第13話

 次の行動予定は、結依が段取りをつけてくれた学校訪問である。

 こちらも案内役を結依に務めてもらって、俺と翔吾の計三名で伺うことになった。

 一人残される梨夏が手持無沙汰でむくれるかもしれないと気を回したが、彼女はどういうものか舞依と意気投合してしまったらしく、

「舞依さんを手伝ってお通夜の準備をするから、聞き込みは三人でお願いね」

 と、軽い調子で送り出されてしまった。一時は、速攻で東京に帰りかねないほどの動揺ぶりだったというのに。

 通夜祭の準備のお手伝いについては、お母さんや君枝さんはともかくとして、成隆氏の意向が気になるところだが、結依は「舞依が一緒だから問題ないわよ」と言う。


 三人で学校への道を歩きながら、俺は思い切って結依に尋ねてみた。

「成隆氏とは、どういう関係? 親戚か何かに当たる人なの?」

 結依はしばし言葉を選んでいる様子で中空を見上げていたが、

「血のつながりはないんだけど、もともと親しい付き合いをしている家……というか神社の人なの」

 と答えた。

 結依によると、成隆氏は、彼女が物心ついた頃から栞梛家に同居していて、しかも栞梛姓を名乗っているそうだ。

 年恰好からするとお母さん(美津)の夫的な立場のように見える。しかも、養子の形を採っているため、婿養子と思われがちなのだが、夫婦ではないらしい。あくまで「婿養子のような存在」という、何だかよくわからない関係のようだ。

 結依の言葉にあった「親しい付き合いをしている神社」というのは、赤菜町にある六条神社で、そこの宮司を代々務めている六条家というのが、成隆氏の実家なのだそうだ。

 成隆氏は三兄弟の末っ子で、長兄の清隆氏が神社を継ぎ、次兄の正隆氏は、昨日赤菜署員と行動をともにしていた例の警察医だという。また、正隆氏は赤菜町や咲宮市内で病院も営んでいるそうだ。

 成隆氏が栞梛家に迎えられた経緯とか背景については、結依もわからないらしい。

 成隆氏を取り巻く間関係については多少明確になってきたが、どこかすっきりしないモヤモヤ感は残ったままだ。


 学校は村の北部にある。村の中心・中小屋からは徒歩十分で一キロ弱の距離だ。

 学校への行程は、ちょうど一日のうちで最も気温が高くなる時間帯に重なってしまった。歩いているだけで体力を消耗しそうだ──というより事実消耗しているのだろう──が、そんな弱音を吐いている場合ではない。

 駐在所の横から、ほぼ真北に向かって伸びる道を歩いていく。

 田舎道とはいえ、そこは現代のこと、立派かどうかはともかく一応は舗装されている。ただ道幅は狭い。人がすれ違うには問題ないが、車はやっとのことで離合できるくらいの幅だ。

 もっとも、人も車も片手で数えられるほどしか出くわしていない。

 スクーターに乗った中年男性と、麦わら帽を被って腰にカゴをぶら下げて畑で何やら作業している高齢女性と、同じく麦わら帽に虫取り網を持った小学生の坊主二人組と……それだけだ。

