残照
旅を続けていると、様々な風景に出会う。それは等しく価値を持つものだと、飛鳥井秋人は考えていた。
すべての風景が同一だと思っているわけではないし、同等の価値を持つとも思っていない。ただ、そこに風景としてある限り、どのようなものにも価値はあるのだと思っている。
「廃墟だなあ」
そこは、中世に繁栄した都市――その名残だった。
「なぜここは滅びたのかな、ナナシ」
相棒の、名を持たぬ魔道書に語りかける。
「――くだらんことを聞くな。全てのものは等しく有限であり、滅びは必然。それに理由を求めるな」
「人間は結末だけじゃなくて、過程を知りたがるものなんだよ。そこに何かがあったとなれば、ね」
結果だけを知っても満足しない。それは、人間の持つ最高の宝の一つだ。
「俺も直接来たことはないから、詳しくは知らん」
「そうか。残念」
秋人はナナシとの会話を打ち切り、廃墟の中で歩みを進める。
木材と石材で構成された町だった。街路や井戸も整っており、相応の設備があったことが分かる。周囲は平原で囲まれており、気候はやや涼しめといったところだ。
おそらく家畜を育てていたのだろう。牧場跡のような建物もあった。柵も多少破損しているが、原形を保っている。雑草が生い茂っていて、土の色は少しも見えなかった。
「ほう」
柵の一角に、興味深いものがあった。秋人は屈んでそれを覗き込む。
「どうしたんですか、秋人さん」
ふわりと風が吹いたかと思うと、側に和服の女性が現れた。もう一人の相棒、八百万の神の一員でもある夏名だ。
「これですよ。ほら」
その柵には、横一文字に削られた跡が何個もあった。横には、下手な形で人の名前らしきものが書かれている。
「背丈でも比べ合ってたんでしょうかね。一人は男の子、もう一人は女の子かな」
「丈比べですか。懐かしいですね、私もまだ生きてた頃、何度かやったことありますよ」
「残念ながら僕はないかなあ。身近に、丈比べにちょうどいい身長の人間がいなかったので」
ただ、こういうものを見つけると心が躍る。この風景を作ったのが、自分と同じ、しかし遠い時代の人間だと分かったからだろう。
この都市の誕生も繁栄も、そして滅亡に至るまでも。
名を残さない程度の町でも、そこには確かに人々とその歴史があった。
そういう残滓を見つけるのが、秋人の旅の醍醐味の一つだった。
「秋人さんは好きですね、こういうの」
「分からんでもないがな。どこからそういう趣味が生じたのやら」
「単純に、歴史が好きなんだよ。これまでと、これからと。どちらにも僕の知らない場所や人が沢山いて――それを知る機会があるのは、生きる幸福の一つだと思わないか?」
「お前はいちいち言い回しが大袈裟だな」
「いいんだよ、大袈裟なくらいで。くだらないとかみっともないとか言ってると、忘れてしまうからね」
自分たちの前に、数多の歴史があったことを。
自分たちの後に、数多の歴史が続くことを。
旅を続けていると、様々な物語を耳にする。それは等しく価値を持つものだと、探究者は考えていた。
ここは、片田舎の村にある小さな図書館。そこで郷土史の史料を眺めているのは、すらりとした体躯と腰まで伸びたロングヘアが印象的な女性だった。
「ちょっとした神話だな」
今はもうない、この近くにある廃村。その始まりは、流浪の若者と恋に落ちた少女の物語である。書かれている内容が殺風景に映るのは、編者が物語性よりも史的価値を重視したからかもしれない。
「人間というものは、起源に憧憬を抱くものなのかね」
「……お前も人間だろ。分からんのか」
呆れたように語りかけてくるのは、名を持たぬ魔道書だった。一応、旅の相棒である。
「分かるようで分からない。ん? いや、分からないようで分かる、の方が正確だろうか」
「どっちだ」
「分からないから分かりたくなる。かな」
首を捻りながら、探究者と呼ばれる女は答えた。言葉としては伝えにくいらしい。
「どの国、どの文化においても起源となる神話のようなものは存在する。それは、なぜだろうな。民族が求めたのか国家が求めたのか、それとも個々人が求めたのか」
「俺の知識に、その疑問に対する答えはないな。世にいる多くの神話学者たちも、そこまでは答えられないだろう」
「私は学者じゃない。だから根拠などいらん。適当に想像しているだけだ」
普段は意識することなどないが――やはり、自分たちがどこから来たのか、ということが気になるのだろうか。
得体のしれないものではなく、比較的身近な生き物――人間やその姿をした神々――が主役に据えられやすいのは、安心感を得るためなのかもしれない。人間の起源がうねうね動く気色悪い単細胞生物でした、などと言われるよりは、いろいろ欠点があっても、スサノオやゼウスのような者たちの方が安心出来る。
あるいは――。
「お」
図書館の窓から、陽が落ちる風景が見えた。
辺り一面に広がる草が、まるで黄金のような輝きを放っている。
「……ここの神話は、黄金の海と称された地に若者がやって来たことから始まるのだそうだ」
「ほう」
「もしかしたら、ここの神話は――この光景を語り継ぐために作られたのかもしれないな」
見落としてしまいそうな、身近にある様々なもの。案外それは神話の中だけでなく、今も多く残っているのかもしれない。
旅を続けていると、様々な人々と出会う。それは等しく価値を持つものだと、鬼と呼ばれた少女は考えていた。
道の途中で野宿をしていた彼女を、車で通りかかった夫婦が見つけて、家に招待してくれたのである。
どちらもまだ若く、新婚の初々しさが滲み出ていた。少女としては、少しばかりくすぐったい光景だ。
夫婦には子供が一人いた。まだ赤ん坊だ。女の子で、名前はエミリーというらしい。
「私たちの、遠い祖先の名前なのよ」
それは、この近くにある廃村にまつわる物語だった。夫婦の曾祖父辺りの代に、その村は廃れてしまったらしいのだが。
「僕も彼女も、村の始まりのおとぎ話を父や母から聞かされてきてね。それで、そのおとぎ話に出てくる少女の名前を拝借したのさ」
「へえ、そうなんですか。いいですね、そういうの。親から子へ、何か職人の技みたいな感じがします」
「うーん、職人とはちょっと違うと思うんだけどね。まあ、でも確かに素敵なことだとは思うよ」
奥さんが抱いているエミリーも、いずれは誰かと結婚して、その物語を我が子に伝えていくのだろうか。
それは分からない。
ただ少女は、すやすやと眠る赤ん坊の中に、遠い昔の何かを思い浮かべた。
窓の外には、美しい黄金色の風景が広がっている。
家の中には、今はもうない村を描いた、古い絵が飾られていた。
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