プリンセス・キングダム

茅原達也

真っ黒な画面

「アキラ、逃げろっ!」





 深夜――





 女児向けのトレーディングカードアーケードゲーム――『プリンセス・キングダム』、略して『プリキン』のカードをベッドに寝転びながら眺めていると、階下で父がそう叫んだような気がした。





「なんだ……?」





 気のせいでは……ないだろう。百合園ゆりぞのアキラは怪訝にベッドから起き上がって、部屋の扉を開けて廊下に顔を出す。





 と、下の階から何やらドタドタという音が聞こえてくる。





「うるさいな……あの子たち、まだ起きてるのか?」





 この家は住居兼、剣道道場である。そして今日は門下生である三人の少女が、夏休み合宿という名のお泊まり会をしている。





 お泊まり会が楽しいのは解るが、小学生がこんな深夜まで起きていては身体に悪い。というか、





「『逃げろ』って……父さんまで一緒に何してるんだ?」





 手に持っていたカードをシャツの胸ポケットに入れて、階下へ向かう。





 ドッタンドッタン賑やかな足音が聞こえてくるのは、階段を左へ折れて廊下の奥にある道場からだった。明かりは点いていないが、引き戸は開いている。





「父さん? 何を――」





道場の中を覗き込み、アキラは息を呑む。





 父が、闇の中で何者かと対峙していた。





 木刀を構えてこちらへ背を向けていた父は、ハッとこちらを見て怒鳴る。





「馬鹿者! 早く逃げろと言ったのが聞こえなかったのか!」





 その隙を衝いて、侵入者が袈裟斬りの一撃。が、父は素早く退いてそれを躱す。





侵入者の手元から、何かがキラリと光りながら舞い落ちた。





 それで慌てたのか、身長からおそらく男と思われる侵入者は体勢を崩し、父に押し込まれて退き下がる。





 アキラはそれを見ながら呆然としていたが、ハッと我に返って、道場に備えつけられている座敷のほうを見る。





 そこでは門下生である三人の少女が布団を敷いて眠っているはずだったが、そこに彼女らの姿はない。窓の下、月明かりの下に並んでいる三枚の布団は、そのどれもが空だった。





 少女たちが開けたのだろうか、窓から吹き込んできた秋の夜風が、侵入者が先程落とした何かをアキラの足元へと運んできた。それへと目を落として、





「え……?」





 目を疑う。





 それは三枚のカード――今、アキラの胸ポケットに入っている物と同じ、女児向けカードゲームのカードだった。





 だが、それは妙だった。





 そこにプリントされているキャラクターのデザインが、見たこともないものだったのだ。





 否、あるはずもない。そこで目を閉じ、胸の前で手を合わせているのはゲームのキャラクターではなく、門下生の少女たちだ。





「お前、いったい何を……?」





 アキラが慄然としながら侵入者を見ると、父に押し込まれていた侵入者が父を蹴り飛ばし、仰け反った父の胸へとキラリと光る何かを押し当てた。





 ナイフ――





 一瞬そう思ったが、どうやらそうではなかった。なぜなら、それを当てられた父の胸から飛び散ったのが鮮血ではなく、強烈な閃光だったからだ。





闇を裂く閃光で、目は痛いほどに眩んだ。それでもどうにか目を開くと、侵入者は既にこちらへと駆け出していた。落ちていたカードを拾い上げ、そのままこちらへ突進。この道場の物であるらしい木刀を振り下ろしてくる。





「くっ……!」





転がるように逃げ躱して、アキラは戸惑う。





「父さん……?」





 父の姿がどこにもない。先程まで父がいた場所には、一本の木刀が転がっているだけ。





忽然と父が消えた。





 呆然としているうちに、侵入者はサッと身を翻して、開いた窓から外へと逃げ出す。





「ま……待てっ!」





 何も解らない。解らないが、いま彼を逃がせば、父も門下生の少女たちも二度と帰ってこない気がする。そんな直感に衝き動かされ、アキラは侵入者を追走する。





 深夜の住宅街に、ひと気はない。





 点々と街灯の明かりが落ちる狭い路地を、アキラは夢の中にいるような気分で走った。





 ――アイツ……タバコの臭いがする。





 侵入者は身長は百七十センチほど、すらりとした細身で、黒いコートを羽織っている。目深にフードを被っているため、顔は全く見ることができない。





 土地鑑があるのだろうか、侵入者は路地を迷う様子もなく駆け抜けて、やがて通りへと出ると、その先にあったデパートへと駆け込んだ。デパートの地下にはスーパーがあり、そこだけは二十四時間、開店しているのだった。





 なぜそんな場所へ? 戸惑うが、ひたすら追いかけることしかアキラにはできない。





 追って店内へ入ると、エスカレーターを駆け下りていく侵入者の後ろ姿が見えた。





 アキラはそれを追いかけて階下へ降り、





「えっ」





 思わず足を止めた。





ありえない。





 呆然と立ち止まり、侵入者が入っていった――ように見えた物体を見つめる。





 これは夢か? そう思いながら、ふわふわとした足取りでその物体――女児向けカードゲームの筐体の前に立つ。





 見間違いでなければ……侵入者は、この画面の中へ入って行った。





自作、あるいは既存のキャラクターを登録して、ゲームプレイや、カード付属の商品を購入することなどによって手に入れたファッションアイテムをそのキャラクターに着させながら遊ぶ、リズムゲーム――『プリンセス・キングダム』。





 アキラは一月ほど前まではよく自分も遊んでいたそれ――シリーズは変わっても、変わらず使われ続けている筐体の前に立って、真っ暗な画面を呆然と見つめる。





 なぜだろうか、左に並んでいる同じ筐体は電源が入っているのに、こちらだけはそれが落とされている。いや、よく見ると、画面は真っ暗ではなかった。淡く青い水紋が、まるでそこに水面があるかのように浮かんでいる。それに軽く触れてみると、





「なっ!?」





指がスッとその中へ入り込んで、慌てて手を引く。





 ――追うべきなのか? 追って大丈夫なのか? 





 そう迷っているうちにも、見る見る水紋の光は弱まっていく。それを眺めて立ち尽くしながら、アキラはふと、つい数時間前のことを思い出していた……。

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