Dive23
ユウグレのセーフハウスである14番から、車で50分ほどの距離に灰原司の自宅はあった。ランチで訪れた焼肉店でレラージェは食欲のあまりない僕を横目に、信じられない量の肉を焼いて食べ続けた。ユウグレは食欲がなかったのかキムチと少量のライスを少し食べただけだった。
灰原司の豪邸は周りの住宅を威圧するかのような大きさで、一軒家というよりも、どちらかと言うと博物館のようだった。そんな灰原邸から少し離れた位置で、僕らは灰原司の帰宅を待っている。ユウグレは灰原司からプロジェクトの概要を直接聞くのが一番早いと言った。そう簡単に喋るとは思えないが、ユウグレは彼のパソコンとスマートフォンに即座に侵入し、人には知られたくない秘密をどうやら見つけたらしい。こうも簡単に自分の知られたくない秘密が明かされてしまうのに、プロジェクトの概要だけは未だにまったくわからない。それがなんだかとてつもなく気持ち悪かった。ケシキの自殺。ケシキとほぼ同時に自殺した142人。ケシキから自殺後に送られたフラッシュメモリー。人口増加対策推進協議会。これらの繋がりは結局不明。僕達が手に入れた情報はあまりに少なく、わかっていることと言えば、実在するらしい天国があるということ、そして人口増加対対策推進協議会が謎のプロジェクトを秘密裏に進めているということぐらいだ。
「逃げろ。そんなに飼い主が嫌いならそのリードを噛みちぎって逃げろ逃げろ。お前は一人でも生きていける」
レラージェが公園の前で飼い主に連れられ散歩するミニチュアダックスフンドを見ながら言ったその言葉に少し笑ってしまった。なんだか緊張していた自分が馬鹿らしくなってくる。ユウグレはこの場所に到着して20分間、MacBookのキーボードを叩き続けていた。
「ユウグレ。帰ってきたよ豚バラ司」
「灰原ね。よし。じゃあお約束のプランで行く」
「こいつこんなデカい家に一人で住んでるの?」
「そうみたい。セキュリティ解除と同時に侵入する」
「ゲヘヘ……弾丸ぶち込みはアリアリ?」
「ナシナシ。絶対撃っちゃ駄目。フリとかじゃないから」
「拳でも人は殺せるもんね」
「殺さないっ」
ユウグレとレラージェが車を降りて、灰原邸の入り口の門に向かって行く。僕も二人のあとを付いて行く。ユウグレは歩きながらスマートフォンを操作していた。
「セキュリティがガバガバ。これはインターフォン押す必要もないかな」
「つまり?」
「家全体が電子キーで管理されてるから。灰原司の3台目の端末として登録したこのPCでON/OFF可能。よしっ セキュリティ解除。レラージェ玄関開けて」
そんなユウグレの言葉とほぼ同時に黒塗りの門が横にスライドされていく。レラージェは音を立てずに早足で玄関に向かい、ドアに付けられた金色のドアノブをゆっくりと手前に引いて静かに中へ入った。レラージェもユウグレも靴を脱がずに長めの廊下を進んで行く。クリーム色の壁に、2m間隔で取り付けらた間接照明がうっすらと怪しく光っていた。白と黒の正方形が交互に連なったデザインの床が、奥まで続いている。趣味が悪い床だ。
レラージェがリビングと思われる小さな磨りガラスの付いたドアを手前に引いた。
「誰だ?」
リビングに響き渡る太くて少し掠れた声と共に、レラージェが弾丸のように飛び出していく。巨大なテレビの前に置かれたソファーに座り紫のガウンを着た灰原司に向かって、ジャンプをしながら空中で一回転した。レラージェが着地したのは灰原司の前ではなく、ソファーの背もたれの部分。ちょうど灰原司の真後ろだった。着地とほぼ同時にそのまま灰原司の首を締める。灰原司はレラージェの頭を掴み抵抗していたが、数秒で青白い顔に変わり、気を失った。一連の動きには一切無駄がなく、すべての動作はまるでボタンを押すと1つの物を自動で作り上げる3Dプリンターのようだった。レラージェはグッたりとソファーで横たわる灰原司を動き出す前のアンドロイドのように無表情でただ見ていた。それからすぐに無駄のない動作で、食卓にある、長めにデザインされた背もたれのついた椅子に、ぐったりと気絶した灰原司を座らせ、ポケットから出した手錠を後ろ手にかけさせた。
「ユウグレ。終わったよぉ」
「おつかれ。素晴らしい仕事をしたレラージェにはご褒美をあげよう」
「なになに?」
「あそこにあるワインセラーのワインはすべて君のものだ」
「うっしゃ〜」
レラージェはワインセラーの中から白いラベルの貼られたワインを一本取り出した。ラベルには1956の文字が印刷されている。ポケットからなにかの鍵をコルクに差し込み引き抜くとそのままラッパ飲みした。
「ユウグレ。これシャトー・フィローだ。高級ワインだよ。飲む?」
「今はいい。おみやげに持って帰るから高級なの3本くらい選んでおいて。あと飲み過ぎるなよ」
「りょかーい。レンガ君は?」
「俺は未成年だ」
「レンガ君。そんな下らないことはどうでもいいんだよ。いいかい。たった今灰原司っていうクソみたいな奴の家に侵入し、目にも止まらぬ早わざで、このレラージェ様が奴を瞬時に眠らせたわけ。そんな奴のリビングにあるワインセラーを見たら、なんということでしょう。一本100万円以上する高級ワイン。シャトー・フィローの1956年物があるではありませんか。こんなクソみたいな奴が、自分のしたクソみたいなことなんて気にもせず、毎日ここで優雅に高級ワインを呑むわけだ。君はそれを未成年なんていう下らない理由で口にしないのかってことだよ」
「言いたいことはわかるんだけど、その変な喋り方はなに?」
「……」
「……じゃあいただきます」
「そうそう。自分で自分を縛るなんて馬鹿なことはやめた方がいいよ。世の中にはやってみないとわからないことが多いんだ。お姉さん達はそうして大人になったんだ」
レラージェはまるで自慢話でもするような顔でそう言いいながら僕にボトルを渡した。仕方なくそれを受け取り、極力口に入る量が少なく済むように制御しながら一口だけ口に含む。
「どう?」
「酸っぱい……薄いレモン汁」
「そうだね。まさに青春の味だね」
「ごめん。意味がわからない」
ケラケラと笑うレラージェの声が、リビングに響き渡る。その声に気を失っていた灰原司が目を覚ました。
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