ある家族の話―エピローグ―
ここは田舎町。
私が長年過ごしてきた町。
今私は、お母さんと並んでその町を歩いている。
理由は至って平凡なもの。
……買い物だった。
「久しぶりね、買い物なんて」
「そうだね。スーパーのおばさん、少し驚いてた」
「いつも水渡さんばかりに行かせてたから……ごめんなさい」
「いいよ。毎日謝られると、こっちが何だか悪くなったみたい」
以前はこうしてお母さんと一緒に歩くなんて、想像すらしていなかった。
極めて平凡なはずのことなのに。
私にとって、これは奇跡にも等しい出来事に近い。
日常そのものが、掛け替えのない宝物だった。
少し前。
私はなぜか無性に悲しくなって、大好きな砂浜へ行って泣いてしまった。
そのとき、お母さんが迎えに来てくれた。
それまでは正直言ってお母さんのことは大嫌いだった。
でも、あのとき抱きしめてくれたお母さんの温かさは……今思い出しても涙が出そうになるくらい、優しいものだった。
「お父さん、今日は早く帰ってくるって。さっき携帯に連絡あったよ」
「航路さんが? わ、私には連絡来てないのに」
少し肩を落とし、悲しそうな顔をする。
お父さんはきっと、あの事件のことを気にしてお母さんに連絡をしなかったんだろうけど……女心が分かってないのは相変わらずのようだ。
……私たちは、全てを語りつくした。
思いを全て打ち明けた。
お母さんが傷ついた事件。
お父さんが見た夢。
そして、私の恨み。
全てを話し終えた後は……不思議と、三人で笑い合った。
いつのまにか失われていたお母さんの記憶はまだ戻らない。
お父さんの仕事は相変わらず忙しくて、あまり時間が取れない。
私には、相変わらず友達もいなかった。
でも、これから先。
きっとなんとかなると、そんな気がしていた。
私には帰る場所がある。
休むことも出来るし、泣くことも出来るし、甘えることも出来る。
それがあるだけで、なんでも出来そうな気がした。
「あ、そうだ。水渡さん、少し寄り道して行きませんか?」
「別にいいけど……お母さん、水渡でいいって言ってるのに。親が子供に敬語って、ないとは言わないけど珍しいよ?」
「それはいつか記憶が戻って、もっと胸を張ってお母さんと名乗れるようになってからにします」
今まで散々迷惑をかけたのと、それを何も覚えていないこと。
そのことから、お母さんは『自分は蒼井浅海』としては半端者だ』なんて言っている。
いつか本当の蒼井浅海になったとき、笑顔で家族と向き合えること。
それがお母さんの目標なんだそうだ。
「ほら、ここ」
と、お母さんが私を連れてきたのは見慣れた駄菓子屋さんの前だった。
このすぐ側に、私の大好きな場所がある。
けど、最近はあまり来てなかった。
もっと大好きになれそうな場所が、出来たから。
「お菓子、いくつか買って行きましょう」
「……うんっ」
頷き、駄菓子屋に入ろうとした瞬間。
「きゃっ!?」
「っと」
……中から出てきた男性にぶつかってしまった。
「あ、すみません……!」
「いやいや。僕の方こそ申し訳ない」
男の人は丁重に頭を下げると、店の前に立った。
立ち去るようでもないので少し訝しげに見ていると、
「さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。楽しいマジックショーだよー!」
大声で叫ぶと、トランプや帽子、ハンカチなどを取り出した。
私とお母さんはびっくりしながらも、不思議と彼をじっと見てしまっていた。
いや、もっと不思議なことがあった。
私はいきなり、
「マジックするの?」
彼に話しかけていた。
そのことに違和感などまるでなかった。
そうするのが当たり前のように感じた。
彼はにっこりと笑ってトランプを差し出す。
「はい、ここに五十二枚のトランプがあります。あ、ジョーカーは抜いてるよ」
まずジョーカーが手渡された。
そして、五十二枚のトランプも渡される。
私とお母さんは何度も確認する。
……間違いなく、普通のトランプだった。
「はい、普通のトランプ。間違いないね?」
「……うん」
