ヒーローの形


 ――まぶしい。


 覚醒した山未宗助が最初に感じたのは、見慣れぬ天井の明かりだった。

 冷たい床。きしむ体。

 どうにか体を起こして、辺りを見わたす。

 倒れている自分の父。ベッドで眠る雅。

 徐々に記憶がよみがえる。自分は確か、宗蓮に胸を貫かれたはずだ。

 ふと、その個所に手を当てる。

 穴が開いていたはずの所には、傷一つなく、ただ服だけが破れていた。

 

『生き返ったんだよ』


 あの映画館の中で真理が言った言葉を思い出す。

 辺りを見わたす。

 真理の姿はどこにもなかった。

 映画館での出来事を思い出す。


 あの映画館は自分の精神世界だと言っていた。そして、そこにいた真理は、彼女自身であると。

 ――そうか、彼女は。


 そっと傷があった箇所をさする。

 ――ここに居るのだ。


 彼女と過ごした短い日々が瞼の裏によみがえり、最後に彼女が自分に告げた言葉を思い出した時――。

 宗助はその場で自分の体を抱きしめて、声も上げずに泣いていた。 


◆◆◆


 終わらせろ、と真理は言っていた。

 雅を戻さなければならない、あの平穏な日常に。

 涙をぬぐい、宗助は雅が眠るベッドへと歩き出した。

 体は重く、視界は涙でぼやけていたが、それでも宗助は歩みを止めなかった。

 それが自分のすべきことであると、真に理解していたからだ。


「ふぅん、負けちゃうなんてね」

 それは少女の声だった。

 その声は頭上の二階部分から聞こえていた。

 見ればそこには、自分と同じ学校の制服を着た少女が、手すり部分に座ってこちらを見下ろしていた。

 目と目が合い、少女はニコリと笑って、そのまま身を投げる。

 二階から飛び降りた少女は、しかし一階の床に直撃することは無く――。


 鈍い金属音と共に綺麗に着地した。


「お前――」

 宗助はその少女に見覚えがあった。

 真理と出会ったあの日。

 少女は――自分に保険医のカルテを調べるように頼み込んできた少女だった。

 少女は口を三日月のように歪ませて笑う。


「久しぶりだね山未君。カルテのデータは助かったよ。――おかげで的が絞り込めた」

 かつて真理が言っていた、夢女の協力者。

 それが彼女だったのか。


「宗蓮の仲間か」

「何言ってんの? ワタシが――山未宗蓮だよ」

「――は?」

 こいつは何を言っているのだろう。

 こんな少女が、自分の父親のわけがない。

 そもそも、そこで寝転がっている宗蓮は何なのか。 


 ――いや、待て。


「鈍いねぇ、もう。全身を機械化する時に、脳も機械に置き換えたんだよ? 『コピーくらいとるでしょ、普通に』」


 直後。

 二階の個室の扉が一斉に開いた。

 黒いスーツに身を包んだ、長身の男が出てくる。

 他の部屋からも老若男女様々な人間が這い出てくる。


「アノマリーを研究し制御し、世界を変える。その目的のためには人の体は脆すぎる。だからこうして体を機械に変え、量産し、コントロールすることにした。作業内容に特化するよう、精神構造にはある程度手を加えている。そこで寝転がっている個体は、戦闘特化型だから口数が少なかったのさ」

