 色々と聞きたいことがたくさんあったのに、それも凡て消し飛んでしまった。消え去ってしまった。

 今まで味方だと思っていた人間に、こうも裏切られる。

 それについて崇人は何も言えなかったし、何も考えられなかった。考えたくなかった、というのが正しいかもしれない。


「……取り敢えずあなたに装着されている我々の『保険』について説明します。一応説明しておかなくては、説明責任に問われますからね。あなたの首に保険をかけさせてあります」


 それを聞いて崇人は首筋に触れる。そこで漸く彼は首に何か装着されていることに気が付いた。

 それはリングだった。首輪とも言えばいいだろうか。人の小指よりも細いその首輪は漆黒で、少し滑らかな感触があった。


「あなたがリリーファーに乗り込んだ瞬間、その信号を読み取り、同時に自爆コードを起動します」


 それは要するに、リリーファーに乗るなということを暗に示していた。


「それっていったい……どういうことだよ。訳が解らねぇよ……!」

「シンシア・パロング、戻りました」


 崇人の叫びとシンシアが部屋に入ったのは、同時だった。

 崇人はそれを聞いて、入口の方を見た。対してシンシアは何故自分が見られているのかまったく解らなかった。


「……そうか。つまり僕は化物扱いだと言いたいのか」


 シンシアとメリアはそれについて何も言わなかった。


「インフィニティすらも化物だと思っているんだろう。何度も僕は乗って、その度にいろんなものを救ってきた……。だのに、救われている側はそれを当然の行為だと思い込み、さらにはそれが何かしてしまうとそれを害悪と見なし、要らないもの扱いする。どこの世界でもそういうことはやっぱりあるのだよな」

「シンシア、対象を独房に戻して。それと、精神が昂りつつあるから何らかの対策を取ること。いいわね?」

「了解」


 メリアの言葉にシンシアは小さく敬礼する。

 結局最後まで、崇人の言葉にメリアが反応することは無かった。それはただ、メリアが崇人のことを毛嫌いしているようにも見えた。


「はい、戻ってきました」


 手錠を外しながら、シンシアは言った。崇人が考えている間に既に彼は独房まで戻っていたのである。

 崇人は何をするのでも無く、ただシンシアの行為を眺めていたままだった。

 手錠を外したのを確認したシンシアは、そのまま立ち上がると独房を後にした。

 独房で、彼は再び一人となった。誰も居ない部屋で、誰も居ない独房は、彼には少し広すぎた。

 彼は、独房で一人涙を流した。悔しかった。悲しかった。認められたかった。消えたかった。聞きたかった。理解したかった。触れたかった。

 ……何故自分がこんな目にあってしまったのか、何故皆自分に冷たくなってしまったのか、そして、今自分が居るこの場所は何処なのか。

 崇人はそれを『知りたかった』。知った上で自分の立場を理解したかった。

 にもかかわらず、現状は冷酷だった。状況も知らされず、知っている人間は冷たく、質問をしたって答えてくれない。こんな状況でいったい、誰を信じればいいのだろうか?


「……誰も信じられるわけがない」


 彼は自問自答に結論付けた。

 彼の考えは彼にしか答えることが出来ない。それでいて、結論を見出したとしても、その結論がほんとうに正しいものなのか、彼には解らない。

 誰も信じることが出来ない。誰も信じたくない。

 そう思うのは、もはや当然のことだった。

 そして、彼は――自らの考えがまとまらないまま、逃げるように、夢の世界へと落ちていった――。




 深夜。

 コントロールルームにけたたましいサイレン音が鳴り響いた。

 呼ばれたマーズは眠気をものともせず、コントロールルームへと到着した。


「お疲れ様です」


 コントロールルームにはすでにフィアットの姿があった。マーズは頷いて、彼から話を聞く。


「どうやら、ここへ向かってくる敵の姿があったようなので」

「それだけ? ……ちなみに、ビーストではないということ?」

「ええ。反応によれば第六世代……それから進化を遂げたものだと思われます」


 『世代』と表すものを彼女は、たった一つだけ知っていた。


「今から向かってくるのは……リリーファーだということ?」


 頷くフィアット。

 この時代においてリリーファーを所有していて、かつ国境線にて反応が無いといえば、僅か一つしか浮かばない。


「レーヴ……。ここ数年頭角を現した反政府組織のことね」


 レーヴ。

 かつてこの世界にあった言語で『夢』と意味する単語であるそれは、とあるテロリスト集団の名前だった。

 リリーファーを巧みに操り、ハリー=ティパモール共和国から国民の解放を宣言している彼らは、ハリー=ティパモール共和国にとって脅威にほかならないのだった。


「ハリー=ティパモール共和国を潰そうとする悪は、たとえ小さいものでも潰すしかない。それが、この国を守る私たちの役目」


 彼女の言葉にフィアットは頷く。


「その通りです。そうでなければなりません。私たちはそうあり続ける。この国を守るためには、多少の犠牲も必要となります」

「……レーヴのリリーファーは一機だけなのかしら?」

「ええ。そのようです。一機だけなのは、ほんとうに助かりますね。何機あるか解っていない状況ですが……、何機も向かってこられては困りますからね。特に、このような深夜帯ともなれば」

「リリーファー、まっすぐに独房まで向かっています!」


 段差の下に居るオペレーターの言葉に、マーズは頷いた。


「やはり、目的はタカト・オーノか……」

「しかし彼らはどこからその情報を仕入れたのでしょうね……。私たちが手に入れたのはともかく、独房の位置まで」

「そんなことは終わってから討論することにしましょう。そんなことよりも今は……、やってくるリリーファーをどうにかしないと。とにかく、急いでブルースとリズムを出動させて」


 オペレーターはそれを聞いて頷くと、マイクに向かって言った。


「ブルース、リズムの起動従士は至急出動態勢に入れ。繰り返す、ブルースとリズムの起動従士は……」


 それを聞いてマーズはようやく席に腰掛けた。一安心、とはいかないが、ようやくここで休むことが出来る。


「敵は第七世代≪せだい≫初期版≪ベータ≫であると考えられます。第六世代の流れを汲みながらも、それとは違う新しいシステムも露見されていますから」

「成る程。……、しかしそう簡単に敵が開発出来る物なのかしらね? レーヴの科学力はせいぜい今あるリリーファーを整備するくらいだと聞いているけれど」

「そうですね。実際そうだと考えられていました。……しかし、違いました。結果として、新型のリリーファーが駆動しているのがそのいい例です」


 新型リリーファー。

 それについて彼女は理解できなかった。理解するには時間が足りな過ぎる、と言えばいいだろうか。


「新型リリーファーの性能はいまだに判明していない。それはその通りよね?」

「ええ。そのリリーファーが我々の開発しているものより性能がいいとは思えませんが……しかし油断は禁物です。実際に何があるか解ったものではありませんから」

「その通りね……。でも、そうだとしても、私たちは攻撃しなくてはならない。向かわなくてはならない。……そろそろ準備も終わった頃合い?」

「ブルース、リズム、それぞれ準備に入りました!」


 それを聞いたマーズは小さく頷いた。


「了解。エントリーシステム起動。カウントダウン開始して!」


 その言葉にオペレーターは大きく頷いて、キーボードを打鍵していく。

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