第18話 母襲来
スヴェンが生まれたのは、比較的田舎の、自然豊かな土地だった。何もないところではあったが、その代わり、都会にはないものがたくさんあった。もう何年帰ってなかったか。母から定期的に手紙が来るが、忙しさにかまけて、あまり返事は送っていなかった。その代わり、任務で観光地に行ったときには、実家に土産を送った。
記憶の中の家族が、スヴェンに笑いかける。幸せそうに。けれどどこか、悲しそうに。
景色が変わった。
ここは学校だ。スヴェンが通っていた士官学校。ありきたりだが、幽霊が出ると、生徒の中でまことしやかに囁かれた旧校舎。幽霊を信じていないスヴェンは、しばしば友人と旧校舎に潜り込んでいた。
同期の中でも、特に仲の良かった数人が脳裏をよぎる。銀髪を白髪だと言って、よくからったっけ。その度に殴られた。もちろん殴り返したけど。見かけに似合わず、暴力的なんだ。あいつは。
それを見て目を輝かせた茶髪が、止めるどころか、笑いながら参戦してくる。仲間内で、あいつが一番殉職率の高い職場に勤めた。今では飲み仲間なのだが、そういえば、ここしばらく会っていない。まだ生きているだろうか。
唯一スヴェンたちを止めようと奮闘したのは、栗色の髪。最終的には、こいつが一番被害を被っていた気がする。
また景色が変わる。思い出したくもない、戦地。何人もの殉職者がこちらに笑いかけてくる。多くの若者の夢と命が、泡沫のごとく消え去った。スヴェンは仲間の死体を足蹴にし、踏みにじり、生き残った。
暗転。今度は何も見えない。そう思ったら、だらしない茶髪が視界に映った。彼が向かい合った机には山のような書類が積まれているのに、彼はそちらを見もしない。書類の山が増える。それでも彼は動かない。
ああ、だめなんだよ、そいつは。誰かがガツンと言ってやらないと。叱ってやらないと動かないんだ。なんで誰もいないんだ。誰も……。
そこに人が現れた。長い金の髪。憎らしい整った顔が、こちらを向いた。彼はなぜかスヴェンの頰をしきりに叩きながら、人を小馬鹿にしたように笑う。
『え? 何? スヴェン死んじゃったの? あははっ! 弱っちいなあ』
「って、死ねるかあああああああああッ!!」
スヴェンは力一杯叫ぶと、飛び起きた。幻は消え、現実が戻って来る。同時に、何やら小さな赤い塊が弾き飛ばされるのが、視界の隅に見えた。
(畜生! 久々に走馬灯なんか見たぞ!)
スヴェンは森の中にいた。断じて実家になど戻っていないし、学生時代にも戻っていないし、戦地に行ったのはもう十年も前だ。
ズキリとした痛みを後頭部に感じる。軽く目眩がした。先ほどとは違う、無視してはいけない痛みだ。手を当てると、ぬるっとした感触があった。出血は少ない。頭の怪我は油断してはいけないが、これが直接の致命傷になることはないだろう。
すぐに目を覚ますことができて、本当に良かった。今は戦闘中だ。いつまでも走馬灯に囚われていたら、本当に三途の川を渡る事態になっていたかもしれない。
スヴェンは舌打ちをした。なんだか王子に助けられたような気がするのが屈辱だった。
「ぴええっ! ぴええっ!」
すぐ側で、全身を土まみれにした子ドラゴンが泣いていた。慣れた様子でスヴェンの肩によじ登り、その頰をペチペチ叩く。
「……ああ、王子じゃないな。お前のおかげか。俺が戻ってこれたのは。
ありがとな」
でもとりあえず邪魔なので、顔の前からは引き剥がす。子ドラゴンはスヴェンの側を離れるのを嫌がったが、この状況で子ドラゴンを抱えて戦うのは無理だ。
スヴェンの目の前には、焼け野原が広がっていた。
