46杯目 王様の休憩

 ――まだランチやってるかなぁ……。

 時間は三時ちょっと前。有紗はリストランテ・クオーリの前にいた。

 今日は平日だが、色々あって昼食を食いっぱぐれた。多少ストレスが溜まっていたのと頑張った自分へのご褒美もかねて、足を伸ばしてクオーリまで来た次第だ。

 だが、如何せん時間が良くない。三時といえば、ランチタイムが丁度終わる頃だ。以前来たときに出ていたランチの看板も今は出ていない。

 有紗は思い切って店の扉を押した。

 足を踏み入れた店内はがらんとしていて、奥の方にぽつりと人影が見えるだけだった。その人影も、木葉とジョリーが向かい合って座っているもので、客と言えるかは微妙だ。

「お。アリスちゃん、久しぶり」

 カウンターの向こうから瑛が顔を出した。

「あの、ランチまだ大丈夫ですか?」

「あー、サラダ切らしちゃったんだけど、デザートセットでいいなら大丈夫だぜ」

「じゃあ、それでお願いします」

 昼ご飯にありつけるのであれば、正直サラダは二の次だ。

 席を求めて奥に入ると、木葉とジョリーに手招きされた。招かれるままにそちらへ行くと、二人は大きなボウルに入ったサラダを挟んで昼食を取っていた。まだメインは来ていない様子で、取り分けたサラダを食している。

「ゴメンね。サラダなくなっちゃった理由、これの所為なんだ」

 そう言ってジョリーが指さしたのが、テーブルの真ん中に置かれているサラダの入ったボウルだった。

「余ってたサラダ全部まとめてぶち込んじゃったんだよ」

「お気になさらないでください。お昼を頂ければ充分なので」

「僕ら取り分けて食べてるから、良かったらここから取って。っていうか、取り分けるね」

「え、でも……」

 遠慮を示して手の平を見せていると、口の中のものを飲み込んだ木葉が顔を上げた。

「そんなところにいないで、一緒に飯食おう?」

 木葉が隣の席を叩いて招いてくれた。断る理由も無いので、その場所に腰掛ける。

「アリスちゃんは何食べる?」

 瑛が水とお手ふき、取り皿、フォークを持ってやってきた。

「えーっと……」

 何も決めてきていなかったので、近くにあったラミネートされたペラを取って見た。前回はピザを食べたから、今日はパスタにしようか。つらつらと眺めながらそんなことを思う。やがて目に止まったのはカルボナーラだった。

「じゃあ、カルボナーラください」

「了解」

 メモも取らずに瑛は立ち去り、入り口の扉にかかっている札をOpenからCloseに変え、キッチンへ戻っていく。その間にジョリーが取り皿にサラダを取り分けてくれた。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 早速食べると、レタスをメインにした簡素なサラダが空腹に染みた。時々顔を見せるコーンが甘いアクセントになっていい。

 横ではボウルの中にまだ沢山残っているサラダを二人がせっせと取り分けていた。既に最低一皿は食べているのに、まだボウルの中はレタスで満ちている。そこからもう一皿分ずつ取り分けて、漸く残り二人前くらいになった。

「もっと食べる?」

 まだ取り皿の中に残っている状態で訊かれ、有紗はかぶりを振った。

「これで充分です」

 正直、二皿もサラダを食べたらそれだけでお腹が膨れてしまいそうだ。

 二人は先程取り分けたばかりのサラダをあっという間に完食すると、ボウルの中の残りを綺麗に分けてしまった。

 ――恐るべし、男子の胃袋。

 しかも彼らは皿の中のものを小気味いい勢いで消費していく。見ていて気持ちがいいくらいだ。

 彼らの様子を見ていて思い出すのは、背の高い大食いのこと。

 ――最近、忠臣さんに会ってないなぁ。

 三月に入ってから一度も顔を合わせていないような気がする。彼だったら取り分けもせずにサラダを食べそうだ。

 有紗が取り分けられた一皿を食べ終わるのとほぼ同時に、隣の二人もサラダを完食していた。テーブルの上を空けるべく、ジョリーがボウルと取り皿をキッチンへと下げに行った。

「オレンジジュース飲む人っ!」

 キッチンからジョリーの声がかかる。

「はいっ!」

 木葉がすぐさま右手を挙げた。

「あっ、はいっ。私も!」

 少し遅れて有紗も手を挙げる。

 ――なんか、お友達の家に遊びに来たみたい。

 ノリと勢いがそれに近い。こういうときはノリ遅れたら負けだ。有栖川茶房と同じで、既に客扱いされていないことを肝に銘じて存分にノらなくては勿体ない。

 食器を下げに行ったジョリーが、オレンジジュースを三人分持って戻ってきた。早速一口飲むと、果汁の味が濃くて程よい酸味が口の中一杯に広がった。

「ここのオレンジジュースって濃くって俺、好き」

 木葉がほくほくしながら橙の液体を美味しそうに啜っている。

「そういえば、木葉さんはお昼休みですか?」

「そう。遅くなっちゃったんだけどね。ここって、ランチタイム終わると一旦閉めちゃうからギリギリ間に合った感じ」

「お店ってこの辺りなんですか?」

「割と近くの商店街の中にあるんだ。そうだ、これ。ショップカード」

 そう言って差し出してきたのは、店の名前と地図が書かれた名刺サイズのカードだ。縁取りの飾りも付いていて、可愛らしい。地図を見ると、成る程、クオーリの裏にある商店街に店を構えているようだ。この辺りには土地勘が無いので近いのか遠いのかまでは判別できない。

