下らないボクと壊れかけのマリ

ガイシユウ

夢女

 広瀬恵子ひろせけいこは、その日もいつもと同じように残業で疲れた足を引きずって、静かな夜の街で帰路につくはず……だった。


 だった――、というのは、その日は何かが自分の後ろに居るような気がしたからである。

 気になって振り返るが、そこにはただ寂しい夜の街があるだけ。


 ――気のせいだ。


 広瀬は自分にそう言い聞かせて、足早に家へと向かう。

 残業続きで疲れているのだろう。今年でもう二十八歳だ。

 昔と同じように無茶をすれば、こうして体に返ってきてしまうのだろう。

 

 最近は妙な夢も見る。


 商店街へと入る。

 今はどの店もシャッターが下りていて、人の気配などどこにもなかった。


 その冷たさが、背中に張り付いた不安をいっそう大きくする。

 今にも、とんとんと肩を誰かに叩かれそうな気がしてならない。

 どうしてこんなことを思うのかは分からない。

 しかし、今はどうしようもない恐怖に身を包まれていて、もう今にも駆け出しそうになっていた。

 そんな時だった。


 ぺた、ぺた。


 何かが背後で聞こえた。

 水で濡れた素足で歩いた時のような音だった。


 広瀬の中にあった不安が爆発する。

 気づいたときにはすでに走り出していた。


 ぺたぺたぺたぺた。


 背後の足音も追いかけてくる。

 何が追いかけてきているのかは考えたくない。

 広瀬はただ必死になって商店街の中を駆けて我が家を目指す。


 ふと、進行方向に少女らしき影を見た。

 それと同時に広瀬の足はもつれて、うつ伏せに倒れ込んでしまう。

 額にアスファルトの地面がこすれ、手のひらがすれる。

 

 起き上がろうとして、ふと、視界の端で揺れる黒い線を捉えた。

 それは髪の毛だった。異様に長くてぼさぼさの髪の毛。


「あ」


 気づけば足音は聞こえなくなっていた。

 追いかける必要がなくなったからだ。


 未だうつ伏せのまま自分の首に、何かの吐息がかかる。

 何かが自分の上に居る。

 頭が真っ白になって、何が起こっているのかが分からなくなる。

 

 いや、違う。

 広瀬は否定した。


 これは夢なのだ。

 残業疲れで見てしまった、悪い夢。

 いつも見ている妙な夢の延長なのだ。

 だからこうして、目をぐっとつむれば起きることが――。


 ゴン、と何かが振り下ろされた。


 広瀬の頭が地面に激突した。

 頭が揺れて、広瀬の意識は闇の中に堕ちていき――。

 

 そして二度と目覚めることは無かった。

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