つい先ほどまで、そこは深い森の中だったのだ。やや木がまばらで開けた場所ではあった。だが、今その場所では燃えにくいはずの生木が燃え、火の粉を撒き散らしている。
その中央には、それなりに場数を踏んだスヴェンに走馬灯を見せた相手が、絶望と死の体現者が、威風堂々とこちらを睨んでいた。
フラムドラゴン。
そこにいる子ドラゴンと同じ種とは思えない。全身を覆う鱗は金属のような光沢を放ち、しなやかなその筋肉は、本能的に恐怖を掻き立てるほどだった。黒い爪はスヴェンの太腿ほどの大きさがあり、研ぎ師に依頼した直後の槍のような鋭さだ。人間の肉など軽々と貫くだろう。
ドラゴンが翼を広げると、それだけで陽光が陰った。薄いはずの飛膜は陽光に透かしてみても、流れる血の赤が映ることはなかった。
牙の並んだ口からは、熱気を伴う吐息が吐き出されているのだろう。
(俺はドラゴンの着地の風圧で、飛ばされたのか)
それは攻撃でさえなかった。ただ地に降り立っただけ。いくら油断していたとはいえ、それだけでスヴェンは吹き飛ばされ、危うく死ぬところだった。
そういえばフラムドラゴンの狩猟方法に、風圧で吹き飛ばすというのがあった気がする。ドラゴンにとってスヴェンは、狩るべき対象でしかないということか。
彼我の圧倒的な実力差に、全身が粟立つ。
だが同時に、戦いに身を置いた者に特有の、体の奥底から湧き上がる不可思議な感動を覚えた。スヴェンは決して戦闘狂ではない。だがドラゴンと対峙するというのは、幼少期に誰でも一度は憧れる、竜退治の英雄を彷彿とさせた。
(俺も大概、頭がおかしいな)
自嘲の混じった笑みを浮かべる。感動は一瞬で消えた。大人になった冷静な部分が、戦わずに済むならそれに越したことはないと叫ぶ。怪我のことを差し引いて考えたとしても、そもそも単独で、しかもこんな装備で戦ったら、ほぼ間違いなく死ぬ。
「ほら、迎えだ」
スヴェンは子ドラゴンに話しかけた。
スヴェンが敵認識された以上、スヴェンが生きているうちは街が襲われることもあるまい。ならば僅かな可能性にかけて、まずは子ドラゴンを返す。それで怒りが静まることは、まあ、まずないだろうが。
子ドラゴンが、スヴェンの言葉に首を傾げ、それからようやく母の存在に気がついた。スヴェンの腕をパッと離し、またもやとてとてとおぼつかない足取りで母の元へ走る。きゅいきゅい鳴きながら母にすがる子ドラゴン。母ドラゴンの表情も、心なしか和らいだように見える。
(……このまま帰ってくんねえかな)
祈るように胸中で呟くが、やはりそれは無理な望みだったようだ。母ドラゴンは子ドラゴンを咥えると、首の後ろの鱗の窪みに子ドラゴンを入れた。それから殺意の篭った目でスヴェンを睨む。わずかに開いた牙の隙間から、火花が散っている。
覚悟を決めて、剣を抜いた。倒せるだろうか。……倒していいのだろうか。あの子の親を?
スヴェンはちらっと子ドラゴンを見る。小さな体の大半は母ドラゴンに隠れて見えないが、子ドラゴンが必死になって何かを叫びながら、母の鱗を叩いているのは見えた。
(……殺せねえよなあ)
呆れが混じった笑いが口元に浮かぶ。随分と甘くなったものだ。
「だがまあ、怪我はさせちまうかもな。……それくらいは、勘弁してくれよ」
意図的に大口を叩いた。勝てると思って戦わなくては、勝てるものも勝てない。
両手で剣を構える。頭痛は気にしない。幸い手足に痺れはない。戦える。
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