(9)
「でも、今回ばかりは観察してもわからないことがあるよ」
「えっ? 何が?」
「犯人の、その女子高生が、野辺さんの壁に黒いペンキを塗った理由」
「イタズラ目的とかじゃないの?」
「まあ、それも可能性はあるけど、イタズラとかだったら、ただ、壁を黒く塗りつぶすだけってことはしないような気がするんだよ。英語のスラングの単語とかイラストとか、そういうの書きそうじゃない?」
かれんは良く電車とか壁に書いてある「落書き」を思い出してみた。
確かに良く見る落書きは、英単語とかイラストとかが書いてある。ただ、壁を一色のペンキで塗りつぶすというのはあまりないような気がする。
「まあ、確かに……」
「多分だけど、壁にペンキを塗った犯人はイタズラ目的で壁にペンキを塗るようなことに慣れていない人間なんじゃないかって思う。普段は真面目で、イタズラなんてしないような人間じゃないかって。だから、何か意図があって野辺さんの家の壁にペンキを塗ったんじゃないかって思うよ」
「そうすると、それこそ、野辺さんに個人的に恨みがあって壁にペンキを塗ったとか?!」
「うん」
昴は正面を向いたまま頷いた。
「でも、それはさすがにないと思う。部長、顔は確かに怖いけど、中身は本当に善良な人間だし。この間だって、うちの会社の新人が大型の受注を取った時、本当に大喜びしたんだから。昴、知ってる? 『株式会社Naka_ta』って、新潟のアパレルの会社」
「ううん、知らない」
「本当に知らないの? たまには、テレビとか新聞見たらって言ってるじゃない? 最近、その会社の35歳の社長がものすごくメディアで取り上げられてるの。全国放送のテレビとかにも出てるし。
で、その『株式会社Naka_ta』の長期契約をうちの新人が取って来たの。もちろん、部長も同行したけど。もう、契約取って『株式会社Naka_ta』が入ってるビルを出た途端に、部長と新人とで手に手を取り合って泣いたらしいんだから。そんな人の良い部長が、家の壁にペンキ塗られるような恨みを買うなんて……」
かれんは思わずムキになって、野辺の弁解を始めた。
弁解しているかれんがふと視線を感じて運転席の方を見ると、昴がジッとかれんのことを見つめている。
車はいつの間にか信号待ちで停止していた。
「かれんちゃん……」
「何? 急にそんなにジロジロ見て」
「かれんちゃん、野辺さんのことで何でそんなにムキになるの? かれんちゃんって、よっぽど野辺さんのことが好きなんだね」
昴はそう言うと、正面を向いて信号が青になった道を再び走り始めた。
「なっ、何言ってるの? 好きとかキライとかそういうんじゃなくて、私は部長のことを尊敬しているだけ!」
本当に昴はいきなり何を言いだすのだろうか……と、かれんは呆れた。
「いいよ、かれんちゃんが野辺さんのことが好きなのはよくわかったよ」
「だから、好きとかキライとかそういう問題じゃないって……」
「で、そのかれんちゃんの大好きな野辺さんの家にペンキを塗った犯人を捕まえるから、明日の朝、付き合ってくれる?」
「えっ?」
突然の昴の発言にかれんが拍子抜けしたような表情をすると、昴は表面を向いたまま「ニコリ」と笑みを浮かべた。
* * *
翌日の朝。
仕事へ行く前にかれんは、昴に付き合って野辺の家の近所まで来ていた。
かれんは昴に「野辺さんの家にペンキを塗った犯人を捕まえる」と言われたので、てっきり野辺の家の前か近くで張り込むのではないかと思ったが……。
「ねえ、どうしてこっちの方に来たの?」
昴に手招きされてかれんが連れて来られたのは、野辺の家がある道とは一本隣にある道だった。
野辺の家の周りと同じように個人住宅が並んでいて、近くのB高校の制服を着た生徒がチラホラと学校に向かって歩いている。
「この先のB高校へ行くには、ここら辺だったら野辺さんの家の前の道かこの道を通らないと行けないからね。犯人が真面目な
「ふーん」
かれんが(そんなものなのだろうか?)と思いながら昴に
チラホラ見えるB高校の生徒は、みんな制服のブレザーを着ているが、その娘だけブレザーは来ておらず、まるで夏服のような白いブラウス姿だった。
その娘の周りだけ、急に季節を飛び越えて初夏が来たかのような、そんな
でも、まだ上着を着てないと寒いんじゃないのだろうか……とかれんが思っていると、急に昴がその白いブラウス姿の女の子を追いかけるように歩き始めた。
昴の表情は珍しく真顔だ。
(えっ? まさか、あの
かれんは昴の後ろを付いて歩きながら、もう一度白いブラウス姿の女の子を見た。
確かに身長は自分よりも10センチは低い。制服のスカートの丈も極端に短くないし、髪も黒髪ストレートのボブで真面目そうな雰囲気だ。
昴が野辺の家の壁にペンキを塗ったのではないかと言った犯人像に、非常に近いイメージではある。
昴はしばらく、その白いブラウスの女の子の少し後ろをついて歩いていた。
女の子が歩くたびに、スクールバッグにつけている猫のマスコットの首輪の鈴が、微かな音を立てる。
昴は女の子のスクールバッグをジッと見ていたが、やがて満足そうな笑みを浮かべると、前を行く女の子に近付いた。
「ねえ、君」
昴に声を掛けられて、女の子が振り返った。「この近くに住んでる、野辺って怖い顔のおじさんの家の壁にペンキ塗ったの、君だよね?」
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