26杯目 ティーパーティはテーブルで
「ねえねえねえ、これ見て、これ」
有栖川茶房に入ってすぐ、有紗は膨らんだ鞄の中から一枚の紙を取り出した。四つ折りになっていたそれを広げ、桂と宇佐木の前に差し出す。
「大学祭……?」
「ぶなー?」
宇佐木が言うように、大学祭のチラシだ。
二人がチラシを覗き込んでいるのが気になるのか、てっさが有紗の隣の席でカウンターに前足を着けて伸びている。
「今度の土日にうちの大学でやるんだけど宇佐木くん、一緒に行かない?」
「え……」
「桂さんもどう?」
「僕は遠慮しておくよ~。お店もあるしね~」
「そっかぁ。宇佐木くんは?」
「アリス、友達いるんだろ? そいつと行けばいいじゃん」
「一番仲のいい子はお兄ちゃんと一緒みたいだから、邪魔しちゃ悪いかなぁって。すっごいお兄ちゃん大好きな子だからさ……」
「他、他の友達は?」
「サークルに入ってる子ばっかりで、当日は自分のサークルの出店で忙しいんだって」
「そう……そうなのか」
桂の理由は尤もである。一方の宇佐木はなにやら歯切れが悪く、断るでも受けるでもない。
挙動不審なまでにぎくしゃくして、目を泳がせている。
「私と行くのは、嫌……だった?」
「そんなことねぇよ! た、ただ、今度の土日だろ? 俺も店あるし……」
「笑太くんに頼むのは?」
「ぶな?」
「さ、流石に急だって。笑太だって予定あるだろうし……頼んだら、受けてくれるかも知れないけど……」
「ぶなー、ぶなぶなー」
「うっせぇ、おまえ黙ってろよ」
「ぶな……」
怒られててっさは気落ちしたようにしっぽと耳を垂らしている。
どうやら宇佐木は何か理由をつけて断りたいように見える。嫌われていないのは確かでも、何か、そういう所に行きたくない理由があるのかも知れない。そう思うと、これ以上無理に誘うのは悪いように思えた。
有紗は差し出したチラシをすっと引いて、折りたたんで鞄にしまった。
「私も無理に誘ってゴメンね。ちょっと急すぎたね」
残念だが、仕方が無い。
嫌なら嫌と断れるほど、まだ親密ではないのだ。そういうことだ。
「ぶなぁ」
慰めなのか、てっさが前足を膝に載せてきた。
その優しい前足を取って、
「ありがとねー、てっさー。大丈夫だよー」
「俺もゴメンな。今度、今度なんかあったら行こうぜ? な?」
「うん。そうだね」
無理しなくていいよ、と言おうとして、咄嗟に違う言葉に差し替えた。その言葉は、今の状況では余計に突き放してしまうものになりそうだと、そう思った。
店員と客。まだ、それ以上の関係ではないということを知った。
――お友達くらいにはなれてたと思ったんだけどな。
少なくとも、忌憚なく語り合えるほどの親密度はない。それは確かだ。
「アリスちゃんがここに来てくれればいいんだよ~。だって、〝アリス〟はお茶会に〝来る〟ものでしょ~?」
突然桂が何か言い出した。
日頃のゆらゆらは受け流せるとしても、この発言は意味深にも程がある。真意を尋ねようにも、どう訊いていいのかさえわからない。
「あの、桂さん……?」
精一杯の疑問符を投げたとき、割り込むようにして皿が目の前に出された。
皿の上に載っていたのは何処かで見たことがあるようなナッツのタルト。クルミやアーモンド、ピスタチオなどがふんだんに載っている。
「あっ。これっ!」
宇佐木のノートの中に目の前で書き込まれたイラストが、立体になっている。
「そう。この前アリスが考えてくれたタルト。やっと完成したんだ」
「わぁ、すごい……」
表面も断面も、想像していたものより遙かに美味しそうに仕上がっている。
先ほどの桂の発言などすっかり忘れ、有紗は皿に載ったタルトをためつすがめつした。 自分の発案が形になっている。
そのことが何よりも嬉しい。
「そのケーキ食べるなら、紅茶がいいよね~。オリジナルブレンドの紅茶あるから、それを出してあげるよ~」
すぐに桂が紅茶の用意を始めたが、タルトを目の前にして我慢がきかなかった。
――ひとくちだけ……。
タルトの先の部分を、ナッツが含まれるようにフォークで切り取る。
ふふっ、と口元をほころばせてからぱくりと一口で。
キャラメルの香ばしい味と香りがまずやってきた。土台のアーモンドクリームも相性ばっちりだ。タルト生地もいつも通りザクザクしていて、ナッツと共に歯ごたえがいい。
「宇佐木くん、美味しいよ! やったね!」
「へへへ。喜んで貰えてよかった」
もっと食べ進めたいが、紅茶が来るまで我慢。
暫くしてやってきたのは、少し癖のある香りの紅茶だった。一口飲んでみると、青臭いような癖と、それでいて紅茶と解る香りが複雑な味だった。
「桂さん、これ、面白い味だね」
「ラプサンスーチョンをブレンドした紅茶なんだよ。癖が強めだけど、そういう甘ーいのとは相性いいと思うんだ~」
確かに相性はいい。
タルトはどっしり重たくあまたるい一方で、諄くなった口の中を紅茶がリセットしてくれる。
交互に頂くには丁度よさそうだ。
早速有紗は、タルトの続きを食べることにした。
*
有紗が帰った店内では、彼女の指定席の隣に笑太が座って弥生に非難の目線を向けていた。
右手の人差し指でカウンターを叩いている。暫くの間、その規則的な音が店内に響いていた。
桂はいつも通り揺れていて、弥生は笑太とは目を合わせない。笑太が睨んでいることに気付きながらも、弥生は頑なに避けている。
「ねぇ、なんで断ったのさ。代わってあげるって言ったのに」
苛々しながら笑太は言った。
「……いいんだよ。大学祭とか、よくわかんねぇし」
返ってきたのはとても本音とは思えない言い訳。
――意気地無し。
弥生の姿勢にますます苛立って、
「それじゃ、いつまで経っても有紗とデートできないね」
意地悪なことを言ってみた。
漸く弥生は笑太の方を向くと、
「だから、そういうのはいいんだって!」
「外に出られないわけじゃないんだから、行けばいいのに。誰も責めやしないよ」
「今度機会があったらって、そう言ったし……今度なら」
「有紗、気を遣ってたけど、もう誘わないんじゃない?」
「なんで」
「弥生が壁作るから」
「壁なんて作ってねぇし……」
「あんな風に断られたら、誰だって察するよ。特に有紗は気を遣って敢えて質問しないこと、あるからね」
「んなこと言われても……」
あれは照れではない。壁だ。と、笑太はそう思う。
戸惑いは確かにあるだろう。なにしろ、
「まあまあ。僕らを外に連れ出そうなんていう〝アリス〟は初めてだったから、びっくりしたんだよね~。宇佐木くん」
桂が言うように、彼らを外へ連れ出そうという主人公はいなかった。この間は内側の深部へ入り込んでこようとした。
でもそれの何が悪いのか、と笑太は思う。
何が正解か解らないと嘆いている一方で、かつて無いことが起きたからといって拒絶反応を示していては、何の進展もない。
変化が嫌いだというのならともかく、
「そんなんじゃ、本当に次は無いよ」
笑太は言い捨て、ぱっと太った猫の姿に戻ると、店の奥のソファ席、アリスの読書時の指定席で丸くなった。
しっぽが無意識に不機嫌を表してソファを叩いていた。
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