第16話

 戦いが終わり、彼らは幾つもの表情を見せるグループに分かれていた。あるグループは落胆の表情を、またあるグループは嬉々とした表情を、天国と地獄のように対比したそれはヴィエンスと崇人の水泳対決の賭けによって齎されたことを、彼らは知らない。


「賭け事をしていたことを言わなくてもいいよね?」

「どうせ私たちはやっていないのだから言わなくてもいいのでしょう」


 アーデルハイトとエスティはそんなことを話していた。先程の剣呑な雰囲気は何とやら、といった感じだ。アーデルハイトは最早この状況がどうでもいいと思っていたのか、防水のスマートフォンを操作していた。エスティはそれを見て何となくどうでもよくなってしまった。


「……プールの授業もそろそろ終わりかねえ」


 そう言ってキャメルは賭けで勝ったであろう紙幣を捲って何枚か確認していた。何なんだこの教師失格の人間は、とエスティはジト目でキャメルを見つめる。


「どうした、エスティ?」


 水泳対決から戻ってきた崇人がエスティに訊ねる。


「い、いや。なんでもないよ」


 エスティは何とか取り繕うとして答えた。


「そうか?」


 崇人が何も気づかなかったようなので、エスティは小さくため息をついた。

 水泳の時間も終わり、放課後の時間となった。放課後は自由の時間だ。だから、皆様々な時間の過ごし方を送っている。

 しかし崇人は学校には残らず、直ぐに帰ってしまうものなのだ。

 家に帰ると、いつものようにマーズがスマートフォンを弄っていた。


「暇人だな、あんた」

「やることがないだけだ。好きに暇人になっているわけではない」

「結果として暇人になっていることに、気づいていただけると嬉しいんだがね」

「ああ、そうかもしれないな。……そうだ、崇人。君、あと三日もすれば大会のためにティパモールへ向かうだろう?」

「そうだな」


 崇人はカレンダーを見て、言う。


「……それが、どうしたんだ?」

「私も一応ティパモールに向かう。この前も言ったかもしれないが、殲滅作戦のためだ。大会にも出てくる可能性だって、十分に有り得るし、もしそうなれば私だって出ることになるだろう。どうなるかは解らない。ただ、頑張ってもらわねば困る。私が出られる可能性は十分に低いのだからね」


 マーズは呟いて、テーブルの上に置かれているパックのオレンジジュースを吸い込む。


「まあ、そういうわけは於いて、ともかく、だ。私の手を煩わせることはさせないでくれよ、頼むから。めんどくさいんだよ、君だけで出来るだろう。どうせそれ以外にほかにも居るだろうしな」

「そうかもしれないが……俺が考えているのはもうひとつの可能性なんだよ」

「もう一つ?」

「ああ。……アーデルハイトが敵である可能性、だ」


 崇人の言葉にマーズは吹き出した。


「なぜ笑う。可能性だろ」

「そうだけれど、それは愚問だね。そんなことは有り得ない」

「……随分と強気だな」


 マーズはオレンジジュースを飲み干し、その空になったものをゴミ箱に投げ捨てた。


「まあ、私の長年の勘……ってやつだよ」

「勘ってものを、信じるのか。特に今回は死ぬ可能性だって有りうるっていうのに?」

「その時はそのときさ」


 マーズの顔は笑っていた。それがなぜなのか、崇人にはさっぱり分からなかった。



 大会二日前となった今日、大会メンバーは大会の会場があるセレス・アディーナへと向かうことになった。

 ティパモールからわずか二十五キロの地点にあるセレス・アディーナは一言で言えば水の豊かな町である。ところどころに水路がひかれており、人々はそこを通る舟に乗って移動する。車という手段がないのは、この街が随分と小さい町だからだろう。

 にもかかわらず、このお世辞にも大きな町とは言えないセレス・アディーナで『大会』が行われるのか。公式には言われていないが、マーズ経由で崇人はそれを聞いていた。

 ティパモールの殲滅戦をまじまじと人民に見せつけることで、リリーファーの正当性を確実なものとする。

 聞いていて、反吐が出る内容でもあった。

 しかし人間というのは、まったくもってどうしようもない存在というのは、世界が変わったとしても変わらないのであった。

 崇人たちを乗せたバスがセレス・アディーナの入口に到着したのは午後二時を過ぎたあたりだった。セレス・アディーナは車が入ることができないため、主な駐車場は街の外にある。そして、そこから鉄道や舟を使って町内へ入っていくのだ。

 崇人たちチームメンバーはバスを降り、あたりを見渡した。


「……ここが、紛争をやっているところと数十キロくらいしか離れていないなんて夢にも思わないね」


 エスティは呟く。確かにそのとおりだと崇人も思っていた。


「紛争をやっているのは、ティパモール地域という局所に過ぎないからな。単純に、その周りもギスギスしているなんて訳でもない」


 アーデルハイトはそう言ってエスティの疑問に答える。


「アーデルハイトさん、なんでも知っているんですね?」


 なぜかエスティは含みのもたせた言い方で答えた。

「まあ。歴史の教科書にも載っていただろう。それくらい調べればわかる」


 アーデルハイトはそう言って、エスティを睨みつける。エスティは自分の言葉が論破されたのが悔しいのか、少し頬を赤らめていた。

 崇人はそれを横目に見ながら、あたりを見渡していた。セレス・アディーナは高い建造物がそびえ立っており、それが円形になっているから、心無しか要塞のようにも思えた。崇人が見ていると、風がセレス・アディーナの区々に向かって吹いてきた。


