第110話

「……で、それを私に聞きに来たわけ?」


 こくこく、とマーズは頷く。誰が考えるまでもなくルミナスは怒りに満ちているように見える。

 マーズは爆弾処理班のように慎重に、かつ丁寧にルミナスに訊ねた。


「……やっぱりダメかしら?」

「ダメ、ではないんだけどね。ちょっと最近イライラしているもんで」


 あれ、この展開どこかで見たことあるぞ……?

 マーズはそう思いながら、ルミナスの話に相槌を打った。


「納期がたまりまくっているのよ。カーネルが『第六・九世代』なるものを開発してね。今度は第六世代以前の互換を完全に切ったシステムなもんだから私たちのような人間はそれに移行させるための準備に追われている……ってわけよ」

「まぁ、なんというか大変ね。第六世代が出たのって、まだそう昔のことでもないような気がするけど」

「そこが問題なのよ。第六世代が出たのは約一年前。僅か一年で次の第七世代のプロトタイプとも言えるべき、第六・九世代が登場した……これはほかの国にとっても由々しき事態であることには間違いない」


 ルミナスの言葉は重く冷たいものであった。

 第六世代まで一部互換は残されていたというのに、この第六・九世代になって互換がカットされた。これの意味することは、新たに第六・九世代用に機械を購入し、第六・九世代のリリーファーを購入し、かつ第六・九世代用の技術を学ぶ必要があるというわけだ。


「カーネルはヴァリエイブルに編入されてからヴァリエイブルに卸しているリリーファーについてお金は出していない。強いて言うなら、莫大な研究費がその代わりになっているのよね。なんというか、優遇されているというより優遇せざるを得ないんでしょうねえ。また、独立するなんて言わなければいいけど」

「流石に戦力は削いだから、今度はないと思うけど……。まあ、用心に越したことはないかもね」

「いや、それよりももっとカーネルへの処遇を良くすべきだと思うけどね……。いくらなんでも厳しくなりすぎよ。だって、今の取りまとめってシミュレートセンターが行っているんでしょう?」


 カーネルは独立騒動以後、規制が強化された。その一つが、管理権限の譲渡だ。管理権限をカーネル独自で持つのではなく、別の機関が持つシステムとしたのだ。

 そしてそのシステムに新たに組み込まれることとなったのが――シミュレートセンターだったわけだ。


「しかしまあ、メリアも大変だ。シミュレートセンターの本来の業務にそれだからな。この前の進級試験の前に行ったんだったら解るだろ。あのてんてこ舞い。あれはそういうことだ。シミュレートセンター本来の業務として存在するシミュレートマシンのメンテナンスに、第六・九世代対応にシステムを組み替えて、かつその第六・九世代の最終チェックを執り行っている。まったく、あいつはほんとうにワーカーホリックだよ。いつか働いたまま死ぬんじゃないかって思うね」

「あれはあれで彼女らしいけどね……。なんか仕事してないと死んじゃうみたいな、そんな身体をしてそうよね。魚かっつのー」

「アハハ、魚ねぇ。それは案外当たっていると思うなぁ」


 ルミナスはそう言いながら笑みを溢す。その言葉はイマイチだったのか、少しひきつったような笑顔であった。


「……まぁ、それはそれとして、さっきの話だけど……別に私は構わないわよ。ただし、まとまった時間が今のところ取れないから飛び飛びになっちゃうけどね」

「いいの?」

「技術者の卵を孵すんだからそれくらいはやらなくちゃ。びしばし鍛えるわよ」


 それを聞いてマーズは安堵した。もしダメだったらどうしようか……なんてことを考えていたからだ。ダメだった場合は彼女に涙を飲んでもらうほかなかった。そもそも、勉強させてもらえることが親の許可を得られるのか微妙なところではあるが……それはマーズが考えることではない。

 マーズの方の役目は、これで一旦終了した。

 あとは彼女が親ときちんと話し合う番だ。





 メル・ゴーファンとシルヴィア・ゴーファンは緊張で胸が張り裂けそうになっていた。

 今から話す相手は初めて会う人間だからだろうか?

 ――違う。そういう訳ではない。これから彼女たちが話をするのは彼女たちが一番良く知っている人間だ。

 スロバシュ・ゴーファン。彼女たちの父親である。かつては『世界最強の起動従士』としてその名を馳せた。今は隠居してサウザンドストリートのとある屋敷に暮らしている。


「……お父様」


 シルヴィアがそう言って扉をノックした。高く、重厚な扉だ。

 返事は直ぐにあった。

 それを見て、シルヴィアの隣に立っていたメルは細かく震えていた。それも当然なのかもしれない、今からメルが話すことは、スロバシュ・ゴーファンにとって予想外のことであり、かつ考えられないことでもあったからだ。

 彼は常々娘たちに『自分のような起動従士になれ』と何度も言ってきた。それは彼に男児が恵まれなかったという意味で言った訳ではなく、彼自身のプライドを堅持するためと彼女たちのことを考えた上の結果だった。……もっとも、後者には彼自身の欲と世間体という時代遅れのパラメータが大きなパーセンテージを占めつつあるが。

