絵の中の女の子
『今日は、体育祭実行委員の集まりがあるから、私も美春も部活には出られないと思う。のんちゃん、悪いんだけど、渋谷君が多分部室で絵を描いてるはずだから、帰宅するときには鍵を閉めるように伝えてくれないかな。渋谷君、スマートフォンとか持ってないから、連絡できないの』
俺がスマホに届いた夕貴からのメッセージに気づいたのは、授業が終わりいざ帰宅しようと教室を出た直後であった。
うちの高校は、毎年五月に全学年合同で体育祭を開催する。
クラスごとに一年、二年、三年の共同チームとなり、競技内容によって得られる点を競うというよくあるパターンだが、この時期にやる理由は『一年生に、全校挙げてのイベントをいち早く経験させる』というものらしい。
俺は、二年B組である。つまり、一年B組、三年B組の先輩後輩と同チームになるわけだ。
──なぜだろう、とてつもなく嫌な予感がする。
まあ、予感は予感だ。俺の予感は自分で言うのもなんだが、割と当たらない。あまり気にしないようにして、夕貴にお願いされたことを遂行しようと部室へと向かった。
渋谷先輩は、正直苦手だ。絵を描くことにストイックで、美術部内で雑談が盛り上がろうが、お構いなしにキャンバスに向かっていることのほうが多い。そんな姿勢で部活に打ち込んでいるからこそ、絵画コンクールで入賞するくらいの実績をあげているともいえるのだろうが……
渋谷先輩と会話したのなど、二年生に進級してからは、この前美春先輩の妹を助けて一時だけヒーロー扱いされた時くらいだ。
……………………
ふつうは、そんなときにすら、俺に話しかけてくることなどないとも思えるが……なぜ、あの時はわざわざ俺に話しかけてきたんだろう。しかも、何やら意味深なことを言っていた気もする。
「……ま、いっか」
なぜかひとりごとをつぶやきつつ、俺は美術部室へと入った。しかし、中には誰もいなかった。
渋谷先輩の定位置には、イーゼルに固定されたキャンバスがあったので、おそらくトイレかどこかへ行っているのだろうとは予想がつく。
そして、そのキャンバスは薄い布で覆われていた。
そういえば、俺はここ最近の渋谷先輩がどんな絵を描いているのかを知らない。興味本位で、布をめくって渋谷先輩のキャンバスを覗いてみた。
「……えっ……?」
すると、思わず声が漏れた。そこには、花が沢山咲いている丘で微笑んでる、くりくり頭の少女が描かれていたからだ。
────そう、まるで、元気だったころの愛美のような少女が。
「………………」
しばし固まってしまった俺だが、部室へと近づいてくる人の気配を感じ、慌ててキャンバスに薄布をかけ直した。
部室のドアが思い切り開き俺はビクッとすると同時に、ドアを開けた渋谷先輩も驚きの表情を見せた。俺がいるとは予想すらしなかったのだろう。
しばしお互いに無言。何となく気まずい空気であり、なぜか渋谷先輩もドアのところで立ったまま微動だにしないが、このままではどうしようもない。俺は軽く挨拶から会話を始めた。
「こんにちは、渋谷先輩。誰もいないのに鍵が開いていたから不思議でしたが、先輩がいたんですね」
「……ああ。絵を描こうと思ったら、
車谷先生というのは、美術部の顧問である。話というのは何か、すぐに予想はついた。
「ひょっとして、美術展に出品する話ですか?」
「……そうだ。五月末で締め切りだからな」
そこでやっと、渋谷先輩が部室へと入ってきた。作品を仕上げる邪魔をするのも忍びないと思い、俺は用件だけ伝えることにする。
「きょうは、体育祭の実行委員の集まりがあるため、部長も副部長も部活に出れないそうです。なので、もし誰かが部室にいたら、帰るときは部室に施錠をお願いします、と伝えてくれと」
「……そうか、わかった。ありがとう」
「いいえ。では、俺はこれで失礼します」
渋谷先輩と入れ違うように、俺は部室のドアへと向かって進んだ。そして、部室を出ようとしたその時。
「……見たか?」
背後から不意に、そう声をかけられた。俺は質問で質問に返す。
「……先輩が今描いてる、絵のことですか?」
振り返って確認できたのは、無言で頷く先輩だった。何やら険しい表情をしている。
「いいえ、俺も今部室に来たばかりですから。……では、失礼します。頑張ってください」
抑揚なくそう言うだけで精いっぱいだった俺は、これ以上突っ込まれてボロを出す前にこの場を去ろうと、部室のドアを閉めた。
──バタン。
扉の向こうの渋谷先輩は今、どんな表情をしているのだろうか。
まさか──いや、先輩と愛美が知り合いだった、なんてことはおそらくはないはずだ。先輩が描いていた女の子は、ただの偶然だろう。
…………
じゃあ、なんで俺に訊いてきたのだろうか────
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