 熱中症が懸念されるほどの気温ゆえ、屋内に避暑しているのかもしれない。

 両側に見える田んぼの稲や畑を覆う作物の幹や葉っぱも、心なしか暑さに参っているような感じさえする。

 しばらく行くと、道がやや上り坂になった。このあたりが、村の北辺に連なる山の麓にあたるようだ。

 左手の丘の上に、赤みがかった屋根が見えてきた。校舎の屋根だろうか。

 坂を登るにつれて学校の全景が目に入ってきた。

 校舎は平屋建てで、やや横に長い造りになっている。小ぢんまりとしているが、造作にそれほど古めかしさはない。板張りの壁も、汚れたりくすんだりはしていなかった。

 校庭にはお決まりのサッカーゴールやテニスコート、それから一隅にはブランコやすべり台も設置されている。ただ人の姿はない。

 小中一貫校というから、それなりの規模を想像していたが、全校児童・生徒数は20人に満たないという。

 正式名称は〈咲宮市立小中一貫校緋剣学舎〉である。舞依・結依の姉妹は、小中学校時代をここで過ごし、高校は赤菜町の咲宮高校赤菜分校に通ったそうだ。


 玄関を入ったところが、下足場になっている。児童・生徒以外の教職員や来校者も含めて、下駄箱は四、五十人分ありそうだ。

 結依は手慣れたもので、来客用の下駄箱からスリッパを二足分取り出して俺たちに勧めてくれた。

「先生がそのまま職員室に来るようにって」

 完全にフリーパスだな。昨今、学校の安全管理がどうのこうのと問題になっているので、他人事ながら少し心配になった。

 下足場から右の廊下に入ると、すぐに〈校長室〉と書かれた表札が見え、その一つ奥の部屋が職員室だった。結依が入口の引き戸を開ける。

 その音に反応して、入口右にある摺りガラス入りの衝立の向こうから男性が顔を覗かせた。一瞬の間をおいて彼は破顔した。

「おお、よう来たよう来た、結依さん。ここに来るのは久しぶりじゃろう」

「里井先生。お久しぶりです……けど、去年もお邪魔しましたよ。運動会のお手伝いの件で」

「おう、そうじゃったかいのう。わしも年で記憶が曖昧になってきとる」

 結依たちが社会科を教えてもらったという里井先生は、頭にちらほら白いものが混じり始めた五十がらみの年配男性だった。高齢者と呼ぶには失礼ながら、早くも好々爺の雰囲気を漂わせている。

「さっきも電話で聞いたが、お祖母さんはとんだことじゃったのう」

結依が無言で頭を下げる。

「神社の方もこれからしばらくは大変じゃろうけど、まあ、結依さんの顔見てそこまで悄気げとる様子じゃないけん、少し安心したわ。……さ、皆さんもこっちへ」

 先生に導かれるまま、衝立の向こうの応接コーナーに近づくと、ソファに座ってこちらに背を向けていた男が振り向いた。見覚えのある顔が目に映り、聞き覚えのある声が耳に届いた。

「やあ、奇遇だね」

 やはり風早青年だった。

 いや、奇遇とは言えないだろう。この村で〈ヤマガミ様〉とは……を追っていけば、ここにたどり着くのは必然であるという気がする。

「村役場……じゃなくて支所の人に尋ねたら、こちらの先生がお詳しいとのことだったので……」

 経緯を説明している風早青年の声を聴きながら、小さなテーブルを囲むように置かれた、あまり座り心地の良くないソファに腰を下ろし、室内を見回す。

 決して広いとは言えない職員室に、机も五つしか置かれていない。したがって教職員の数も五人以下ということになる。二十人に満たない全校生徒の面倒をみるのには、十分なのだろう。加えて、今は里井先生以外に教職員の姿も見当たらない。

 部屋の造作は、外観と同様に古めかしさや田舎臭さは感じられない。それに、僻村の学校とはいえ空調は設えられているらしい。設定温度はやや高めのようだが、徐々に汗が退いていく。

「電話でも少しお話ししましたけど、今日急に伺ったのは……」

 結依が説明を始めようとしたが、先生は

「ああ、わかっとるわかっとる」

 と手を振りながら、テーブルに並べられた何やら古めかしい本と同様に手垢のついたような古いノートを指し示した。本はタイトルが『緋剣村史』、ノートには表紙に『緋劒神社縁起書ノート』とある。

「こちらの、ええと……風早さんか。風早さんには、ヤマガミ様伝説発祥以前の緋剣村の成り立ちについてのお話をしておったのじゃけど……」

 と、里井先生は切り出した。

「さっきも言ったように、この山深い土地にいつ頃から人が住んでいたのか、確かな記録は見つかっておらんのじゃな。一方、今から話をするヤマガミ様の由来については、少なくとも緋劒神社の縁起書には記されておる」

 いきなり本題に入ったので、俺は慌てて姿勢を正し、話の続きに耳を傾けた。

「そもそも『ヤマガミ様』という呼称は、漢字で書くと、山の『神』様じゃなくて『守る』という字をあてるのが正しいんじゃ。つまり『山守様』じゃ。どうして『山守様』かというと、それは平安時代末期まで時代を遡ることになる」

「平安末期……すなわち源平時代ですか」

 風早青年がすかさず合いの手を入れる。

「そう。ただ、俗に〈源平合戦〉と呼ばれとるけど、正しくは〈治承・寿永の乱〉。そもそも〈源平〉などと一括りにできるものではないんじゃ。清盛を頂点とする伊勢平氏、すなわち平家の専横ぶりに反感を抱いていた他の血筋の平氏は少なくなかったし、その逆に保元・平治の乱で勝者側に与した源頼政は、一時は清盛から信頼されて平氏政権下で源氏の長老として中央政界に留まっておったし……」

