珈琲店アナログアンブレラ。

五水井ラグ

珈琲店アナログアンブレラ。

Part.1 傘。

1-01.

 傘は雨を弾く。「弾く」は「はじく」と読むし「ひく」とも読む。傘とは、雨を遮りながら雨を奏でるもの。


       ◆


 真っ赤な傘を見た。春時雨の十六時半は、ちょうど少女が手頃なビルを探して衝動的に往来を見まわしているときだった。


 粒のおおきな雨が順繰りにぼたっぼたっと飛び降りて自殺みたいに地面でつぶれる。人々は無色の〈傘〉魔法を頭上に書きおき、手ぶらでにぎやかな学園都市をゆき交っていた。


 屋根が無い道だった。談笑したり呪文を唱えたり研究課題について議論したり、人々は晴天のときとなんら変わらない過ごし方をして、まるで雨なんて最初から降っていないかのように誰も濡れない。〈傘〉魔法が音を吸いこむので耳にもほとんど届いてこない。


 雨は、存在ごと無視され続けた。安全で便利な現代の、飽きるほど見慣れた光景だ。そこに見慣れないものを見た。少女はおもわず振り返っていた。


 ほんものの傘だった。


 花が開いているみたいに映る。目の覚めるような深紅の花だ。魔法が無かった時代に文学のなかで傘が「咲く」ものであったことはなるほどその鮮烈な見ため通りとおもった。


 往来にあふれる魔法の〈傘〉はもちろん目に見えないし誰も片腕をあげっぱなしにしていなくて、開けた視界にぽつんと開いた赤い傘は目立った。でも他人に無関心な現代人たちはそんなこと気にしない。少女だけが傘をじっと見つめていた。


 なめらかに盛りあがった傘のちいさなドームが、その人の歩みにあわせて上下左右に揺れ動く。小柄な肩のはじっことスカートから伸びる脚の下のほうを濡らしていた。


 えっ、なんで?


 少女は首を傾げた。


 濡れてる。


 どうしてわざわざ濡れるの?


 魔法を使えばいいだけなのにな。


 目で追っているうちに傘の人はひょいっと雑踏に消えた。


 春時雨の十六時半に傘を追いかけ始めたのは少女もわざわざ自ら濡れようとする側の人間だったからだ。ついでになんとなく骨董品が好きだった。地面でつぶれるために手頃なビルを探すのは別に急いだ用事ではなかったので、傘に導かれて通りを横切ってみることにした。


 頭上に若者たちの広げた無色透明の〈傘〉が重なりあい、無色は何枚あわさっても無色のままで、黒ずんだ夕方の空がよく見渡せる。


 少女は〈傘〉を書かない。雑踏を抜けると人々の〈傘〉魔法が途切れ、からだは濡れ始める。


 足元も濡れている。


 駆ける。


 水が跳ねる。


 つるりとした春のピンヒールにしぶきがかかる。


 雨の日の最適解じゃない靴……。


 傘の人は見あたらなくて、〈瞬間移動〉したのかもと考えたけど、その人が消えた雑踏の先に移動系魔法の残り香が無く、向こうの暗い街角を……あ。ひょいっと曲がっていくのがちいさく見えた。


 赤い傘が揺れる。


 走っていくとまた……ひょいっ。何度か繰り返して学園前のにぎやかな通りを抜けていた。高層ビルが立ち並ぶひとけの無い道だ。威圧的な灰色のビルに両側から押し縮められるみたいにして、人一人なんとか通れる幅の階段が地下へぐぐっと落ち窪んでいる。


 えっ。ここ?


 正直、関係者以外立ち入り禁止感がものすごく伝わってきた。いつのまにかずぶ濡れになっている服が、髪が、からだに貼りつき不快。ビルと空の灰色がすっかり同化してずぅんと少女を見おろしていた。


 都市の中心部から外れると、其処は社会人たちを閉じこめ会議ばかりする建築物の群れが、重たく地面へ植わっている区画で、部外者はあまり勝手にうろついてはいけないことになっていた。〈瞬間移動〉用の〈箱〉と〈瞬間移動〉を防ぐ〈セキュリティー〉とで魔法がむせ返るほどに満ち、専用のパスカードを持っていないと体調を崩す可能性もある。


 さっきの傘の人はビルに出入りする大人だろうか。空中ディスプレイの地図を起動してみても、お客さんのためのきらびやかな看板やらメニュー詳細やら割引券やらが表示されない。


 余所者の来訪を想定していない町だった。


 急に馬鹿らしくなった。当初の目的をおもいだしていた。手頃な、ビルを、選ぶ。選びたかった。行きたいのは屋上であって、地下にしか行けそうにない階段の前で全身を濡らして立ち尽くす必要なんかなかった。


 そうして引き返そうとしたときだ。


「おい。おりるのか? どくのか?」


「え」


「おりるのか。どくのか」


 この階段ってわたしがおりても構わないの? 尋ねかけて口を閉じた。気づけば後ろに美しい青年がいた。美しいという形容詞は学生の日常語彙としてはいくらかかたいけれど、ほかに表しようがなかった。女と見紛うほどの鋭い美貌が、ぬらり、と不気味に佇む。雪のような白い髪が腰まで流れていて、声と同じに淡々とした表情で、杖をつき、傘をさして歩いてきた。


 ――傘!?


 彼は黒い傘を少女に差しだしつつどうでもよさそうに言った。


「階段をおりるのか。其処をどくのか」


 かつっ。かつ。杖が地面を鳴らす。あんなにはっきりと鳴るってことはあの杖には魔法がかかっていない。


「ま、迷ってます」


「というと?」


「えっ、と……進むか、終えるか、迷ってます」


「ふむ。迷うのは貴方の自由だ。だが階段を塞がない場所でやれ」


「はあ……」


 青年は言うだけ言うと少女の手に傘を押しつけ「失礼」ひとこと残して下へ向かった。かつ、かつ、杖の扱いに慣れているのか階段でもペースを崩さずかつっちいさく響かせておりていく。


 傘は予想より重たかった。第二次魔法期以前の人たちはこれをあたりまえに雨よけとして使っていたんだ。風情があるが不便だろうなとおもう。重いし、邪魔だ。かさばる。重い。それに邪魔……、と脳内はぐるぐるまわって人生が数秒間とまっていた。


「えっ? あの!? これどうするんですか!? こんな高価なものいただけません! あの!?」


 杖の音はとまらない。


「あれ、すみません!?」


 傘を握り直した。安っぽいビニールじゃないし魔法の気配がしないのでこれはやばいやつかもしれなかった。傘一本で家一軒を軽く建てられる。のもあるらしい。雨に濡らしたら汚れちゃうんじゃないか? と傘的には本末転倒な思考の流れがぶわわわっと。


「待っ……」


 ――駆けおりた先の樫のドアを、躊躇するまもなく開け放った。

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