怪物
「目覚めの一杯はどうする?」
「コーヒーで良い?」
「紅茶の方が良くない?」
「普通のお茶の方が良いんじゃない?」
「うーーん、でもやっぱ――」
「待って」
それぞれに好き勝手喋る真理たちを、宗助は手で制した。
宗助は真理の家にいた。
昼間に来た時から、そこは随分と様変わりしていた。
何もなかったリビングには、今はテーブルと椅子が置かれていた。
その横には先ほどまで宗助が寝ていたベッドがある。
宗助は真理の一人とテーブルを挟んで座っていた。ほかの真理はキッチンをうろついたり、部屋の中をぶらぶらしていた。
つい先ほど、目覚めたばかりの宗助は、何はともあれ真理に対して状況の説明を求めていた。あの怪物のような夢女や雅が狙われた理由。
そして何より、真理について。
「気分は大分落ち着いたようでよかった。寝起きのアレが良かったのかな」
「――ベッドの中に裸で潜り込んでた話をしてるのなら、断じて違う」
気を失って、再び意識を取り戻した時。
真理がベッドに裸のまま潜り込んで、しかも抱き着いていたことを思い出す。
「えーー、でもあれが一番キミたちにとっては落ち着く行為だって、本に書いてたよ」
「――相手を選ぶんだよ」
「ほうほう、覚えておこう」
どうにかほかの真理たちにも服を着てもらい、多少の心の安寧を図ったところで、こうして真理と対面で話している状態だった。
別の真理がコップを自分たちの前に置く。
泡立つ黒い液体で満たされた透明な器が、目の前に置かれた。
結局、飲み物はコーラになったらしい。
「さて、キミには結論から話すことにしよう」
コーラを一口飲んで真理が言う。
「ワタシは別世界の生命体だ」
それは、今日の夕飯を知らせるくらい軽く、彼女の口から飛び出た言葉だった。
しばし、じっと真理を見つめる。
その目に揺らぎはない。嘘偽りがあるようには見えなかった。
いや、彼女の表情だけを見て判断したいのではない。
先ほどの夢女との一戦。増殖している真理たち。
それら全てを踏まえたうえで、彼女の言うことを信じざるを得ないと感じているのだ。
「それは、信じよう」
「ありがとう。まずはキミがそこを信じてくれなければ話が先に進まないからね」
「――それで、別世界の住人が何しに来たんだ。侵略?」
「そんなことはしない、むしろ逆だ。こっちに侵略者がいるのさ。ワタシたちの世界を脅かす、悪いやつが」
真理の言葉に、彼女と対峙していた夢女を思い出す。
「あれか、さっきの――」
「当たらずも、という感じかな。あれは侵略者の尖兵みたいなもんさ。黒幕は別にいる。ワタシはその黒幕を潰しに来たんだ」
「――てことは、黒幕はいまだ健在ってことか」
「うんうん。夢女は倒したけれども、そこまでの話だったしね」
倒したと言えば、と宗助の脳裏に雅の姿が思い浮かぶ。
「あぁ」
宗助の様子から察したのか、真理が口を開いた。
「風許雅なら無事だよ。いろいろ後始末をしてから、家に送り届けた。キミを運ぶのと彼女を運ぶのと、後始末をするのとで大変そうだったから、これだけ増やしたんだ。まぁ、一人は留守番だったからよかったけど」
「留守……?」
「それワタシ」
キッチンでコーラを飲んでいる真理が手を挙げた。
「キミ、昼にここに来て、ワタシを見るなりビックリして逃げたでしょ」
「――もしかして、昼間の老婆って」
「だからワタシだってば。あの時はセーフモードでいろいろオフにしてたから、見た目とか、かなり違ってたとは思うけど」
「……かなりとかいうレベルじゃなかったけどな」
「さて」
対面の真理が言う。
「話を戻そうか。ワタシはその侵略者を倒したい。けれど、あいにくとこの世界にはまだ疎いところがある。そこで――」
すっと、真理の瞳が宗助を見つめる。
「キミに協力してほしい」
しばし間があり、そして真理が再度口を開く。
「ワタシにはキミが必要だ」
◆◆◆
それはある夏の日だった。
当時、研究者として大学の研究室にこもりきりだった私は、気分転換に実家に帰ってきていた。そこで久しぶりに『オヨバレさん』の噂を耳にした。
母や祖母が残してきた怪談が、これほどの時が経ってなお、まだあるのかと驚いたものだ。
噂は近所の子供たちの間で流行っているらしく、内容自体は特に変わっていないらしい。
私は当時実際に何人かの子供たちは行方不明になっていたことで、本当にオヨバレさんというものは居るのではないかと、二〇も半ばにもなって、そんなことをふと思ってしまっていた。
馬鹿げた話だった。
そんなものがいるわけがない、と。心の底から思っていた。
しかし、一度そう思うとすっかり居もしない妖怪のような存在が頭をちらついてしまっていて、気が付けば私は『悪魔の証明』のようなことを始めていた。
『オヨバレさん』の正体を暴く、というのが目的だった。
つまり失踪事件の真犯人を見つけてしまえば、オヨバレさんを否定できると考えたのである。
しかし、現実は思いのほか単純だった。
夜。河川敷を散歩している最中に、私はソレと出会った。
それの肌は白く、たるんでいた。
形状は人のソレに近く、二本の足で立ち、長い腕を垂らしていた。
目は無く、頭部には鋭利な歯だけがずらりと並んでいた。
――怪物だった。
それが、ざばぁっと音を立てて、川の中から土手へと這い上がってきたのだ。
そしてそれは私を見つけると、声も上げずに襲い掛かってきた。
恐れるでもなく、おびえるでもなく、私はただ。
私は――。
私は見入っていた。
人ではないその怪物の存在の全てに見入っていた。
何が進化した生物なのか。
どこから来たのか。
これはオスなのだろうか。
いや、そもそも雌雄などあるのだろうか。
一人なのか、複数いるのか。
突如、目の前に現れた未知の生命体に、私は心を奪われた。
足と腕を使って襲い掛かるソレを前に、私は観察だけをしていた。
走り寄るソレは、あるところで飛び上がり、腕を振り上げた。
手には鋭利な爪が生えていた。
そしてそれが今まさに振り下ろされんとしたその時、
「待って」
暗闇に少女の声がこだました。
爪がぴたりと止まる。ソレの爪は、頭上で止まっていた。
「怖くないの?」
その声は震えていた。
ざっざと、草を踏み鳴らして、少女が高架下の暗闇から現れる。
幼い体が月明かりに照らされる。
小汚いワンピース。がりがりの体。ぼさぼさの髪の毛。
みすぼらしい格好の少女が、じっと私を見つめていた。
「怖いさ」
怪物を目の前に、正直に言った。
「でも、それより、こいつは何だ……?」
「……ふぅん」
ややあって、息をのむようなそぶりを見せてから、少女は口を開いた。
「その子、あげるって言ったら、どうする……?」
「ん?」
少女の奇妙な問いに、私は思わず聞き返した。
「そしたら、わたしを……匿ってくれる……?」
少女の声は不安に満ちていた。
探るような眼で私をじっと見ている。
「……殺しちゃったから、その子が……」
少女は静かに泣いていた。
私は怪物を見ていた。
怪物は私を見ていた。
その夜、私は『ナユタ』と出会った。
――Yamami_LogData_00001_00019 より
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