「……なんか風が出てきたな」


 崇人は呟き、空を眺める。


「おまたせしました、『フィフス・ケルグス』の皆さん」


 慣れない呼び名で呼ばれたので、崇人ははじめ自分が呼ばれているとは思わなかった。しかし、添乗のアリシエンスがお辞儀をしたので、崇人は漸く自分たちが呼ばれていることに気がついてお辞儀をした。


「遅くなって申し訳ありませんね」


 それは小さな舟だった。舟といっても手漕ぎの舟ではなく、モータがついた舟だ。モーターボートとでもいうのだろうか、それにひとりの男が乗っていた。男は麦わら帽子をかぶり、肌を小麦色に焼いていた。陽射しが照りつけるからだろう。

 男は笑って、話を続ける。


「今回は、ちょっと変わっていましてね。ペイパスとの協力とかでいろいろめんどくさいところがあったものですから、それに手間取りまして……あっ、今のはオフレコで」


 そう言って男は人差し指を口元に添える。

 それを聞いて、ああ解りましたと適当に返事をした崇人たち。


「乗ってください。とりあえず、ご案内します」


 それに従って、崇人たちは舟に乗り込んだ。

 舟に乗り、暫くすると大きな建物が見えてきた。スタジアムのような、巨大なそれは、周りが石畳が石レンガで造られた建物であるのに、そこだけコンクリートで出来ていたというのもあるのだろうが、至極違和感があった。


「あれが……、」

「そうです。あれが会場となる、『セレス・コロシアム』です!」


 セレス・コロシアムは『大会』開始と同時に建設され、そのまま第一回大会の会場にも用いられた由緒正しい場所である。しかしながら、今大会では安全を期するために場所の変更も考えられたが、今回も場所を変更せず実施するに至った。

 セレス・コロシアムへは直通の水路が存在しており、その利用者は舟から降りることなくコロシアムへ入ることが出来る。

 崇人たちはそれを利用して、コロシアム内部へ入った。内部は質素な作りとなっていて、ここでは選手の宿舎も兼ねているようだった。


「ケルグスの皆さんはこちらとなります」


 麦わら帽子の男がそう言って崇人たちを案内する。ちょうど崇人が最後の方になってしまったので、急いで行こうと思った。ちょうどその時だった。


「ねえ」


 声をかけられたので、振り返ると、ひとりの少女が崇人の後ろにいた。


「……どうしたんだい? どうしてここに?」

「『不条理』と呼ぶ存在を、知ってる?」

「不条理?」


 崇人は少女が何を言っているのか、さっぱり解らなかった。


「そう、不条理。英語で言えば、Absurd」

「英語で言わなくてもいいだろ」

「……あなたは分からないの?」

「何がだ」

「ここはあなたの生まれた世界じゃないのに、どうしてあなたの言語が通用し、あなたの生まれた世界にある文化が根付いているのか、ってことに」


 その言葉に、崇人は何も言えなかった。

 確かに、その通りだった。学食にあるうどんしかり、マーズが喋った英語しかり、言語しかり、凡てがおかしい。辻褄が合わないにも程がある。

 『チートで何とかなった』では、最早済まないレベルである。


「あなたも気づいていたはず。この世界の『不条理』に」

「……この世界の、不条理?」

「そう。この世界の――」


 そこまで少女が言いかけたところで、


「タカトー! 何しているのー!」


 エスティの声が聞こえて、崇人は我に返った。振り返り、エスティに「ちょっと待ってて」と答え、もう一度彼女の話を聞こうと彼女の方に向き直った。

 しかし、その時既に彼女の姿は何処にもなかった。

 一先ず、崇人たちはこれからのスケジュールについて確認することとした。


「大会は明後日から。しかし、明後日は開会式で終わってしまうから、正式な戦いは二日目からってことになるわね。しっかりと身体を休め、万全の態勢で臨んでくださいね」


 アリシエンスの言葉に、崇人たちは頷く。

 これから、大会が始まる。

 誰が勝つかは――まだ誰にもわからない。


「……まあ、確かにこれは『勝つ』ことを目的としています。ですが、そんなことはどうだっていいです。勝つことに全力を注いでいてはほかのことが目に入らなくなり、大変なことを引き起こすことだって有り得るからです。ですから、きちんとしてください。勝つことばかりを考えるのではなく、精一杯の力を出してください」


 私からは以上です。そう言ってアリシエンスは会議室を後にした。


「……いよいよだね」


 エスティは崇人に言う。崇人はああ、と頷く。

「緊張してる?」

「やっぱね。初めてだし。こういうの」

「そう、私もなんだ」

「まあ、お互い頑張ろうよ」


 そうね、とエスティは答えて、微笑んだ。

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