「あー。木葉がお得意の営業してる」

「これは宣伝」

「似たようなものじゃない」

 そう言ってジョリーもオレンジジュースを啜った。

「ところで~」

 なおも木葉の〝宣伝〟は続いた。

「五月なんだけど、ご予定どう?」

 五月、と言われ、思いつく行事は一つしか無かった。

「五月ですか? 誕生日に何か頂けるんですか!」

「え。誕生日? 五月に誕生日なんだ? 何日?」

「四日です。五月四日が誕生日です」

「じゃあ何か贈らないとね。俺が贈れるのは花束ぐらいだけど。あっ、でも、住所知らないから有栖川茶房宛てになっちゃうね。受け取れそうな日、教えてよ。それに併せて送るから」

 ものすごい勢いで二ヶ月先の予定が組まれていく。言ってみただけのつもりだったのだが、本当に花が送られてきそうだ。

「あーあ。母の日の営業しようとして逆に捕まってる」

「う、うっさいなぁ」

「あ、母の日でしたか。うちは母の日も父の日もやらない家だったので、ピンとこなかったです」

「そっか、やらないおうちだったかぁ。残念。何かお花が入り用だったらいつでも言ってね」

「ほら、そういうの営業って言うんだよ」

 ジョリーの容赦ないツッコミが入ったところで、瑛が三つの皿を持ってやってきた。

 木葉の前にはペペロンチーノ、ジョリーの前にはチーズリゾット、そして有紗の前にはカルボナーラが置かれた。瑛は一旦キッチンに戻ると、もう一皿とオレンジジュースを持って有紗の向かいの席の椅子を引いた。彼の皿の中身もカルボナーラだ。

「そういやアリスちゃん、平日に来るなんて珍しいけど、何かあったりした?」

 席に着きながら言ってきた瑛の言葉を受けて、有紗は一つ頷いた。午前中のことを思い出すと自然と腹が立って話し始めるより先に口を尖らせた。

「聞いてくださいよぅ。四限に使う資料をお昼ご飯返上で作ってたんです。それなのに突然休講になっちゃって」

 今日までに作っておかなかった自分が悪いのは事実。また、次の授業でどのみち使うので努力が完全に無駄だったわけではないが、昼休みまで潰したのに、という思いは強かった。

 ふつふつと、不満が顔に表れる。

「アリスちゃん、顔、顔!」

 相当酷い顔をしていたらしい。瑛に指摘され、有紗は尖らせた唇を引っ込めた。いつの間にか詰めていた眉根も、どうにか平坦に戻す。頬を二回ほど軽く叩いて不細工を追い払う。

「さ、食べようぜ」

 瑛の掛け声で昼食が始まった。

「いただきまーす」

 フォークを手に取り、早速パスタを巻き取っていく。クリーミーなソースをたっぷり絡めてから頂くと、チーズや卵の味が濃厚で少し驚いた。市販のレトルトとは味が違う。濃厚なのに食べやすい。初めての味に、夢中になって食べていた。

「旨い?」

 笑顔の瑛に問われ、有紗は大きく首肯した。

「初めて食べるカルボナーラの味です」

「一般的なのだと生クリームや牛乳使ってるけど、うちは使ってないから多分それだろ」

「へぇ。本場は使わないんですか?」

「そうそう。肉もベーコンじゃなくてパンチェッタだし」

「これ、病みつきになりそう」

「そりゃよかった」

 今後レトルトを食べると味が薄く感じそうだ。舌が肥えていくような気になって、有紗は続きを味わった。


   *


「傷心のアリスちゃん、デザートもう一個食べる?」

 デザートにチョコレートムースとカプチーノを食べていたところ、瑛から嬉しい話がやってきた。

「食べたいです」

「じゃあ、ジョリーが切るの失敗しちゃって割れちゃったカタラーナでいいかな」

「ちょっとぉ。わざわざ失敗したって言わなくてもいいじゃない!」

 ジョリーが膨れる横で、ははは、と笑いながら瑛はキッチンへと向かっていった。

 少ししてから、瑛は四人分の皿を持って戻ってきた。それぞれの前に皿を置いていく。

 三角に切られている筈のカタラーナは、確かに途中で欠けたり割れたりしている。これではお店に出せないのだろう。かといって捨てるのも勿体ない。

 ――そういうのをまかないにしちゃうのかな?

 どのみちフォークで切るのでさして問題はない。欠けた部分をフォークに刺して口に放れば、ひんやり冷たいカスタードの味が口内に広がった。

「美味し~」

 カプチーノが残っていて良かった。カタラーナを食べた後に飲むと、カプチーノのミルクと苦みが丁度いい。

「なんか、この時間に来ると得するな」

 カタラーナをむしゃむしゃ食べながら木葉が言う。それに対して瑛は少しだけ眉を顰めた。

「だからって毎回この時間に来るなよ? 本来なら店閉めてる時間帯なんだからな」

「いいじゃん、身内みたいなもんなんだし。それに、食事は大勢の方が楽しいじゃん?」

「否定はしねぇけどさ。運悪いと本当にまかない食わせるぞ」

「まかない! その響き、憧れる!」

 何でも前向きにとらえる木葉の姿勢は見習おうと思う。今日の休講事件も、捉えようによっては色々ラッキーだった。資料は出来上がったし、クオーリでデザートを二つも食べることが出来た。食事が終わったら帰ってふて寝をしようと思っていたが、今は一度大学付近に戻って本屋で本を物色したい気分になっている。

「カプチーノのおかわり欲しい奴!」

 瑛もなんだかんだ言ってこの会食が楽しいのだろう。おかわりを募る声と表情が、いたずらっぽく、また嬉しそうだ。

 ジョリーと木葉がすぐさま手を挙げ、やや遅れて有紗も手を挙げた。

 今日は遠慮はしない日。そう決めている。

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