疫病神part1
城からおよそ西の方角にあったアヤネの教会とはほぼ反対側に、訓練場はある。
地図を両手に広げ、南東の方角へと向かって街中を歩きながら、
「クルミ、さっきの戦いでも凄かったけど……女子力を使っているわけでもないのに、なんであんな素早い動きができるんだ?」
と、左隣、木刀を引きずって歩く黒衣の少女――アキラの妻に尋ねる。
クルミはこちらへ顔を向けることもなく、
「解りません」
「解らないの? 何も?」
「はい」
「なんでこんなことができるんだろう、って疑問に思ったことは?」
「ありません」
「一度も?」
「はい、興味がないので」
「自分のことなのに?」
「はい」
変わった子だ。やはり、アキラはそう思わずにはいられない。だが、自分はどうにかしてクルミを理解したい。自然と傍にいられるような存在になりたい。
それは自分たちが『夫婦』だからというのではなく、単純にその孤独を見ているのが辛いからだ。余計なお世話かもしれないが、それでもこのような小さい少女には、孤独などとは無縁でいてもらいたい。
「ちょっと待って、クルミ」
クルミの歩みを止めさせて、お姫様抱っこをする。路地の真ん中にあった大きな水溜まりを避けて通って、その華奢な身体を下ろす。
「私のことなどお構いなく、そう言ったはずですが」
「でも、今、そのまま水溜まりを踏んでいこうとしてるように見えたから」
「これくらいなんともありません」
「万が一、足を滑らせたら大変だよ」
クルミの眉間に皺が寄った。苛立っているというよりは、ただ不快そうな表情で、
「……先程の戦いの時もそうです。あなたに、そのようなことをされては困ります」
「困る?」
「はい。本来なら私があなたを守って、あなたのお世話をしなければならないのに……これでは、私がここにいる意味がなくなってしまいます。ですから、もう二度とこのようなことはしないでください」
「そんなこと言われても、身体が勝手に動くんだからしょうがないよ」
アキラは先ヘと歩き出しながら、
「言ったでしょ。クルミみたいに小さい女の子は世界の宝なんだから、どんな些細なことでも万全の注意を払わなきゃいけないんだよ」
「そう言うなら、あなたも女の子なのではありませんか」
「え? ああ、いや、それは……」
痛い所を衝かれて言い淀んだその時、グラリと地面が揺れた――ように感じて、足を止める。
クルミはそんなアキラをサッと支えながら、
「ビショップとの戦いで初めて女子力を使ったせいで、疲れたのでしょう。今日はもう休みますか?」
「いや、大丈夫。まだ日もかなり高いし……もう少し歩けるよ」
「日も高い……? それは、どういう意味でしょうか」
「どういう意味も何も」
アキラはほとんど真上の空を見上げ、灰色の空の真ん中に浮かんでいる、黒い霧を集めたような太陽を指差す。
「太陽がまだ上の方にある、っていうこと。まだまだ夜にはならないでしょ?」
「何を言っているのでしょうか。太陽はずっと真上にあるものです」
「え? ずっと?」
「はい。太陽は動くものではありません。空が明るければ昼で、暗くなれば夜です。おそらく、じきに夜になる頃だと思います」
大きく聳えている城の方角にさほど大きくない時計塔があって、それは四時頃を示している。時間の割に太陽の位置が高いなとは思っていたが、そういうことか。
「そうか……よく解らないけど、解った。それじゃあ、今日はもうどこかに……」
言いかけて、ふと気に懸かる。
「ところで、この国に今、宿屋ってあるの?」
「あるにはあります。かつてプリンセスが目覚めていた頃は、国の外からも大勢の人がこの国へやって来ていたそうですから、今でも宿屋はいくらか残っています。しかし、宿屋のみで生計を立てている人はもういないでしょう」
「なるほど……。ん? あそこにちょうど宿屋があるよ。今日はあそこに泊まろう」
ということにして、早速、見かけた宿屋へ向かう。
二階建てのその建物の玄関をくぐると、正面にカウンターがあった。
その中には誰もいなかったが、窓際でイスに座りながらイモの皮むきをしている中年男性がいて、アキラはその男性に尋ねた。
「すみません。ここは宿屋ですよね」
「ん? ああ、一応ね」
「部屋は空いていますか?」
「ああ、もち――いや、悪いね、今日は空いてない」
その目が一瞬、アキラを通り越してクルミを見た気がした。そして、その目に一瞬、敵意のような鋭さが宿った気も。
空いていないと言われればしょうがない。どう見てもそうは見えなかったが、アキラは仕方なくそこを後にして、やや進んだ場所にあったもう一軒の宿屋に入った。
奥から気怠げに出て来た中年女性に、
「泊まりたいのですが、部屋は空いていますか?」
「ええ、空いているわよ。……けど、それも泊まるの?」
『それ』と言う時、その目は冷たくクルミを見ていた。アキラは当然頷く。すると、
「じゃあ、ダメだね。他へ行きな」
「え? どうして……?」
「そんなこと、少し考えれば解るだろう」
ほとんど閉め出されるように、その宿を出る。と、
「……すみません」
その無表情を心なし暗くしながら、クルミが言った。
「どうしてクルミが謝るんだ?」
「私が疫病神だから、断られるのでしょう」
「そんなバカな」
ありえない。アキラは鼻で笑うが、クルミは暗く俯き続ける。
確かに、店にいた二人の対応はそう思わせるところがあった。だが、アキラには到底、信じることができなかった。いい大人が、こんな子供を、しかも真っ当な客を、疫病神と嫌って追い出したりするわけがない。
疲労感の上にモヤモヤとした感情が覆い被さって、いっそう身体が重くなる。クルミの言う通り、うっすらと暗くなり始めた空の下、互いに無言でとぼとぼと歩く。
そして、もう少しで司教区を出る、そんな時だった。
「あの子は……?」
妙な様子の少女が目に入った。
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