「アンタは――何なんだ」

「だから、山未宗蓮だってば。でもまぁ、しいて言うなら、人類を新たなステージに導く『システム』ってとこかな。人の身を捨て、人を導く概念へと昇華したのさ」

「昇華……?」

 脳裏によぎるのは、真理の姿だった。

「『なり果てた』の間違いだろう」


 二階から宗蓮たちが降りてくる。

 もう真理はいない。自分と、雅を守ってくれる人はいない。

 ならば、自分が戦わなければならないのだ。

 そのイメージは自然と頭の中に浮かんでいた。

 思い返せば、それらしいものは自分は一つしか知らなかった。


 そのイメージを強く抱いて、腕を振るう。

 轟という音と共に炎が舞う。

 倒すべき悪が居て、守るべきヒロインが居て、自分がヒーローとなるのなら、その形は一つしか知らないのだ。


「アノマリーとして覚醒したのか」

 驚いたように少女体の宗蓮がつぶやく。

「でも一人で何が出来るって言うのさ。お前はこのまま、ワタシたちに捕まって、研究材料になるだけだ!」

「一人じゃねぇよ……!」


 傷跡を強く叩いて吠える。

 この身は、この力は、自分一人で得たものではない。

 彼女がその命を犠牲にして、辿りつかせてくれたものだ。

 自我無き彼女が、ようやく手に入れた個としての心と命を捨ててまでして、自分にくれた力と体なのだ。

 だから――。


「お前なんかに負けるもんか」

 宗蓮たちから庇うように、雅の前に立つ。

 手に平に意識を集中する。突如として、そこに火球が現出する。

 それを宗蓮たちに向けて放つ。

 と、同時に宗蓮たちがこちらに向かって駆け出した。

 何体かに当たったものの、そんなことは気にせずに、宗蓮たちは突進してくる。

 

 ――もっとだ。


 宗助は強く念じる。

 これらを焼き尽くすほどの炎が必要だ。

 右腕を強く振って薙いで、炎を作る。さっきよりも大きく熱い炎を。

 

 服が焼ける、手が焼ける、腕が焼ける。

 そんな些末なことは気にしない。

 今はただ、勝たなければならないのだから。

 炎の波が宗蓮たちを飲み込んでいく。

 それでもまだ半数以上の宗蓮が残っていて、それらが突進を仕掛けてきていた。

 

 ――まだだ、もっとだ。もっともっともっともっと!

 

 右腕は動かしづらくなっていた。

 慣れない左腕を振るい、宗助はなおも強く念じる。

 さっきよりも巨大な炎の波が現われ、宗蓮たちを飲み込んでいく。

 ただ、その炎は宗助の体も同じく焼いていて、その左腕は焼けただれていた。

 左腕は使いものにならなくなった。

 しかし、まだ。


「やるじゃないか、やるじゃないか、やるじゃないか」

 壊れた人形のように笑う、宗蓮が一人だけ残っていた。

 それは先ほどまで喋っていた少女体の宗蓮だった。


「あぁでも、これで最後だろうけどね」

 トン、と宗蓮が床を蹴る。

 その小さな体が大砲の玉のように発射され、こちらへと飛んでくる。

 迎撃しようと右腕をどうにか動かして、炎を放つ。

 

 炎の波は、しかし、宗蓮に当たることは無かった。

 

 するりと、その波を避けた宗蓮はそのまま宗助にタックルを仕掛ける。

 宗助は腰に強い衝撃を感じて、思わず後ろに倒れ込む。

 宗蓮が馬乗りになり、宗助に拳を振り下ろす。

 何とかそれを躱すも、もう片方の手で頭を掴まれ、そのまま頭突きを食らわせられる。


 脳を揺さぶられ、意識を手放しかける。

 左腕は動かない。

 右腕もほとんど動かない。

 明滅を繰り返す意識をどうにか繋ぎ止めながら、宗助は思考する。

 

 ――ならこれしかない。


「動けぇぇぇ!」

 宗助は叫んだ。

 右腕に渾身の力を込めて、それを動かし、宗蓮の後頭部を掴んだ。

 抱きしめるようにして抱える。

 

 そして、念じた。

 燃えろと、自らの体ごと。

 巨大な炎の柱が現われ、宗助と宗蓮を包み込む。

 炎に抱かれながら、宗助はその痛みに耐え続けた。

 髪が燃え、肌が燃える。宗蓮の断末魔は遠くに聞こえ、自分の意識も消えそうになる。

 だが、まだだ。

 まだやめられない。ここで決着をつけなければならないのだ。

 その一念だけを胸に、宗助は宗蓮の断末魔が聞こえなくなるまで、その身を炎で焼き続けた。


 宗蓮が死に、宗助は炎を消した。

 けれど、その体が動くことは無かった。

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