4-07.

「なんの用ですか」


 シャノンは今日もたくさんのアクセサリーをセンスよく身に着けていた。艶やかな黒髪がさらさらっと腰までストレートに流れていて、レースのついた淡いベージュのブラウスと、ネイビーブルーのエレガントなフリルスカート、顔色はすっかりよくなっていてムーウはちょっとだけ安心する。言葉が出てこなかった。涙だけが流れた。「だから」シャノンが繰り返した。


「なんの用なんですか」


 シャノンの敬語にも、つっけんどんな声色にも、迷惑そうな表情にも、ムーウはどれにも馴染みが無いから、意に反して涙がとまらなかった。どうしていいか分からなかった。おずおずと歩み寄る。


 そのまま、シャノンをやわらかく抱き締めた。


 此処に、確かに、この女の子は、居る。その体温を確かめたくてムーウはシャノンをがむしゃらに掻きいだく。鼓動。まだ生きているから友だちを友だちとしておもっていたかった。どんな悪意にさらされても大丈夫だという気がした。たとえ届かなくても、伝えようと試し続けることをやめたくなかった。この女の子がしてくれたように、ムーウも同じものを返したかった。


『必ず探しに行きます。一緒にまたアナログアンブレラへ行きましょう』


 約束を果たせた、そうおもってシャノンを強く、強く抱き締めた。


 そうして、


 拒絶された。


 ――廊下の壁のほうに突き飛ばされてムーウは困惑していた。


「あなた、なんなんですか」


「シャノン――あのですね」


「近づかないで」


 鋭い声だった。銃口を突きつけられていた。ぎらっ……。鈍く廊下の照明に照らされ、シャノンの手にすっぽりおさまるくらい小型の拳銃がその右手に握られており、冷ややかな、あまりに他人行儀な無表情で、シャノンが銃口をムーウへ向けている。扱い慣れているという感じなのが少なからずショックだった。ムーウはおもいだした。


 この子は記憶をなくしている――。


「いきなりごめんなさい。シャノンは忘れてしまっているかもしれないけれど、わたしは春に知りあったばかりの友人です。ムーウといいます。あなたと約束したので、迎えに来ました」


「……ああ、そっか。その髪、身長、服装、日記に書いてありました。ムーウさんですね」


 ムーウさん。そうシャノンから呼ばれたのは最初の一回だけだった。パーティー会場を駆け抜けながら、繋いだ手を引いて、シャノンが名前を訊いてくれたときに一度だけ、あああ。叫びだしたくなる。シャノンは銃をさげないまま続けた。


「前回のあたしがお世話になりました。でももう二度と此処へは来ないでください」


 ムーウは毅然と顔をあげて答える。


「嫌です。あなたをアナログアンブレラへ連れて行くって約束しましたから」


「前回のあたしは」


 シャノンの笑みはあまりに自嘲気味で、そんな表情は似合わないとおもいたかったのに慣れている様子だったから、ひどく胸を突かれた。廊下から音がどんどん消えていって、世界はシャノンとムーウのふたりぼっちになる。耳を澄ます。シャノンの言葉の裏側を知りたくて、彼女の大粒の瞳をじっと見つめる。


「前回のあたしは軽率だったのですね、ムーウさん、あたしはそんな約束を普段はしません。約束を守ってくださってありがとうございました。じゃあもう二度と此処へは来ないでください」


「どうして」


「憐れみなんてほしくないからです。あたし、独りで大丈夫ですので」


 シャノンらしくない無感情な声が淡々と廊下の床へ落ちていく、そのことがムーウには耐えがたかった。


「シャノン、違います。憐れみじゃない。シャノンのつらさを分かるだなんて軽率なことは言えないけれど、独りになるということついて、わたしも少しは知っています。シャノンはわたしを何度も元気づけようとしてくれました。恩返しがしたい」


「ムーウさんはなにも分かっていない。あたしは独りがいいの」


「独りになるのはこわいってあなたが言った」


「だったら」


 視線がぶつかる。


「ムーウさん、あなたといるのがあたしには苦痛だから帰ってください」


 此処は何処なのだろう。わけが分からなくなる。二十九番のドアがあって、長い廊下が続くその途中で、開いた扉の前、銃口を突きつけられ、ムーウは床へ座りこんでいる。シャノンはなんの躊躇いもなく吐き捨てる。


「日記をダウンロードしました。あたしは、恵まれているくせにいのちを絶とうとするムーウさんのことが許せないです」


 腕が疲れてきたのか、拳銃を右手から左手へ持ち替えて、それでもおろそうとはせずにぴたりとムーウへ、向ける。事実。事実が万華鏡みたいに断片的にまわっている。ずらりと並んだ女子寮のカラフルなドア、二十九番の真っ白なドア、冷たい床の感触、張りつめた空気、聞き慣れないシャノンの敬語。


「病院代などのお金の心配をする必要がなく、健康で、人脈もあって、才能もある、これ以上ない恵まれた数十年の未来を持っていながら、それを手放そうとするムーウさんの思考が許せないです。ムーウさんにはムーウさんの苦しみがあるということは、頭で分かっています。けどあたしはもうとうに宣告された余命を過ぎました。発作が起きたばかりで、今、あたしには人をおもいやる余裕がなく、どんなひどいことでもムーウさんに言えてしまえます。恩返しは結構ですから帰ってほしい。あなたのような人とは一緒にいられません」


 咄嗟に言い返す言葉が、無い。


「生きていられるくせに」


 銃を持ちあげて、シャノンははっきりと言いきった。


「もうあたしに関わらないでください」

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