「じゃ、そのトランプをください。はい、私の動きをよく見てくださいね?」
彼の言葉に従い、お母さんと一緒に彼の動きを注視する。
彼はトランプを手早く切りながら、にこやかに語りかけてきた。
「お二人はご姉妹か何かですか?」
「い、いえ。母娘です」
「そうですか。一緒に買い物?」
「ええ、そうなんです」
お母さんがとても嬉しそうに頷くのが気配で分かった。
私は相変わらず彼の動きに注目しっ放し。
「仲良さそうで羨ましいですね」
彼の言葉に、お母さんはちょっとだけ躊躇った。
私とお母さんの過去は、いろいろと複雑だ。
素直に頷いていいものかどうか、悩んでいるんだろう。
だから私が、
「――――はい。とても仲良くやってます」
お母さんの腕を取って、甘えるような笑顔で答えた。
そこで彼はトランプを切り終わる。
そのときの顔が、やけに嬉しそうなものだった。
「はい、どうぞ見てください」
彼は五十二枚のトランプを、私たちへ差し出した。
裏返してみると、そこには、
「……ハートの3?」
五十二枚全てが、ハートの3になっていた。
お母さんが感嘆の声を上げている。
けど、私は素直に凄いと思えなかった。
何か違う。
前に見たときとは、何かが……。
「――――はい、ありがとうございました」
そんなことを疑問に思っている間に、彼は頭を下げて荷物をまとめ始めた。
「あの、このトランプは?」
「ああ、それあげます。実はあなたたちがこの町で最初で最後の客でして。このまま次の町へ行くつもりなんですよ。ですから、まぁ記念みたいなもんです」
そう言って彼は足早に去っていく。
その後姿を見た瞬間、
「……駄目」
――――このままじゃいけないと思った。
まだびっくりしてるお母さんを置いて、私は店に駆け込む。
手早く商品を掴んで、お爺さんにお金を払った。
急いで店から飛び出し、既に遠くなっていた彼の背中を追う。
「――――待って!」
私が一声かけると、彼はすぐに立ち止まった。
きょとんとした表情で、
「どうかしたかい?」
なんて尋ねてきた。
息を切らせながらもどうにか追いついて、私は彼に手を差し出した。
掴んでいるのは、さっき店で買ったパンとうまい棒。
「はぁっ……はぁっ……マジックの、……お代」
「……これを?」
「はぁっ……お腹、空いてそうだったから」
「そっか」
彼はどこか嬉しそうにそれを受け取る。
「ありがとう。これで――――コンプリートだ」
私はそれに、笑顔で答えた。
それが最後。
彼はそのまま去っていき、私はお母さんの元へと戻る。
新しき居場所を探しに行く彼と。
今ある居場所を愛しく思う私と。
最初で最後の邂逅は、こうして終わった。
「……さようなら、旅のマジシャンさん」
蒼井航路からは仕事の情熱を。
蒼井浅海からは過去の記憶を。
そして、蒼井水渡からは――――僕らとの記憶を。
彼らが『家族』を取り戻すのに、ちょっと邪魔そうなものは全て消えた。
そして、彼らは少しずつ取り戻しつつある。
だからもう大丈夫。
僕のやるべきことは、全て終わった。
「ふふ、少し寂しいんじゃありませんか? 秋人さん」
「はは、それは面白いジョークだね夏名さん。どのみち僕のような旅人は、忘れられるくらいでいいんだよ」
それに、僕の魔法が知られたままだと困るし。
うん、これは利己的な判断によるものなのだ。
「秋人」
ナナシが呟いた。
「……家族が、羨ましくなったか?」
「まさか。僕はナナシと夏名さんがいれば充分だよ」
それは本心。
家族を否定するわけじゃないけど、僕は割とどうでもいい派。
ま、彼女たちを見ているうちに少しはいいものかなー……なんて思ったりもしたけど。
「All I need is journey。我が全ては旅也……ってね。今はこれで充分さ」
「そうか。……ま、その方がお前らしい」
ナナシが笑い、夏名さんが微笑む。
僕はどこまでも続く大空を見上げながら、
「――――――さよなら。……さぁて、次はどこに行こうかな」
どことも知れない、新たな居場所を目指して歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます