第10話

 参集殿の客間に戻り、翔吾と梨夏に事情を伝えて、しばらく待っていると、裏口の方で人の気配が生じた。

 その気配はゆっくりと廊下を移動して、客間のドアの前で止まった。ドア上部の磨りガラスに映る人影は、複数のように思える。

 ノックの音に少し遅れて

「入るわね」

と、結依の声。

 おもむろに開いたドアから入ってきたのは、もちろん結依……と、もう一人──結依とほぼ同じ背格好で、容貌も瓜二つの女性──双子のお姉さんだった。

 初めて当人を目の当たりにした翔吾と梨夏が、あまりの相似に息を呑む。

「双子の姉の舞依よ」

 結依が紹介し、二人は粛然と畳に腰を下ろした。

「はじめまして、舞依です。結依がいつもお世話になってます。こんな遠いところまで足を運んでいただいて……」

 舞依は正座して丁寧に頭を下げた。同い年とは思えない、気品のある落ち着いた所作。立派に大人の立ち居振る舞いだ。

 今朝、村の老婆二人が交わしていた会話を思い出した。

「舞依ちゃんはほんまにできた娘じゃけの」

 あの言葉に間違いがないことを、本人が身をもって示してくれている。

 思わず俺たちも正座してかしこまった。何と答えていいのかとっさに口をついて出てこないので、とにかく頭を下げておく。

 こうして目の前に並んだ姉妹は、髪型こそ多少違えど、本当に見分けがつかないほど瓜二つだ。

 以前、双子同士で入れ替わって一日過ごし、誰にも気づかれなかった、という話を人づてに聞いた時は、そんなバカな……と疑ったものだが、この二人を見ていると、さもありなんと思えてくる。所作や言葉遣いに微妙な違いは現れるだろうが、黙って座っていれば、見分けることは至難の業だ。

 それはともかく、翔吾と梨夏が最初の驚きから醒めたところで、結依が静かに切り出した。

「翔吾君と梨夏はもう聞いた? 昨夜のこと……」

 二人は困惑の顔を見合わせ、無言でうなずく。

 その反応を確かめて、結依は一つ大きく息を吸い込み、淡々と語り始めた。

「大樹君が見た『山の中の御堂』は〈緋籠堂〉というの。月に一度、婆様が一晩中夜籠りして、祝詞や祭文を上げる場所」

「……」

「実は昨日の夜、婆様には……あそこで亡くなってもらうつもりだった」

 いきなり驚きの台詞が発せられた。亡くなってもらうって……それはつまり……。

 結依の視線は正面に向けられているが、あたかも俺たちの背後の虚空を見つめているかのように焦点が合っていない。そして、舞依は苦悩の色をにじませて面を伏せている。

(そういえば、あの時……)

 昨夜、山に入る直前、母屋から出てきた舞依が、細長い棒のようなものを手にしていたことを思い出した。

(あの棒切れで、お祖母さんを……)

 さらに連想は、昨日の後継者問題についての会話シーンに飛ぶ。あの時、結依はこう言った。

『代替わりの儀式は四日後だから、そこまでに何とかしないと……』

 今になって、その台詞の本当の意味が推察できる。

「何とかしないと」は「お姉さんを見つけないと」ではなく、「お祖母さんを亡き者にしないと」という意味だったのではなかったのか。

「でも……」

 結依の告白は続く。

「わたしたちが緋籠堂に入った時には、婆様はもう死んでいたの」

「死んでいた!?」

 思わず声に出して繰り返してしまった。

 やはり二人が投棄したのは遺体だったのかという、ある意味では不謹慎な安堵感を覚えつつ、俺が念を押すかのように結依の目を覗き込むと、彼女は真正面から視線を合わせ、きっぱりと頷いた。

「頭に血がにじんでた。白髪が赤く染まってたわ」

 結依はその時の情景と心境を思い出したのか、身を震わせる。傍らの舞依は顔を伏せたままだ。

「身体はまだ温かかったけど、息はしていなかった。呼吸は止まってた」

 再び、脳裏に昨夜の光景が甦る──結依と舞依が緋籠堂に入った直後、小さく短い悲鳴が聞こえた──。

(お祖母さんが亡くなっているのに驚いて、漏らした悲鳴だったんだ)

 そこで、しばらく黙り込んでいた翔吾が口を開いた。

「ということは、結依とお姉さんがその緋籠堂とかに入る少し前に、誰かがお祖母さんの頭を……」

 結依たちの話が真実だとすると──むろん俺は二人の話を信じるが──おそらく翔吾の推測どおりだろう。

 では、その誰か、つまり殺人犯は、犯行後どこに消えたのか。

 緋籠堂から例の山道を通って麓に下りていたなら、必ず姉妹か俺の目に触れたはずだ。それとも途中の茂みに隠れて、登ってくる俺たちをやり過ごしたとか……? いや……違う!

「そいつは犯行後、緋籠堂の中に隠れていたんだ……」

 俺は誰に言うともなくつぶやいた。うつむいていた舞依が弾かれたように面を上げる。

「二人が立ち去った後、緋籠堂に誰かいたことは間違いないんだ」

 俺は、舞依と結依が山を下りた後の出来事──緋籠堂に明かりが灯ったこと──について語った。

 姉妹は呆然とした表情で、お互いに蒼白の顔を見交わす。

 無理もない。俺の他に真犯人にまで、自分たちの行為を目撃されていたのだから。考えようによっては、真犯人のためにわざわざ遺体を投棄してやったようなものではないか。

「緋籠堂に隠れるような場所なんてあるのかい?」

 翔吾の問いに対して、結依が眉を曇らせたまま頷く。

「祭壇の裏側が納戸になっているから、いざとなれば隠れるのは簡単だわ。昨夜はわたしたちも納戸を確認する余裕なんてなかったし……」

 しばらくの間、その場は沈黙に包まれた。

「このこと、やっぱり警察に言うべきだろうな」

 翔吾がぽつりとつぶやいた。出た。十八番の常識論だ。

「ちょっと待てよ。結依さんの話を警察が信用してくれればいいけど、一つ間違えると、逆に二人を窮地に追い込むことになるぜ」

 表面的な事実だけを見れば、結依たちの容疑はきわめて濃厚だ。

 自分たち自身が殺害の意図を持っており、一応凶器も準備して、殺害現場まで足を運んでいるのだから、最有力容疑者とされることは間違いない。おまけに、自分たちが殺したわけでもない遺体を、わざわざ投棄しているのだから、なおさらだ。

 たとえ、真犯人は他にいると主張したうえで「自分たちは殺していませんけど、殺意は抱いていたし、面倒なことになるのが嫌なので、遺体を崖から投げ落として事故を装いました」などと、本当のことを供述しても、警察が「ああ、そうですか。じゃ、死体遺棄だけね」で片づけるとは思えない。

 だからこそ舞依・結依姉妹も、秘密裏に遺体を処理して事故死の判断を待つのが無難、と、緋籠堂でとっさに判断したのだろう。

 ただ、事故死で片付けられることが本当にいいのか、何か引っかかる。道義的問題とか何とか、小難しい理屈以前に……そうだ。

「いや、そりゃまずいだろ」

 俺の思考に翔吾の声が重なった。

「お祖母さんだけのことで済めばいいけどよ、犯人が誰かも動機もわからないんだぜ。ということは、人殺しがこれで終わるものやら、まだ続くのやら、さっぱりわからないじゃないか」

 冷水を浴びせられたかのように、背筋に寒気が走った。

 確かに翔吾の言うとおりだ。このまま事故で決着してしまえば、殺人犯は野放し状態である。その正体も、事件の背景も動機も、まったく不明である以上、極端なことを言えば、どこかの殺人狂が村に忍び込んでいて、手当たり次第に村人を血祭りにあげようとしているなどという可能性もゼロではない。

 万一、村がそういう状態に置かれているのなら、俺たちだって命の危険に晒されることになるのだ。

「ちょっと待ってよ!」

 梨夏がいきなり叫んだ。双眸が恐怖に見開かれ、唇が色を失って慄えている。

「それじゃ、わたしたちも殺されるかもしれないっての? 冗談じゃないわよ! わたし、東京に帰る」

 恐慌状態に陥った梨夏はやにわに立ち上がり、客間を出ていこうとした。

 梨夏の予想外の過剰反応に慌てたのは、もちろん、不用意に火を点けてしまった翔吾である。ドアの手前で梨夏に追いつくと、言葉を尽くして宥めすかし、どうにか落ち着きを取り戻させた。いささか毒が効き過ぎたようだ。

 全員が再び着座したところで、俺は先ほどから引っ掛かりを感じていたことに言及した。

「さっきの……動機ってことなんだけど、そもそも結依さんたちがお祖母さんに、その……亡くなってもらおうとしたのは、後継者問題がこじれたのが原因? 要するに、後継ぎが嫌だっていう本当にそれだけなの?」

 こういうことを言っては何だけど、後継ぎがどうしても嫌なら、舞依は頑として家出をそのまま継続した方がよかったのかもしれない。お祖母さんはともかくとして、いろいろな人に迷惑をかけることにはなるだろうけど。

 その結果、今度は結依が窮地に立たされるというなら、最悪の場合、姉妹そろって村を出奔し、自分たちの要求が受け入れられるまで帰らないという選択だってあり得ないわけじゃないだろう。

 それなのに、なぜ一気に祖母殺しという過激な行為にまで突っ走ろうとしたのか、という疑問がどうしても拭いきれないのだ。

 俺の問いに対して、舞依と結依は、これまでにないほど深刻な苦悩の表情を浮かべた。悲痛の色をたたえて視線を宙に泳がせ、あるいは目を伏せていたが、ややあって、結依に先んじて口を開いた舞依が、意外な台詞を発した。

「わたし、神社の後継者になるのは何の問題もないんです」

「えっ!?」

 俺たち三人は目を丸くする。

「むしろ、後を継いで巫女として神社を守り立てていきたいぐらい。わたしは昔からそう願ってるんです」

「そう。姉は子どもの頃から、生家と神社を大切にしてくれているわ」

 結依が大きく頷いて、舞依の言葉を引き継ぐ。

「ある意味、旧来のしがらみに囚われざるを得ない姉に比べて、自由な立場でいるわたしが負い目を感じるくらい……」

「ううん。わたしはこの神社が好きなんだから」

 舞依は軽くかぶりを振りながら付言した。そんな仕草にも、そこはかとない奥ゆかしさが感じられる。

 しかし、それなら何故お祖母さんを……? 話が矛盾しているようで、ますます不可解さが募る。

 それを問うと、少し穏やかさを取り戻したかに見えた結依の顔が、再び苦渋に彩られた。

「問題は後継ぎそのものじゃなくて、それに先立つ儀式なのよ」

「儀式!?」

 結依が暗い目でうなずく。舞依は心なしか目を潤ませている。

「〈種受けの儀〉というの」

 結依がぽつりと言った。

「種受けの儀……?」

 何のことかわからず、俺は口の中で小さく声に出して反芻する。そのとたん、頭の中である禍々しいイメージが急速に形を成していき、猛烈に嫌な予感に襲われた。それってまさか……。

 結依が感情を喪失したような顔で、言葉を継ぎ足した。

「男の人から子種を授かる儀式……」

 再び客間が静寂に包まれた。おそらく自分たちの常識を超越しているであろう話の内容に、理解と感情が追いつかない。

「ど、どういうこと?」

 沈黙に耐えきれず、梨夏があえぐように問いただす。

 漂白されたような無表情から一変して、結依の顔に激しい嫌悪の色が広がった。

「神社の後継ぎを身ごもるために、この村に来て修行している宗教家と一夜を共にさせられるの、むりやりにね!」

 婉曲ではあるが誤解の余地のない表現で、結依は語気荒く吐き捨てるように言い放った。

「そ、そんな……」

 梨夏も将吾も、そして俺も、驚きのあまり言葉が続かない。

 何だよ、それ……。そんな現実離れした話が、本当に存在するのか。そんな無茶苦茶が現代の社会で許されるのか。

「後継者の最大の使命は、さらにその後を継ぐべき巫女となる女の子を産むことなんです」

 嫌悪感を満面にたたえて口をつぐんでしまった結依に代わって、舞依が重々しい口調で続ける。

「そのために必要な行為を〈種受けの儀〉として神聖化すると同時に、その儀式を経て初めて、ヤマガミ様と緋劒神社を祀り奉るべき後継の巫女として認められるというしきたりが、代々受け継がれてきたんです」

 唖然として声も出ない。

 いくら、ヤマガミ様に対する強固な信仰を受け継ぐ神社の家系だとはいえ、あまりにも特殊で異常な習わしだ。

 今の時代、山間の僻村とはいえども、人跡稀な山奥でも絶海の一孤島でもなく、人口百万人の県都A市から車を飛ばせば一時間あまりの地に、こんな忌まわしい因習が未だに息づいていようとは……。