 部屋に入り、シルヴィアとメルはゆっくりとレッドカーペットを歩いていた。メルは一歩右後ろに退いて歩いていた。それは父親に対する恐怖の現れた証拠でもあった。

 レッドカーペットの端には椅子があった。そして、その椅子に深く誰かが腰掛けていた。

 白いアゴヒゲを蓄えた男だった。はっきりとした眼は何を捉えているのか解らない。

 スロバシュ・ゴーファンは引退して後、自分の家で優雅な暮らしをするに至った。彼ほどの武勲を持つ人間ならば、起動従士訓練学校の講師について後進を指導し育てることが出来ただろうが、彼はそれを断った。何故かは誰にも解らなかった。

 だが、シルヴィアとメルならば彼がなぜそうしたか――というのが理解出来るだろう。

 彼は彼の子供以外に強い起動従士を育てたくなかったからだ。彼はとてもプライドが高かった。だから、彼はこう思うようになった。

 ――自分という存在と同等或いは同等以上な存在に、自分の子供もなれるはずだ。

 それは優等遺伝があったとしても、可能性は限りなく低い。

 それどころかそんなことを望むこと自体高望みとも言えるだろう。たとえスロバシュがどんな神を信じていて熱心に祈ったとしてもそれは無駄な努力だ。確かに稀に親以上の能力に目覚めるパターンはあるが、それも幾つかの手段によって潰されている。


「……お父様」


 椅子の前に立ったシルヴィアは、再びスロバシュに声をかけた。 スロバシュは溜め息をついて、答えた。


「なんだシルヴィアにメル。私は今忙しいんだよ、第六・九世代の兵器デザインの最終チェックに追われているからな」


 スロバシュは引退後、数々の兵器に惚れ込んでしまったためか、兵器のデザイナーになった。彼の作るデザインにはどれも流線形が潜んでおり、先進的なデザインとなっている。しかしながら、デザイナーの名前は『ラビック・アデフィート』としており、彼の本名を用いていない。そのためか彼が世界的に有名なデザイナーであるということを知っている人間は殆ど居なかったのである。


「私たちから、お父様に話したいことがあるんです」

「何だ」


 彼は図面が書かれているであろう紙から目を離し、二人を見た。

 メルが息を整え、話を続けた。


「私、実は起動従士ではなく技術者になりたいと考えているの」

「…………そうか」


 スロバシュはメルの言っていた言葉の意味が理解出来なかったのか、一瞬言葉が詰まった。

 メルの話は続く。


「私、今日タカトさんって人に会った。お父様なら知っているでしょう。あの最強のリリーファー、インフィニティの起動従士の方です」

「彼に……会ったのか」


 スロバシュは軽く目を見開いた。

 それを見てメルは頷く。


「そこで色んな話をしたんです。その最後に……話をしました。あの学校から技術者を目指すにはどうすればいいのか、ということを」


 ここで話者はシルヴィアにバトンタッチする。二人は目配せをしながら、リハーサルをしたわけでもないのに息を揃えて話を続けた。


「そうしたらタカトさんが……知り合いの人に話を聞いてくれる。そう言っていました。でも……先ずはお父様に話をしなくてはならない。だから私たちはお父様に今日、話をしたのです」

「技術者になりたいのはメルだけか? それともシルヴィアも、か?」

「いいえ、お父様。技術者になりたいのはメルだけです。私はそのまま、お父様の望む起動従士へと精進してまいります」


 そう言ってシルヴィアは頭を下げる。しかし、スロバシュの表情は渋い。どうやらまだ納得していないような――そんな感じにも思える。

 スロバシュは持っていたペンで肘掛けを何度もつつきながら、何か考え事をしていた。

 ――やっぱり、ダメだったのだろうか。

 彼女たちの心に、そんな不安の波が押し寄せる。

 しかしながら、スロバシュの返事は、彼女たちの予想外のことだった。


「……メルは未だ起動従士訓練学校で学んでいくつもりか? 学びながら技術者の仕事も学んでいく、そういう解釈で構わないのか?」


 メルはそういう言葉が直ぐに彼の口から出るとは予想だにしなかったのか、少し耳を疑ったが、意味を反芻させ、漸く彼女は頷いた。

 それを聞いてスロバシュは小さく溜め息を吐いた。


「……私はずっとお前たちに迷惑をかけたのかもしれないな……。起動従士になれば、女でも見下されない。私はそう思ってお前たちには口を酸っぱくして言ったのだが、それも負担として重くのしかかったのだろう」

「お父様。私は違います」


 答えたのはシルヴィアだ。


「私はお父様がリリーファーを動かす姿に憧れて、お父様みたいな起動従士になりたくて今の学校に入りました。ですから、お父様が言うまでもなく私は起動従士訓練学校に入る予定でした」


 彼も子供の言葉を面と向かって聞くのは久しぶりなのかもしれない。

 久方ぶりに聞いた娘の思いに、気がつけばスロバシュは涙を流していた。


「……メル、お前の夢を私も応援しよう。技術者は起動従士のような花形ではなく、どちらかといえば裏方の仕事だ。だから目立たない。しかし気を抜けば起動従士も国も大変なことになってしまう、非常にプレッシャーのかかる仕事だ。まぁ、私の目の前でそこまで啖呵を切れるんなら、それくらい知っているかもしれないが……それでもお前は、その仕事をやりたいと思うのか?」


 そんな質問は無意味だった。

 それを聞いてメルは直ぐに頷いたからだ。

 それを見て、スロバシュは小さく頷いた。


「なら、私はそれを妨げる理由など何もない。構わない。いいよ、おまえが思うままに進むがいい」


 その言葉を聞いて、メルは笑みを浮かべた。

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