第71話
アフロディーテにイグアスが紛れ込んでいる可能性がある――その一報がアフロディーテ自身に入ったのは明け方のことだった。その一報自体を受け取ったのはそれから数時間前のことになるが、『作戦』で忙しかった彼らはそれを気にしている暇などなかったのであった。
そしてその一報は、あっという間にハリー騎士団副団長マーズ・リッペンバーに行き渡った。
「……それが来たのって、実に何時間前の話になるわけ?」
マーズは怒りを露にして、それを報告してきた兵士に訊ねる。
兵士は何度も頭を下げながら、その概要について語った。
それを聞き終わりマーズは小さく頷いた。
「王家専用機、ね。まさかそれに乗って私たちと一緒に戦おうだなんて思っているのかしら」
そして、徐々にマーズの表情が愉悦に歪んだ。
彼女は話を聞いているうちに面白くなったのだ。イグアス王子とは昔から顔見知り程度の面識はあったがリリーファーを使えるということはあまり知らなかった。
「……ところで陛下は何と言っている?」
「出来ることならば連れ戻して欲しい、とのことですが難しいでしょう。レインディア様も『それが難しいようならば、全力でイグアス様を守るよう』ともおっしゃっておりました」
「つまり無理に帰す必要はない、と……。この事は他の騎士団にも?」
「無論、全員にお伝えしている情報です。それを知るのに前後はありましょうが、全員がそれを知るまでにそう時間はかからないものかと」
「……解ったわ。騎士団のメンバーには私から伝えておきます」
そして、兵士とマーズの会話は静かに終了した。
マーズは会話を終了し、再び自らの部屋に入ると小さくため息をついた。それは紛れもなくイグアスがこのアフロディーテに侵入している、という情報を聞いたからである。
その情報がもし法王庁側の人間にバレてしまえば、アフロディーテは格好の餌食になる。それは出来ることなら避けたい事態だ。
「出来ることならば、このアフロディーテにいるうちに身柄を確保せねばなるまい」
通常ならば反逆罪で捕まりかねない暴言であるが、現在これを言われても仕方がない人間が居るのだから、どうしようもない。
マーズはその余計な仕事を騎士団の面々に伝えるのだと思うと、胃がキリキリと痛んだ。
ハリー騎士団の緊急の会議が始まったのは、それから僅か五分後のことであった。彼女としては無理に起こしてまで会議をするべきではないと考えていたが、何故か全員既に起きていた。
しかし、寝ていないのはマーズも一緒であり、結果としてハリー騎士団は誰一人睡眠を取ってはいないのであった。
「会議って何なんでしょうか……?」
コルネリアが淑やかに首を傾げる。
「あぁ、大丈夫よコルネリア。そんな大事ではないから。直ぐに終わるわ」
マーズは部屋を見渡す。ここは集会用に用意された会議室であり、今ここにはハリー騎士団全員が集まっているはずである。
確かに、今は全員集まっている――たった一人を除いて。
マーズ以外の人間もそれには気が付いていた。しかしそれには誰も口出しすることはしなかった。
そしてマーズも、誰がいないかというのは既に把握していた。だからこそ、マーズは深いため息をついた。
「それでは会議を始めます。こんな早い時間にみんな集まってくれてありがとう、とても感謝している……さて、会議の内容はそう難しくない。どちらかといえば『上からこう言われたのでやってもらいたい』みたいなことだ。……まぁ、面倒臭いことには変わり無いことだがな」
「なんだ。そう長々と前口上を述べる必要もないだろう。さっさとそれだけを言えばいい」
乱暴な言葉遣いを未だにマーズに使っているヴィエンスは、最早修正させようとしても無駄だとマーズが判断したその結果であった。ヴィエンスに何度言っても治さないのだから、もうそれの方がいいだろうとマーズが譲歩したのであった。
