無謀な話

 ある日ある場所にて。

 ぶらりぶらりと歩いている旅人がいた。

 彼の名は飛鳥井秋人。

 一応魔法使いなんてものをやってはいるが、最近本人もそれを忘れがちである。

「運動だ」

 奇人を自称する秋人は唐突にそんなことを呟いた。

 ちなみに他人からは変人と称されている。

「運動だ、運動をしろと僕の第十五感が知らせてくる」

「第六感なんてとうの昔に超越してるもんなぁ、お前は」

 気だるそうに反応するのは秋人の相棒のナナシだった。

 彼は人間ではなく、意志を持った魔道書である。

 遥か昔、ヒッタイト人が活躍していた時代に生まれたと最近になって言い出した。

 誰にも信用されてないのだが、ナナシ自身信用される気0なのは問題である。

「でもなにするんですか?」

 と、夏名。

 着物姿の、おっとりした女性である。

 もっとも実態は強力無比な力を持った女神なのだが。

「夏名さん、運動というとなにを思い浮かべるだろうか」

「えーと……お手玉?」

「ナナシ、運動というとなにを思い浮かべるだろうか」

「……無視するなよ、夏名の奴少し泣いてるぞ」

 ちょっと拗ねている夏名をなだめる秋人に、ナナシは己の知識の中から適当に単語を出す。

「スキー、スケート、スノーボードあたりか」

「それはもう冬にやるものだろう。スポーツの秋には不似合いだ」

「いや、お前」

 周囲を見渡しながら、ナナシは呆れたような声をあげた。

「――――日本ならともかく、こんなとこで他になにをやれと」

 周囲は一面、銀色だった。

 というか銀色しかない。

 ついでにいうと、今もなお雪が物凄い勢いで降り続けている。

「あはは、寒いね」

「じゃなくて! なにをどうやったらこんなところに来るんだよ、ええっ!?」

「ロシアまで着て、僕の第百八十四感に従って歩いてただけなんだが……」

「秋人さん、やっぱり中国の方が良かったんじゃないですか?」

「ああもう、どこにどう突っ込めばいいのか分からんッ!」

 手があったらそれで頭を抱えていただろう。

 ナナシは絶叫しながら喚いた。


「とにかく運動だよ」

 秋人もしつこい。

「読書の秋、芸術の秋、食欲の秋、スポーツの秋……考えてみれば僕はそのどれもろくに体験していないではないかっ!」

「食欲の秋なら堪能してませんでした?」

「アレヲ堪能トイウノデスカアナタハッ!」

 ガタガタと震えながらクワッと夏名に迫る秋人。

 よほどその体験が怖かったのか、目の焦点が合っていない。

「しかし何故そこまで運動にこだわるんだ?」

「なにか運動するなりして身体温めないと死にそうなんだよ」

「なるほど、人間はそうやって身体を温めるんだったな」

 ちなみにナナシは秋人の鞄の中である。

 自らをタオルで温めている姿を見て、秋人は軽く殺意を覚えた。

 ちなみに夏名は元から実体のない幽霊のようなものなので、気温による被害は皆無である。

「人間とは不便なものだな」

「ですねー。私も生前いろいろ不便なものでした」

「――――僕も人間止めようかなぁ」

 ――――――。

 ――――。

 ――。

「ちょ、ちょっと待て!?」

「そ、そうですよ早まらないでください!」

「えー」

 必死に止めるナナシと夏名に対し、秋人はいかにも不服そうな表情だった。

「君らが今言ったばかりだろう! 人間は不便なのだよ!」

「いやでもそんなにアッサリと……」

「人間やめるのなんて案外あっさりしたものだと思うよ。吸血鬼の知り合いがいるけど、そいつはある日気づいたら吸血鬼になってたらしい。最初の一言は「ワオビックリ」だそうだよ」

「ああ、ディルメオスか」

「ディルメオスさん?」

「ああ。まぁなんというか、二年前に知り合った……変態、なんだが」

 ナナシのしみじみとした語り方に、夏名は得体の知れない不安感を覚えた。

 まるで秋人のことを語っているときのように、疲労感に包まれている声なのである。

 もちろん自分も似たように見られているとは気づいていない。

「まぁそれはともかく運動だ!」

(とりあえず人間止めるのは保留したか!)

