23杯目 秋の新作検討会

 入店してもう一時間くらいになるだろうか。

 有紗は店の一番奥のソファ席でずっと本を読んでいた。

 相変わらず客はいない。貸し切り状態で本に没頭していた。

 注文したアイスティーは既に飲みきってしまっている。おかわりを頼む時間も惜しんで購入したてのミステリーを読み進める。

 ページをめくる音だけが店内に響く。

 一ページ。また一ページ。

 食い入るように読んでいた有紗の耳に、とん、という音が聞こえた。

 ――?

 音が気になって顔を上げると、宇佐木がペンを差したノートを小脇に挟み、グラスを持って立っていた。机の上にはレアチーズケーキが載った皿。音の正体はこの皿が置かれた音だったようだ。

 宇佐木は持っていたグラスもテーブルの上に置く。中身はカフェオレのようだ。

「どうしたの、宇佐木くん。注文、してないよ?」

 余りに長時間居座ったから、何か頼んでくれとの催促ともとれた。

 だが、宇佐木は真剣な顔をして、有紗の向かいの席に座ると、

「なあ、アリス。考えるの一緒に手伝ってくれないか? これ、お礼の先払い」

「考える、って、何を?」

「十月くらいから秋の新作ケーキ出したいんだけど、何がいいのかわかんなくってさ」

「私なんかが意見言っちゃっていいの?」

「ヒント貰えるだけでもいいからさぁ」

「宇佐木くんがそれでいいならお手伝いするよ」

「やった。ありがと。ほら、これ食べながらでいいから」

 グラスと皿を改めて差し出されたので、有紗は本を閉じて脇に置いた。

 テーブルの空いている場所に、宇佐木は持ってきたノートを有紗の方に向けて広げた。

 メモや材料、飾り方の案がびっしりを書いてある。

「わぁ、すごい。こんな企業秘密みたいなの、見せちゃって大丈夫?」

「大丈夫だよ。秘伝のレシピ、とかじゃ全然ないから」

 同時に、信用して貰えているのだと思う。

「秋って言ったら、梨とか柿とかしか思いつかないけどなぁ……」

「洋梨は時期が違うし、柿はちょっとケーキにしづらいんだよな」

「確かに、柿のケーキはあんまり見ないもんね」

「あと、俺が一馬力で割と短時間で作れるものじゃないといけなくってさ」

「そっかぁ。じゃあ、この焼きリンゴとかタルトタタンは難しい、のかな」

 ノートにメモ書きされている一つを指さしてみる。

 ボールペンでざっと描かれた絵なのに、タルトタタンが妙に美味しそうに見える。

「手間と時間がね……。桂がもっと店のことやってくれればいいんだけど」

「出来なくはないけどいっぱいいっぱいになっちゃいそう、ってことだね……」

 そして、桂は店で紅茶以外のことはしていないということが判明した。

 うーん、と唸りながら、二人でノートを覗き込み思案する。

 タルトタタンに焼きリンゴ。三角印がつけられた洋梨やブドウといった果物のタルト。

 何か物足りない気がする。

 果物ばかりで、他の要素がない。

「宇佐木くん。ナッツのタルトは? クルミとかの。そういうの、ノートに書いてないよ」

「ナッツかぁ。イトーくんのエサくらいの認識だったよ、俺……」

「作るの大変かなぁ。クルミに、アーモンドにっていっぱいごろごろ入れたタルト。美味しそうじゃない?」

「いいかも、それ。カシューナッツにピスタチオも入れて、土台はアーモンドクリームにして、表面はキャラメル掛けるか」

 イメージが溢れ出したのか、宇佐木はノートを自分の方へ向け直すと、がりがりと案を書き出していった。

 ざっくりとしたイメージの絵に、説明書きを付け足していく。

 メモが完成する頃には食べたくて仕方なくなっていた。

「これって、十月に出るの?」

「間に合えばその予定。楽しみにしててくれよ」

 宇佐木はノートを抱え、嬉しそうだ。ナッツのことは本当に頭になかったらしい。

「ありがとな、アリス。いいのが出来そうだぜ。そのケーキと飲み物、遠慮無く食っていいからな」

 あっという間に検討会は終わってしまった。

 宇佐木はもうカウンターの中に戻っている。戻ってもまだ、ノートを広げて書き加えている様子だ。

 ――早く十月にならないかなぁ。

 あと一月足らず。それがまた長い。

 宇佐木が奢ってくれたカフェオレとレアチーズケーキで小腹を満たしながら、焦げたキャラメルの香りやナッツの香ばしさを想像した。

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