 そこで里井先生は本筋から脱線しかかっていることに気づいたようで

「まあそれはともかく、〈治承・寿永の乱〉では序盤の〈富士川の戦い〉、中盤では〈倶利伽羅峠の戦い〉、平家の都落ち以後は〈一の谷の戦い〉や〈屋島の戦い〉、そして最後の〈壇ノ浦の戦い〉が有名じゃけど、それだけじゃなく、とりわけ西日本の各地で小規模な戦闘は行われていたのじゃな。必ずしも平家側が連戦連敗というわけではないが、そうした戦いで敗れた平家方の武将が、落ち延びていくわけで、近畿、中四国、九州の至る所に、落人伝説は息をとどめておる」

「ほう、貴種流離譚ですか」

 またしても風早青年が、今度はかなり興味を惹かれた様子で口を挟んだ。

 それを聞いた翔吾が、首を傾げながら問う。

「何ですか、その『きしりゅうたん』ってのは?」

「『貴種流離譚きしゅりゅうりたん』だよ。物語の型の一種でね、本来は高貴な血統の主人公が、何らかの事情でその身分を失い、異郷や底辺社会をさまよいながら、さまざまな試練を克服して再び尊い存在としての地位を回復する、というものなんだ。平家の郎党や平家方に与した武士たちの落人は、もともとの地位を回復できなかったわけで、それが、厳密な意味で貴種流離譚の定義に当てはまるか否かは議論のあるところだけど」

 幸先よく本題に入ったと思ったものの、どうも話の流れが横道に逸れがちだ。この調子では核心にたどり着くまでは、まだ時間がかかるんじゃないかな。

「平清盛の死後、とりわけ都落ち以降の平家の実質的な総帥は、四男の知盛じゃった。継室の時子の子としては次男じゃな。清盛自身は三男の宗盛を後継者に指名したんじゃが、この宗盛が武家の棟梁たる器ではなかったとされておる。〈壇ノ浦の戦い〉で醜態をさらす息子を見た時子が、宗盛を指して清盛と自分の子ではないと言ったとか言わんとかいう話も残っとるくらいじゃから」

 案の定、どんどん話があさっての方向に向かっている。決して面白くない話ではないのだが、どう考えても事件には関係なさそうなので、俺は内心やきもきしていた。

「で、その知盛を中心に、平家内部では壇ノ浦での最終決戦後の一門の動きについて話し合いが重ねられたとみられる」

 里井先生は心持ち厳しい表情で続けた。

「その結果、壇ノ浦において、もし平家に利がなく、もはや勝ち目がないと悟ったとき、安徳帝と二位尼が乗った船から安徳帝の替え玉を抱いて、二位尼が入水することに決めていたというのじゃ。もちろん、本物の安徳帝は知盛や平教経を中心とする平家首脳の手で潜行の途につくというわけじゃ。それを裏付けるかのように、安徳帝偽装伝説は各地にあり、また正史では死んだとされる知盛についても、生きのびて四国の地に潜行してきていることが地方史誌に書かれておる。その他にも平家方の武将が落ち延びていくわけで、近畿、中四国、九州の至る所に、落人伝説が語り継がれておるのじゃ。後に平家の残党が起こした三日平氏の乱やかつての平家方城助職の起こした謀叛などをみても、平家の落人が存在した事自体は間違いないが、そもそも人目を忍んで逃亡・潜伏した者であるため、歴史学的に客観的な検証が可能なものは少ないがの」

 話が五分ほど前に通過した場所に戻ってきてしまった。

 さすがに風早青年も業を煮やしたのか、やや強引に

「もしかすると、ここ緋剣村にも平家方の落人が……ということですか?」

 と水を向けた。

「いかにも」

 里井先生が重々しく頷く。

「この村に流れ着いた平家方武将の一団じゃが、人数はわずかに六人で、棟梁の名を〈山守(やまもり)重秋〉というた。もともとは隣国の小地域を拠点にしていたらしい。このあたりは平家にはなじみの深い、所縁のある土地が多いからの」

 そこで先生は、何かを思い出したように唐突に話を切り、

「はじめに出せばよかったんじゃが、つい失念しとった」

 と、誰にともなくつぶやきながら立ち上がり、座を外した。

 何のことかわからず、ぼんやりとその後姿を目で追っていると、先生は応接コーナー横の壁際に置かれた小型の冷蔵庫から麦茶のペットボトルを取り出し、グラスと一緒に盆に載せて戻ってきた。

「日中の一番暑い時に歩いてきたけん、汗かいたじゃろう」

 などと言いつつ、先生はペットボトルの栓を捻じる。

「先生、わたしが……」

 結依がボトルを受け取って、グラスに麦茶を注ぎ、みんなに配ってくれた。

 喉がうるおったところで、先生はやや口調を変え、

「平家の落人伝承について多い誤解が、落人が平家一門の末裔であるという混同じゃ。確かに平家一門が落ち延びたという伝承も少なくないが、この場合の落人は、平家方に与して戦い敗れて落ち延びた者であり、平家の郎党の場合もあれば、単に平家方に味方した武士の例もあった。山守重秋の場合は後者じゃな。ちなみに『平家物語』『源平盛衰記』といった軍記物には〈山守重秋〉の名はない」