 いつまた言い出すか分からないのが怖いのだが。

「で、結局お前はなにがしたいんだよ」

「なにって?」

「なにか運動したいんだろ」

「ああ――――革命運動とかどうかな」

「するな! だいたいそんなんで今の寒さをどうにかできるわきゃねぇだろうがぁっ!」

「ナナシさん落ち着いてください、怒りすぎは身体に悪いですよ」

「……今、俺には怒りすぎで困るような身体なぞないと突っ込もうと思ったが、なんかそれも間違ってるような気がしてきた」

「そうだぞナナシ、革命ほど熱くなれるものはないぞ」

 お前は革命を知ってるんかい。

 ナナシは心の中だけでそう突っ込みを入れた。


「なら自由民権運動とかはどうだろう」

「秋人死すとも、馬鹿は死なず! ですね?」

「――――こいつらと旅するの止めようかな」

 そんなこんなで。

 彼らは一足先に、冬に突入したようだった。


 どうにか町までたどり着き、秋人たちはホテルを取ることに成功した。

 温かい暖炉を前に、熱いコーヒーを飲む。

「くはぁ、幸せだね。こういう一時の安らぎはたまらないな」

「それが永遠に続くとしたらどうする?」

「僕の全てをかけても破壊するね」

 停滞と永遠を何よりも嫌う男、飛鳥井秋人。

 代わり映えのない平穏な日常などは、彼の望むところではないのである。

「そういえばナナシさん、さっきの人ですけど」

「……ん、なんだ?」

「ディルメオスさんて人。吸血鬼なんですか、本当に」

「ああそうだ。牙にょっきり生やして人の血を吸うぞ。まぁあいつの場合トマトジュースで万事オッケーという変り種だが」

「はぁ……いるんですねー、吸血鬼って」

「夏名さん。禁呪使いの“魔法使い”と魔道書、さらに女神がいるんですよ? 吸血鬼くらいいてもおかしくはないでしょう」

「何かが違う気がするが、何故か異様な説得力が……」

 うーん、とナナシが唸っているとドアをノックする音が聞こえた。

 慌ててナナシはバッグへ身を隠し、夏名は幽体へと変化する。

「はい、どうぞ」

 ロシア語で秋人が返答するとドアが静かに開けられた。

 部屋にやってきたのはホテルのボーイのようである。

「どうかしましたか?」

「お客様にこのようなものが届いております」

 そう言って、ガラガラと大きいダンボール箱を部屋に運び入れる。

「あの、送り主は?」

「ディルメオス様だそうです。詳しいことは私には分かりかねますが……お下げしますか?」

「いえ、ディルメオスなら知り合いです。ここに置いておいてください」

「かしこまりました」

 ボーイは荷物を置き、一礼して下がった。

 後に残されたダンボール箱を前にして、ナナシと夏名が再び姿を現す。

「噂をすれば、か。まぁロシアはあいつの祖国だからあいつがいることは不思議じゃない。だがどうやって居場所まで……」

「ロシアだっけ……? 僕はイギリスって聞いたけど。ロシア人の名前じゃないだろ、ディルメオスって」

「だがあいついくつも名前持ってるからな。ディルメオスは四十四個目の名前とか言ってなかったか」

「そうだった気がする……となるとロシアなのかな?」

「あ、秋人さんっ、ナナシさんっ!」

 秋人とナナシがディルメオス談義で盛り上がっているところに、夏名の声が割り込んできた。

「どうしましたか、夏名さん」

「今このダンボールが、動きましたっ!」

 おろおろと秋人とダンボールを交互に見る夏名。

 そんな夏名を脇において、秋人はダンボールの前に立った。

 上に耳をつけてみると、中からなにやら聞こえてくる。

『はぁ……はぁ……はぁ……はうっ』

 なにか、開けてはいけない気がした。

「ナナシ、ここは何階だっけ」

「四階だが」

「よし」

 秋人はダンボール箱をズルズルと引きずって窓のところへと持っていった。

 そして窓を開き、躊躇いもなくダンボール箱を突き落とす。

 異様に重く、中に人が入っているような気もしたが……問題なし。

 すぐさま窓を閉じて、秋人は再び暖炉の前でコーヒーを飲み始めた。

 が。

「ちょっと酷いのではないかね、秋人君」

 何の前触れもなく、唐突に秋人の背後に影が舞い降りる。

 それは人には分不相応なまでの美しさを兼ね備えた、神々しい男だった。

 しかし秋人はそれを前にしても全く動じない。

 どころか露骨に嫌そうな顔をした。

「出たな僕を上回る奇人」

「貴人だなんてそんな、当たり前のことを言われても。照れるなぁ、アッハッハ」

「ロシア語で話してるはずなのになんでそういうボケをするかな、君は」

「ならば日本語に切り替えよう。私はヴァイオリンガールだからね」

「それを言うならバイリンガルだ」

 そこまで言って、二人はようやく日本語に戻った。

 最初からずっと日本語に見えるのは仕様である。

「それにしても久々だな、飛鳥井秋人君。今度はまた綺麗な人をたぶらかしたものだ」

 フフ、と夏名の方へと向かい、そのまますり抜けて壁に激突する。

 地味に痛そうだった。

「……その人は旅の途中で知り合った女神さん。自在に幽体になれるし天然だから簡単にたぶらかすことはできないよ、女たらしのディルメオス君」

「酷いこと言ってませんか、秋人さん」

「いえいえ。僕はあなたが素晴らしい女性だと彼に教えているだけです」

「ううむ、難関だな。だが恋愛とは障害を乗り越えてこそ! というわけで女神様、私と共にディナーへと参りませんか?」

「すみません、私今はお腹すいてなくて」

「ははは、手厳しいなぁ!」

 豪快に笑い飛ばしながら涙を流すディルメオス。

 そんなディルメオスを横目で眺めながら、秋人は溜息をついた。

「それでディルメオス君。君は何しに来たのかな?」

「ん、あー。暇だったから遊びに来た。君に仕掛けた『ストーカー君一号』が反応したから近くにいることは分かったしな」

「ではなぜダンボールの中に入っていたのかな?」

「驚かせようと思ってね。私はほら、君と違って……え、ええと」

「ユーモア?」

「そう、ユーモアがあるからね!」

「ちなみにダンボールの中の呻き声はなんなんだ?」

「いやほら、暗くて狭いところに行くと色々と妄想してしまうものだろう?」

「いや、知らない」

 なおも続けようとするディルメオスを、秋人は手で制した。

「まぁ聞きたいことは大体聞いた」

「こんなものか。妄想の内容には興味ないかね? 例えば君も出演していたのだが……」

「帰れ!」

 言葉と共に、秋人の魔力が爆発した。

 が、ディルメオスは余裕だとばかりに回避する。

 それがきっかけとなり、部屋は戦場と化すのだった。


「ナナシさん」

「……なんだ、遠慮なく言いたいことを言ってくれ」

「類は、友を呼ぶんですね」

「……俺たちも含まれるのだろうか」

 ナナシの深く重い溜息が、秋人とディルメオスの激闘に掻き消された。

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