 驚きが徐々に沈静化していくにつれ、疑問がどんどん膨れ上がっていく。

「その……儀式の相手となる宗教家って、どうやって決めるんだい? もしかしてお祖母さんが……」

 舞依が沈痛な面持ちのまま頷いた。

「婆様の目から見て宗教者としての能力が高く、霊験あらたかな人が選ばれるんです」

「つまり〈種受けの儀〉っていうのは、お祖母さんが決めた宗教家と強制的に結婚させられる儀式ということなんだ」

「いいえ。結婚はできません」

 今度は舞依は首を横に振りながら、翔吾の早合点をきっぱりと否定した。

「巫女には処女性が求められるので、婚姻は禁じられています」

 しばらく沈黙を守っていた結依が、脱力したような口調で語る。

「あくまで形の上での結婚はせずに、後継ぎの女の子を産まなければならないの。〈種受けの儀〉はその場限りの関係。母も祖母もそれを成してきたわ。だから、わたしたちは父がどこの誰だかわからないのよ」

 これはいったい何なんだ。この〈種受けの儀〉とかいう不条理極まりないしきたりは。要するに、父親不在の子どもを産めということじゃないか。

 信仰の正統性と神社の血統を守るためか何だか知らないが、人権感覚の鈍かった昔ならともかく、個人の自由とか権利とかが声高に叫ばれる現代の社会で、こんな人権無視の悪しき習わしが通用するはずがないだろう。

 後継の巫女になる女性、子種を提供するだけの修験者や巡礼者の男性、その結果、産まれてくる子ども……当事者の気持ちはどうなる。舞依と結依が〈種受けの儀〉を忌み嫌うのも当然だ。

 結依は語り続ける。

「母が心を病んだのも、元をたどればその儀式が原因なの。あんなこと何度もやらされて、変にならない方がどうかしてる」

(何度もって……?)

「母は三回も儀式を経験させられてるわ」

 もはや嫌悪を通り越して、おぞましささえ感じる。

「母が最初に産んだのは男の子だった。わたしたちの兄」

「お兄さんもいるの!?」

 翔吾と梨夏が目を丸くした。

〈一難去ってまた一難〉という諺があるが、これでは〈一驚去ってまた一驚〉だ。たとえは悪いが、お化け屋敷のように一つまた一つと驚きの事実が明かされる。もう驚くことに慣れてしまいそうだ。

「でも、男の子は神社の後継ぎにはなれないから、女の子ができるまで儀式はくり返されて……二度目は流産、三度目でようやくわたしたちを授かったの。その直後からだったらしいわ。母の言動に異常の兆候が見え始めたのは……」

「いったい全体、お祖母さんってどういう人なの?」

 たまりかねたように梨夏が強い口調で詰め寄った。

 健やかな成長を願ってやまないはずの娘や孫娘に対して、こんな忌まわしいしきたりを強制できる感覚が信じられない。特に梨夏の場合、同じ女性として腹に据えかねたのだろう。

「ひと言で言えば、ヤマガミ様と緋劔神社の熱狂的信奉者……ね」

 二人が代わるがわる語ったところによると──

 紫乃婆様の思考と言動の根本にあるのは、ヤマガミ様信仰と緋劔神社の繁栄であり、この二つの使命が他のすべてに優先される。

 自身の幼少期より、母親──舞依・結依姉妹にとっては曾祖母──の朱鷺ときから、英才教育という名のある種の洗脳を受けてきたため、緋劔神社の血統維持の手段として〈種受けの儀〉にも疑問を抱いていない。したがって、娘や孫娘のことも、神社の血筋を受け継いでいくための手駒か道具としかみなしていないだろう。

 確かに、紫乃婆様の御祈祷は村人たちには評判が良く、御託宣もよく当たると喜ばれており、巫女としての能力は極めて高いと思われる。

 と同時に、その力の背景にはヤマガミ様があり、この守護神が緋剣山から村を見下ろしつつ、村内のあらゆる出来事を見聞きしているからだ、という畏怖の念が潜んでいる。

 以上のようなことから、紫乃は長年にわたって村の精神的支配者として君臨しており、誰も逆うことはできない。

 ただ、ここ数年は寄る年波のせいか、かなり衰えが見られるため、後継ぎの育成に焦りを感じていたのかもしれない──

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