12-1 わずかに残っていた理性を引きちぎります

 




 食堂での夕食を終え。


 エリシアは一度自室へと戻り、パジャマや下着などの仕度をしてから、寮内にある大浴場へと向かった。

 ほとんどの生徒が親しい友人と共に行動する中、彼女はやはりここでも一人だ。


 しかし、一人きりでいることを恥ずかしいとか寂しいとか、そんな風には微塵も思わない。

 何故なら彼女は早く入浴を終え、消灯までの僅かな時間をも勉強に費やしたいと考えているからである。

 友人に合わせてダラダラと風呂に浸かっている暇など、ないのだ。


 手早く、効率よく全身を洗い。

 風呂を出、髪を乾かし。

 スタスタと部屋に戻り、鍵を閉め、真っ直ぐに机に向かう。

 そしてノートを開き、今日学んだ魔法に関する知識を復習する。

 それが、彼女の日課だった。



 放課後、チェロに個人レッスンをしてもらっているおかげで、精霊の種類とそれを発現させるための魔法陣の知識はかなり身についてきた。

 あとはこれをどう応用させて、望む食べ物を生み出すか……である。

 彼女としては、水の精霊・ヘラを用いることでスープなんかが作れるのでは? と考えているのだが。



「……それがなかなか、難しいのよね」



 彼女が味とにおいとで感じている、空気中の見えない"ナニカ"。

 その正体がわかれば、魔法と組み合わせて無尽蔵に食糧を生み出すことができるかもしれない。


 学院アカデミーに入学してから約半年。母の墓前で固い決意を語ったあの日から、明日で一年だ。

 見えない"ナニカ"の味の種類や、感じる場所の傾向を分析し、彼女なりに考察を進めてきたが……

 『錬糧術れんりょうじゅつ』実現という夢は、果たしていつ叶えられるのだろうか。



「……………」



 ノートをまとめながらそんなこと考えていると、



「消灯時間でーす。灯りを消してくださーい」



 廊下から、見回りの先生の声が聞こえてきた。


 エリシアはおとなしく、勉強机の上のランプを消し。

 ふかふかのベッドの中へと、潜り込んだ。






 ……その、三時間後。


 睡眠薬入りワインを一気飲みしたせいで、未だ深い眠りの中にいるチェロを一瞥し。

 クレアは倉庫の扉を開け、静まり返った廊下へと足を踏み出した。

 深夜の寮内を見回る警備員は先ほど下階へ降りて行ったばかりだ。しばらくは戻ってこないだろう。


 彼は足音と気配を殺し、迷いなく一つの扉を目指す。


 三階の、奥から二番目の扉。

 エリシア・エヴァンシスカの部屋である。


 クレアは先ほどチェロから奪った鍵の束から「三〇二」と刻印されているものを手に取ると……

 鍵穴へ差し込み、ゆっくりと回し開ける。

 ガチャ、と解錠の音がする。一度動きを止め耳をすますが、今の音で起きた様子はない。


 ドアノブを静かに回し、押す。

 禁断の扉は、いとも容易たやすく彼の侵入を許した。


 息を潜め、部屋の中へと入る。

 扉を閉める動作にも最大限の注意を払い、閉め切ったところでようやく振り返り……

 その部屋の全貌を眺めた。



「………………」



 散らかった部屋だった。正面にある勉強机の上にもその周りにも、本やノートが山のように積まれている。

 しかしよく見ると、それ以外には物がほとんど置かれていない、こざっぱりとした空間だった。勉強机の隣にあるタンスの上には学院指定の鞄が置かれているだけだし、壁にはハンガーにかけられた制服がぶら下がっているのみ。花や写真やぬいぐるみといった女子らしい装飾品は、一切なかった。


 そして、右手の奥にベッドが一つ。

 その白いシーツが小さく盛り上がり、規則正しく上下している。



 彼女だ。

 エリシアが、眠っている。



 そう、ここはエリシアの部屋。

 その事実にクレアの鼓動が加速し始めるが、「これは任務、これは任務」と自身に言い聞かせ、忍び足で部屋の奥へと進んでいく……

 ……と、次の瞬間!


 ──ふわっ。


 せっけんのような、みずみずしい花のような、なんとも言えない甘い香りが鼻をつき……



「…………!!」



 クレアは、悶絶する。


 ちょっと待って、なにコレ……めちゃくちゃいい匂い! 女の子特有の甘い匂いが、部屋中に充満している……!!

 嗚呼……さっきまで酒臭い全裸リボンの痴女と狭い倉庫にじっと隠れていたせいで、ここの空気が余計にうまく感じられる……肺胞の一つ一つが歓喜しているようだ。すーはー。


 すごい。エリシアちゃんの匂いで、部屋がいっぱいだ。

 ……頭クラクラしてきた。



 それを振り払うように、彼は軽く頭を振り。

 再び歩を進め、大量の本が積まれた勉強机を目指す。


 ここに置けば、確実に気づいてもらえるだろう。そう思いながら、胸元からそっと、一輪の花を取り出す。

 茎にリボンを結んだ、白いマーガレットの花だ。


 それを、開きかけのノートの上へ置く。

 暗くてはっきりとは見えないが……そこには綺麗な文字と、魔法陣のようなものがびっしりと、ページいっぱいに書かれているようで。



 ……ジェフリーさん。あなたの娘はこんなにもひたむきに、一生懸命に勉強していますよ。

 友だちがいないのが玉にキズですが……その気になれば、いつだって作れるはずです。

 だから心配せずに、見守っていてくださいね。



 この世を去ってもう一年になる元上司に、胸の内でそう報告し。

 今年も彼に代わり、最愛の娘に誕生花を届ける任務が完了した。


 ……さて。あとは部屋を静かに出て、倉庫内で熟睡しているチェロのポケットにこの鍵の束を返し、寮を出よう。


 クレアは小さく頷き、扉へと向かう……

 ………が。



「…………………」



 少しだけ。ほんの少しだけ。

 クレアの中に、欲望が湧き上がる。


 ただ、それは決してよこしまなものではなく。

 純粋に、『彼女の寝顔を近くで見てみたい』と。

 そう、思ってしまったのだ。



 そっと、最大限に気配を殺して。

 クレアは、エリシアが眠るベッドへと近づく。


 段々と聞こえてくる、可愛らしい寝息。

 横向きに、丸まるように寝ているようだ。

 ベッドの右側へと回り込み、音を立てぬよう姿勢を低くし……


 彼は、その寝顔を覗き込んだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る