「……イグアス・リグレーという男の名前を知っているか?」
マーズの言葉にヴィエンスは頷く。
「ヴァリエイブル連邦王国の第一王子だろう。よく新聞にも載っているからな、それくらいは常識だ」
「……それくらい知っているならばいい。それで、そのイグアス王子がな……起動従士の素質を持っているのだ。それも、どの騎士団員でも持っていないような類稀なる才能ってやつを、だ」
マーズがあっさりと告げたイグアスの真実に、ハリー騎士団の面々は何の言葉を言い返すことも出来なかった。それくらい衝撃的な事実なのだから、寧ろそれくらい驚くのは当然なのかもしれなかった。
一番初めに口を開いたのは、エルフィーだった。
「……それってほんとうなんですか?」
「私だってついさっき聞いたばかりで、まったく信じられないことなんだけれど、まぁ国王陛下からそう言われちゃあ信じるしかないわよね」
「国王陛下……が」
エルフィーは俯き、何か考え事をし始めたようだった。
「話はまだ続くわ。寧ろ大事なことはここから……かもしれないわね」
一息。
「そのイグアス王子が、今王家専用機『ロイヤルブラスト』をつれて行方不明になっている。そして、その予想される行先の一つに……このアフロディーテがある」
「なん……だって?」
それに一番早く反応したのはマグラス、次いでエルフィーだった。
「アフロディーテは二つの騎士団のリリーファーを格納しても、まだ充分すぎる程に空きがある。もしかしたらそこに『ロイヤルブラスト』が格納されているのではないか、と現在確認作業に入っている。見つかり次第ロイヤルブラストは拘束する。イグアス王子の安全を確保するためだ、仕方あるまい」
「……もし見つからなければ?」
「その時はその時だ。それが出来ることならば一番いい選択肢になるのだがな。まあ、そうもいかないだろう。正直な話、私としては別にイグアス王子に戦わせても問題ないとは思っている」
マーズの言葉は、ハリー騎士団の面々には衝撃的な事実であった。
今までイグアスを捕らえよと言わんばかりの命令であったにもかかわらず、騎士団を現時点で束ねる副騎士団長のマーズの見解はそれとは真逆のものだったからだ。
「なんでなのか、見解の詳細を聞かせてもらっても?」
訊ねたのはマグラスだった。それを聞いてマーズは頷く。
「簡単なことだ。考えてもみろ、王族がリリーファーに乗るということは身を挺して我々の職場を見に来る、そうとってもいい。その体験をした人間こそ、素晴らしい王にはならないか? 普通に考えて、だ」
「……なるほど。将来を考えている、と」
「ま。それは建前だけどね。本音としてはこの過酷な状況を王族サマに体験してもらって、どういうふうに思うかが聞きたいだけれど」
「……それって、最低な本音だな」
ヴィエンスがそう呟いた、その時だった。
ガガン!! と潜水艦アフロディーテが大きく揺れた。
ハリー騎士団の面々は急いでしゃがみ、どこかに捕まる。
その揺れは一瞬で収まったが、その威力は強めであった。地震のようにも思えたが、何かがこのアフロディーテにぶつかってきたような……そんな揺れにも思えた。
「……収まったな……」
マーズは呟くと、部屋を飛び出した。
エルフィーとマグラスはそれを見てアイコンタクトして、その後を追う。
次いでヴィエンス、コルネリアもその後を追った。
◇◇◇
その頃、リリーファー格納庫。
黒を基調とした機体に、白のラインが踊るように波打っている――王家専用機『ロイヤルブラスト』の中でイグアスは細かく震えていた。
ついにやってきた『戦争』。
自分の足でここまでやってきたのに、彼は恥ずかしげもなくその場に蹲っていた。
自分はいったい何をしているのか? 何のためにここまで来たのか?
