第2話 あなたと初めて会えた記念日
「はじめましておにいさん!私、天使の澪と申します!いきなりですが私を幸せにしてください!」
第一声は拍子抜けするほど突拍子もない言葉だった。彼女と俺は初対面で、彼女の風体は俺なんかが一生関わらないであろう人物のそれであった。
さらさらと風にそよぐ金髪が太陽のように眩しい。微笑む姿は万物を魅了し、一度踊れば世界中の視線をその一身に浴びるに違いない。
純白のワンピースに麦わら帽子。綺麗に整った目鼻に白く光る揃った歯。普通にこの発言を聞いたのであれば頭のおかしな奴が話しかけてきたと一蹴するところなのだが、相手が相手だ。俺自身モテるわけじゃない。
本の虫だと言われれば何の否定もしないし、事実その通りだと思う。結局のところ俺は人と関わるより、著者が執筆した文章から教訓を得てきた人間だ。
だからこそこうして同い年くらいの女の子と話す機会に恵まれるはずもなく、業務連絡以外の会話などしたことが無い。業務連絡の事を会話と呼ぶのであれば、だが。
ともあれそんなわけで俺は彼女の発言にどぎまぎしている。恋愛小説などはたくさん読んできたつもりだし、どんな風に答えればいいかも大体予想は付く。
けれども控えめな生き方を貫いてきた自分にとって想像と行動では難易度に雲泥の差がある。
「えっ、あの…その…はい?」
結果こんな風に人見知りが全開になってしまうわけだが。俺が人と会話をするのは両親と姉、そして図書館の司書さんと書店の店員さんくらいのものだ。
人と接するというのは本当は死ぬほど難しいことのはずなのにどうして皆が皆、あんなふうにフレンドリーにしているのかが分からない。
一言間違えば関係は崩れ、今まで積み上げてきた関係など一晩で灰燼に帰す。何のメリットも無いと言えばうそになるというのはこんな俺でも知っているし、こぞって皆人間関係の育成に取り掛かるところを見ているとその努力に対する相応の報酬があるに違いない。
けれども俺はそんな風には慣れないわけだが。
昔のことが思い出されてしまうという縛りがあるとはいえ、やはり早急に改善しなければいけない問題だとは感じている。
それにしたって心の準備というものがあるだろう。そんな風に急に俺の前に出てこなくたっていいじゃないか。
…なんて悪態が付けるわけもないけれど。
「あはは、おにいさんってば慌てすぎだよ!でもそうだよね、困っちゃうよね。私がとびっきりかわいいってのはしってるから安心していいよ。…そう、ゆっくり深呼吸して。私は逃げないしそもそもおにいさんのことを逃がさない。なんとしても私はおにいさんに幸せにしてもらわなきゃいけないし、そのためだったらなんだってする」
彼女の目は、僅かに狂気を湛えていた。鏡面のような
逃がさないと言った彼女の言葉は何の冗談でもないのだろう、そう俺が確信するほどには謎の圧があった。
そしてそのプレッシャーが逆に俺を冷静にさせる。静かに細く息を吐き、目を細めて努めて明るい声で言った。
「悪い、急にお嬢さんが出てきたものだから驚いただけだ。そしてさっきの話だけど、三流の小説家か何かか?」
敵意を僅かににじませた俺の言葉に「むぅ、ひどいなぁおにいさん」と少女。
「自分で分かってるかどうかわからないけど支離滅裂だし、筋も通ってない。そもそも俺を好きになる要素がどこにあるっていうんだ。あったことも話したこともないっていうのに。
別に君の事が嫌いだとか魅力的じゃないとは言ってないし思わない。素敵な女の子だと思うし今の言葉で少なからず心は揺らいだ。だからこそ油断できない。
素性のしれない君に心を許すわけにはいかない」
「おにいさん…そんな怖い顔してどうしたのさ。まぁ気持ちは分かるけどね!でもでも、女の子って秘密があればあるほどときめくでしょ?」
「…まぁそれに関しては否定はしないが、それにしたって限度ってものがあるだろう。秘密があったら興味を引き立てるのは分かるが、何もわかんないんじゃそれはただ警戒を生むだけだぞ」
眼鏡のフレームを弄りながら、言葉の棘をなるべく減らしつつ反論する。これは俺にとって確かに言っておかなければならないことだ。
この世の中は物騒で、どんな奴が敵としていつ攻めてくるかなんてわかったもんじゃない。そう、この瞬間も例外ではない。だからこそ俺は警戒も露に少女と相対しているというわけだ。
「…そうは言っても他に説明のしようがないんだよ。私は誰が何と言おうと天使であり、おにいさんに一目惚れをし、幸せにしてもらいにやってきた天使なの。何の比喩でも無くね。その証拠に私は一文無しだし、住む場所だってどこにもない。
おにいさんめがけて周囲の制止の声も聞かずに一目散にこの場所へやってきたんだ」
俺には何と答えてあげればいいのか分からなかった。ただ一つ言えるのはそんなことを言われても俺にはどうしようもないし、何かをしてあげることもできない。
こちらにだって予定や事情なんてものは腐るほどある。俺の事をどれだけ想ってくれていようと俺にとっては見知らぬ赤の他人だ。そんな赤の他人を『はいそうですか』なんて快く迎えてあげられる程の解消も責任能力も生憎俺は持ち合わせていない。
それでも何故か俺はこの子の事を完全に他人だとは思えなかった。
本当に、何故かはわからないけれど。
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