 先生の語りが途切れるのを待って、風早青年が口を挟んだ。

「すると、山守重秋というのは記録には存在しない、あくまで伝承上の人物ですか?」

「いや。緋劔神社の縁起書には記載があり、村史にも記録されておるのじゃが、信憑性という点では疑問の余地ありということじゃ。まあ、ここではそれらを踏まえた史実と仮定して話をするが……」

 先生は軽く咳払いして話を続けた。

「その山守重秋じゃが、この村に流れて来たのは、記録から考えて〈一ノ谷〉の後で〈屋島〉の前、おそらく〈藤戸の戦い〉で敗れたのちのことじゃと思われる。平家主力は屋島に逃れたわけじゃが、さっきも言ったように、山守重秋は隣国の出身じゃったから土地鑑はあったじゃろうし、もともとこのあたりは平家寄りの土地柄じゃからの、村人たちにもすんなりと受け入れられたようじゃ」

 俺たち聴衆は、時折り相づちを打ちながらひたすら耳を傾ける。

「落人たちにとっては安住の地を見つけたかに思えたものの、その四ヶ月後に〈壇ノ浦〉で平家が命脈を絶たれ、源頼朝による支配体制の整備が進む中で、落人狩りの追討軍が遣わされて村人が揺れ動くわけじゃ。なんせ鎌倉方の追及は苛烈じゃったとされとるからのう」

 そこで先生は、グラスに残った麦茶で再び喉をうるおし、

「じゃが、終末は意外にあっけないものじゃった。鎌倉方の追討軍より差し迫った脅威が村を襲ったのじゃ」

 と、思わせぶりに言葉を切った。

 脅威とは何か、と目で問う俺たちに、先生は答えた。

「流行り病じゃ。赤斑瘡(あかもがさ)と思われる」

 赤斑瘡──今で言う麻疹(はしか)である。縁起書や村史には、発熱、咳、全身の赤い小さな発疹が見られたという記述があるそうだ。

 それらの書物によると、山守重秋以下の一団は、目に見えぬ脅威に対抗するため、村人たちに薬などを分け与えてたいそう喜ばれたらしい。しかし、歴戦の強者たちも病には勝てず、村人と同じく次々に罹患して死亡。最後に残された山守重秋は、追討軍接近のうわさの中、ただ一人ひっそりと緋剣山に入って自害して果てたという。

「不思議なことに、山守重秋の自決と同時に流行り病は終息に向かっての」

 先生はいく分しんみりとした口調でしめくくった。

「よって村ではこのように伝えられておる。山守重秋は我が身を呈して病魔をあの世へ連れ去り、村を救った。死と同時に彼は山守様から〈ヤマガミ〉様に転生されたのじゃと。その後、しばらく時をおいて〈ヤマガミ様〉を祀るために緋劔神社が創建され、霊山としての歴史が始まり、修験道場として今に至るというわけよ」

 一説には〈緋剣村〉という呼称は、山守重秋の愛刀の鞘が緋色あるいは赤色だったことに由来するとされているが、自害の際の血に染まった抜き身を表しているという言い伝えもあるそうだ。

「なるほど、そういう由来が……」

 風早青年がしきりに頷きながら、得心した表情で口を開いた。

「緋劔神社において宮司ではなく、巫女が代々祭祀を司ってきた理由は、そこにあるんでしょうね」

 どういうことかと疑問の目を向けた俺を横目で見ながら、風早青年は続ける。

「今のお話によると、山守重秋という武将が緋剣山に入って自害して〈ヤマガミ様〉になったということだったね。ということは、緋剣山の神様は男性ということになる」

 風早青年はいったん言葉を切り、残った麦茶を一気にあおると、

「しかし、一般的には山の神は女神とみなされていることが多い。したがって、女人、特に美しい女性が山に入るのを忌避する意味で、女人禁制をしきたりとする山があるわけだ。緋剣山と緋劔神社の場合はそこが逆で、男神に仕えるに巫女という位置づけになっているんだね」

 ということは、緋剣山では男がみだりに立ち入ることを厭う習わしがあるのだろうか。

 ともあれ、緋剣村における〈ヤマガミ様〉の由来はわかった。緋劔神社の祭祀を司る巫女様が〈ヤマガミ様〉を信奉する理由も。

 それにしても……だ。この村の〈ヤマガミ様〉信仰は少し度が過ぎてやしないか。閉鎖された狭い地域に限られているとはいえ、このデジタル時代に〈神様の祟り〉が幅を利かせていること自体、異様な感じがする。