そう何度も、イグアスは思い起こす。
しかし、それが行動力には結びつくはずもなく、ずっとここに居るだけであった。
「なんで僕はここまで来たんだ?」
――それはリリーファーに乗るためだ。
「だったらなんでここにいるんだ?」
――戦争が怖いからだ。
「そうだ」
彼は自問自答を続ける。
これが不毛だと理解しながら、彼は自問自答し続けるのであった。
「でもずっとここに居続ける必要はない」
――邪魔になる。
「だったらどうする?」
――出る。
「どこへ?」
――戦争の場、戦場へ。
「そうだ。……行くんだ。僕は行くと、決めたんだ」
そして、彼はリリーファーコントローラーを強く握った。
ロイヤルブラストが出動したのは、格納庫へと向かっているマーズたちも地響きという形で理解することとなった。
「なんだこの地響きは……!」
「恐らくリリーファーが出動したのだろう! メルキオールかもしれん!」
「それはありえないわ」
その声を聞いて、マーズは驚愕の表情を浮かべ、振り返る。
そこに立っていたのはメルキオール騎士団団長ヴァルベリー・ロックンアリアーだった。そしてその後ろにはメルキオール騎士団の構成員が全員いるようだった。
「私たちはまだ出動すらしていない。にもかかわらず格納庫方面から聞こえたあの地響き……きっとハリー騎士団あたりが出撃したに違いない。私たちはそう思っていたのに……」
「……どうやらお互いがお互いに出撃したのだと思っていたようね」
マーズの言葉にヴァルベリーは頷く。
「ということは……」
マーズは最悪の可能性を考えた。
それは出来ることならば、一番考えたくなかったことだ。
「……ロイヤルブラストが、出動した……?!」
「馬鹿な! 格納庫の扉は開いていないはず!」
「格納庫の扉は確か開けていたはずだ……。リリーファーの整備のために」
マーズは走りながら、ヴァルベリーの話を聞いた。
「ということはいつでもロイヤルブラストは出る準備に入れていた……そういうことになるな」
「そういうことになる。ロイヤルブラストを搬入した共犯者がいるはずだ」
ヴァルベリーが言った『共犯者』という表現は少々仰々しいのかもしれない。
しかし実際には元々入れる予定のなかったリリーファーと人間をいれたというのだから、立派な規約違反である。共犯者と言っても、もはや過言ではない。
王族であるイグアスを捕らえることは流石に出来ないだろうが、共犯者は捕らえることが出来る。
「それに共犯者は捕まえてはいけない……なんて言われていないからな」
「ヴァルベリー……あんたあくどいわね」
マーズの言葉に、ヴァルベリーはなにも答えなかった。
◇◇◇
ロイヤルブラスト、コックピット内部にいるイグアスは不思議と緊張などしていなかった。
「どうしてだろう」
緊張していない自分を、今まで葛藤していたはずの自分を、彼は疑問に思っていた。
だが、今はそれを考えている暇などない。
目の前に立っている、リリーファー――敵がいるのだから。
彼にとっては、これが初めての戦闘だ。
そして、その敵は禍々しい雰囲気を放っている。
「……あれは……『聖騎士』なのか?」
聖騎士の姿は、回収されたタイプを見ていたので形は覚えていた。
しかし、そのリリーファーは聖騎士によく似ていたが、細かい場所が変わっていた。具体的には解らないが、若干大きいようにも見える。
怖い。
イグアス・リグレーは怖かった。
初めての戦闘が、戦争によるものであることを、彼が自らここまで出向いたことを理解しているにもかかわらず、後悔していた。
「……だが、逃げていたら王族の名折れだ」
勝たねばならない。
逃げてはならない。
そう決心して――彼は一歩踏み出した。
敵のリリーファーへと向かうために。
しかし、彼は知らなかった。
そのリリーファーは、敵のパイロットから聞いていた――『|聖騎士0000号(ナンバー・ゼロ)』だということを。
そして格納庫に漸く辿りついたマーズ率いるハリー騎士団と、ヴァルベリー率いるメルキオール騎士団は急いで自らのリリーファーに乗り込んだ。
「いいか。急なことになってしまったが、一先ずロイヤルブラストを最優先に保護せよ。見つけ次第、だ。そして敵のリリーファーを殲滅する。これが今回の|任務(ミッション)だ」
突然決めたことであるにもかかわらず、マーズの思考ははっきりとしていた。もしかしたらこのような可能性も考えていて、別の計画を考えていたのかもしれなかった。
因みにエレンもマーズが何とか呼び寄せた。あんな生意気なことを言っていたが、結局彼女はマーズに次いで強い。だから彼女がいることで百人力――そういうこともあるのだ。
『マーズ、作戦はそれだけか? それ以外に拘束される条件はないな?』
エレンから通信が入り、そう言われたので、マーズは「ええ」とだけ答える。
『ならば勝手にやらせてもらう。お前たちは遅すぎるからな。この「ムラサメ」が凡てを終わらせるのを見ていればいい』
そう言ってエレンは勝手に格納庫から出動した。
「ちょ、ちょっと待ってエレン!!」
マーズは叫んだが、既にエレンは通信を遮断しており、無駄なことだった。
『おい、マーズ。お前の騎士団のメンバーは何なんだ! 身勝手すぎるぞ!!』
ヴァルベリーからの通信が入り、マーズは小さくため息をついた。
「……ほんとうにごめんなさい。文句はあとで凡て聞くから、一先ず今は作戦に集中しましょう!!」
それだけを言って。
ハリー騎士団とメルキオール騎士団は、格納庫から出動した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます