……式?part1
入る時に感じていた以上に、この教会は大きかった。
礼拝堂から廊下へと出ると、数十メートルはあろうかという真っ直ぐな廊下が奥へと伸びていて、壁の右側には奥までズラリと木の扉が並んでいる。
だが、建物は立派でも、雰囲気はあくまで陰鬱だ。床は大理石が並べられているが、窓から入る光は薄暗く、またひと気がないために廃墟のようにうら寂しい。
しかし、アヤネはご機嫌に、踊るようにふわふわとドレスを揺らして歩きながら、
「なぜかしら。さっき、とてもドキドキしてしまったわ。わたしの顔が美しいことなんて言われ慣れているのに」
「は、はあ……」
アヤネはくるりと振り返り、
「ねえ、もう一回言ってみて? 『笑顔が見たい』って」
「え?」
早く。その切れ長で和風美人的な目で、無言の圧力をかけてくる。
その顔は、自分で自分を美しいと言うのも納得できるほど繊細に整っている。そんな美人にじっと真正面から見つめられ、アキラは思わずドギマギしてしまいながら、
「え……笑顔が見たい、です」
「……あなた、変な人ね」
「へ、変って……! 言えって言ったのはあなたじゃないですか!」
「うふっ、ごめんなさい。でも、悪い意味じゃないのよ。わたし、変な人が好きなの。だから、あなたのことも好きよ」
ひらりと再び前を向き、歩き出す。
弄ばれてしまった。だが、美女が相手であれば、それも悪い気がしない。悪い気はしないが、クルミの手前、ニヤニヤしたりはできない。
クルミは、アキラの後ろを黙って歩いている。ふと、先程のクルミの言葉を思い出す。
『私が死んで、何か問題があるのですか?』
なぜ、そんな悲しい言葉が出てくるのだろう。街で『疫病神』と言われていたことと、何か関係があるのだろうか?
――やっぱり、ある……よな。
どう考えても、ないはずがない。とすれば、自分に何ができる? クルミのことをまだ何も知らない、そんな自分でもできることは……。
そう考えて――アキラはクルミの手を握った。クルミはこちらを見上げ、
「何か?」
「ううん、なんでも。クルミはここに来たことはあるの?」
「いいえ、ありません」
「そっか」
せめて、クルミの傍にいよう。今の自分にできるのは、ただこれだけなのだから。
クルミは怪訝な顔でこちらを見ながらも、嫌がっているふうではない。
よかった、嫌がられなくて、そう少し安心しながらしばし歩くと、やがてアヤネがとある部屋へと入っていった。
追って中へ入ると、そこは広い台所である。教室ほどの広さの部屋に調理台が三つ、かまどが四つも並んでいて、壁際には大きな食器棚が置かれてある。
プリンセスが元気だった頃には、ここは大勢の人で賑わっていたのだろう。だが、今はここもまたすっかり廃墟然としてしまっている。
「青が好きなんですね」
壁の下半分は青いタイルが貼られていて、棚の中の食器にも青い絵柄が多かった。それでそう尋ねると、アヤネは奥の扉へと向かっていきながら、
「綺麗でしょう? プリンセスの一番好きな色が、ラピスラズリの澄んだ青なの。だから、私も髪をその色に染めているのよ」
「なるほど」
「ちょっとそこで待っていて」
と言って、アヤネは物置らしい奥の部屋へ入って行く。
クルミの手を握ったままなんとなく窓際へ行ってみると、見えるのは中庭で、そこには畑が作られていた。広い畑で、向こうに見える壁沿いには果樹らしき木もある。光が足りないせいで元気はなさそうに見えるが、いちおう緑色の葉はついている。
――ん? 灰皿……?
窓枠には、吸い殻が数本捨てられた灰皿が置かれてあった。アヤネもタバコを吸うのだろうか、と思っていると、アヤネが物置から瓶を一本持って出てきた。
「どうぞ。これ、持っていって」
黒い半透明の、ワイン瓶ぐらいの大きさの瓶だ。受け取ってみると、中に何か液体が入っていてズシリと重い。
「りんごジュースよ。以前、プリンセスが好きだったの」
「プリンセスが……?」
「ええ。あそこにあるりんごの木――あれはプリンセスが自分で食べたくて植えたものらしいわ。わたしが生まれる前のことだから、実際にその時のことを見ていたわけではないけれど、プリンセスは普段、りんごと水くらいしか口にしない人だったし、何よりプリンセス本人がそう言っていたから、本当だと思う」
不思議な気分だった。ゲームの中にしかいない存在――当然、架空の存在だと思っていたプリンセスが、確かにここで生きていたのだ。生活していたのだ。
「ちなみに、わたしが好きな物も気になる?」
と、アヤネ。
「え? はい、何が好きなんですか?」
「うふっ、秘密」
アヤネは明るく微笑みながらクルミに目を向け、
「このジュース、クルミにも飲んでほしかったの。クルミもりんごが好きなのよね?」
「いいえ、私は好きでも嫌いでもありません」
「そ、そう……」
クルミの機械的な返答に、アヤネはその微笑に悲しげな色を混ぜる。
二人の間には、何か気まずい過去でもあるのだろうか。空気が重い。アキラは慌てて話題を転ずる。
「ところで、そこの畑、けっこう広いですけど、アヤネさんも農業をしてるんですか?」
「ううん、しないわよ。まあ、水分量の調整くらいはするけど、よくここへ来てわたしの心配をしてくれる人がいるから、その人にやらせて――じゃなくて、やってもらっているの。わたしがするのは料理だけ。うふっ」
「おいおい、私は君の召使いではないのだかな」
突然、背後で声がして、驚いて振り返る。
「チナツさん」
そこには、チナツがドアに寄りかかるようにして立っていた。
チナツはアヤネを見つめながら、
「君のそんな笑顔など、数年ぶりに見たな」
「来るなら来ると言ってよ。何か用?」
「なんだ、冷たいな。いつもは私を呼びつけて、朝まで恨み辛みを聞かせるというのに」
「そ、そんなことはないわ。流石に朝までには眠っているもの」
「二人とも、仲がいいんですね」
アキラは得に他意もなく言ったのだが、チナツはその褐色肌の頬をどこか朱くして、
「べ、別に何もやましい関係ではない。私は料理が苦手だから、それでよくアヤネには世話になっているだけのことだ。私たちは何も特別な間柄ではない」
「……ええ、そうよね」
アヤネはボソリと言い、両手で顔を覆ってすすり泣き始める。
「どうせわたしなんて料理とぬいぐるみを作らせるだけの、使い勝手のいい女よね……。本当は面倒くさいお荷物だって、そう思われていたことくらい知っているわ……」
「ま、待て、アヤネ。私は別にそういうつもりで言ったのではない。私はただ、お前に妙な迷惑がかからないように――」
「うん、知ってる。うふっ」
顔を覆っていた手を下ろして、にこりと目を細める。
「く……! アヤネ、そういう悪い冗談はよせ」
「イヤよ。だって、楽しいんだもの」
自分は一体、何を見せられているのだろう。カップルがイチャついているのを黙って鑑賞させられている気分でアキラが立ち尽くしていると、
「それより、チナツ。二人をわたしに差し向けたのは、あなたね?」
アヤネが、ややトーンを低くした声で言った。
「なんのことかな。それより、アヤネ、頼みがある」
「頼み……?」
ああ、とチナツは頷き、こちらへ視線を流しながらアヤネに耳打ちする。と、アヤネは目を大きく見張る。
「まあ、大変……! 解ったわ。それなら、わたしが責任をもって式を執り行います」
「式? 式って……?」
アキラは戸惑って尋ねるが、アヤネはそれに答えることなく慌ただしげに、
「ちゃんとしたドレスがないことが残念だけれど、二人とも、まずは顔を洗って。チナツ、あなたはクルミを私の部屋へ。わたしはアキラの傷の手当てをしてから行くわ」
「解った。――ああ、ちなみに、アキラにドレスは不要だ」
「え? どうして? ダメよ、そんなの」
「いいんだ。そうだろう、アキラ? 君はドレスが着たいか?」
「いえ、別に……」
「そういうことだ。アキラは礼拝堂で待たせておけばいい」
と、チナツはクルミを連れて台所を出て行く。
式? ドレス? 何か嫌な予感を覚えて背筋を寒くするアキラに、アヤネは不安そうに尋ねてくる。
「アキラ、ドレスを着なくても本当にいいの?」
「はあ……私にはこのコーデがあるので」
「そう、あなたがそれでいいのなら構わないけれど……」
どこか納得しきれない様子で言って、アヤネはアキラを残して一旦、部屋を出て行った。それから、どこか別の部屋から綺麗な布とアロエの茎を持って戻ってくると、アキラの頬の傷の処置を始める。
「ごめんなさい、アキラ。こんな可愛い顔に傷を負わせてしまうなんて……」
「いえ、別にこのくらいはなんとも……」
「なんともなくなんかないわ。もしキズ痕が残ったら……」
「大丈夫です。これくらいの傷なら残りません――心の傷とは違って。私はこんな傷より、あなたの心のほうが心配です。元気そうですけど……あまり無理はしないでくださいね」
「アキラ……」
アヤネはハッとしたようにこちらを見て、少し涙ぐみながら微笑む。
「ありがとう……優しいのね。ええ、わたしは大丈夫、きっと大丈夫になる。そう思うわ」
噛み締めるように言って、傷の処置を終えて立ち上がり、
「じゃあ、少しだけ時間がかかるかもしれないけれど、あなたは礼拝堂で待っていて。きっと驚くわよ。クルミ、凄く可愛くなるはずだから」
どこか楽しそうに小走りで部屋を出て行く。
――……嫌な予感がする。
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