 そのことを口にすると、先生は

「わしなんかは、村と縁深いとはいえ生まれ育ちは赤菜の人間じゃけん、部外者としての目線も保っておるとは思うが、村で生まれて幼少期からずっと〈ヤマガミ様〉と緋劒神社の影響下で育った人にとっては、長年にわたって培われてきた精神的土壌というのは、外の人にはわからんほど強固なもんがあると思う。ただ……」

 と語りつつ、複雑な表情になって

「緋劒神社の代々の巫女──とりわけ紫乃婆様──が、神社の権威付けに〈ヤマガミ様〉伝説を利用しとる側面はあるし、言い伝えをもとに、神社に都合の良い創作が加えられた可能性はもちろんある。結依さんにとっては、あまり愉快な話じゃないがの。まあ、それも紫乃婆様の巫女としての能力の高さが前提にあってのこと。当たりもせん占いや効きもせん祈祷ばっかりやっとったら、権威もへちまもないわな」

 その後、ひとしきり里井先生と風早青年の間では、祖霊信仰とやらに関する専門的な会話が交わされていたが、俺たちにはほとんどピンと来ないような内容だった。

 結局、里井先生の話で緋剣村における〈ヤマガミ様〉の由来はわかった。残念だが、それだけである。〈ヤマガミ様〉信仰が今回の事件にどう関わるのか、そもそも関係があるかどうかはさっぱり見えてこない。見えてこないが、これ以上の収穫は望めそうもなかった。

 さて、次はどうするか。

 時計を見ると、もう午後五時前を指している。時間も時間だし、梨夏をあまり長時間放置しておくのもまずい。そろそろ神社に戻ったほうがいいかもな。

 頃合いもよしと見たところで、風早青年以下の聴講者たちは席を立った。里井先生に丁重に謝意を表し、暇を告げる。

 いつの間にか職員室に戻ってきていた若い男性教員にも軽く会釈しつつ廊下に出たところで、風早青年が言った。

「僕は今から中小屋まで戻って、例の怪異譚を聞きに行くんだけど……もしよければ一緒にどう?」

 そういえば、今朝そんな話があったな。

 あの時点では、結依のことが気がかりでそれどころじゃないと断った形になったが……今は俺の中で心境の変化が生じていた。

 明後日のタイムリミットまでに、がむしゃらに情報を集めて事件の真相に迫らないといけないのだ。

 正直なところ、里井先生の話と似たり寄ったりだろうと覚悟はしている。また無駄足になる可能性が高いが、もはや〈毒食わば皿まで〉の心境だった。

 他になすべきことがはっきりしているならともかく、意気込みとは裏腹に手詰まり感満載だ。小賢しく情報の選別なんてやってる場合じゃないかもしれない。

 翔吾とも相談して、風早青年にお供させてもらうことにした。

 こういう展開になるとは予想していなかったが、結果的には梨夏を連れてこないでよかったな。

 結依は、帰って通夜祭の準備をしないといけないから怪異譚には付き合わない、という。

 見送りがてら廊下に出てきて、なりゆきを見守っていた里井先生が、

「それなら皆さん、わしの車に乗っていくがええ。お三方を中小屋で降ろして、結依さんは神社まで送っていけばええじゃろ。どうせ帰り道じゃし」

 と言って、帰り支度のため職員室に引き返していった。先生は赤菜町のご自宅から自家用車で通ってきているそうだ。

 そういうわけで、一足先に校舎の玄関を出た。

 午後五時とはいえ、まだ夏の日は高く、夕刻の気配はあまり感じられない。暑さは相変わらずだ。

 支度を終えて出てきた里井先生と一緒に、校舎横の駐車スペースに向かう。

 日光は山の稜線に辛うじて遮られ、車体に直射していないものの、車の中は蒸し風呂状態だった。すぐに先生がエンジンをかけエアコンを始動させる。

「中小屋までほんの少しじゃけん、ま、辛抱してくださいの」

 先生の言葉どおり、徒歩十分あまりの距離は車ではあっという間の移動で、車内が冷える間もなかった。

 例のバス停前で車から降りる際、風早青年が助手席の結依に、夜の通夜祭に参列させてもらいたい旨を申し入れ、結依も快諾した。

 下車した男三人は運転席の里井先生にお辞儀をし、先生も笑顔で一つ頷く。

 車は排気音を響かせつつ、神社に向かって走り去っていった。

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