俺の彼女はスズメバチ

@SevenSpice

第1話プロローグ ~素晴らしき人生を~

 目の前に並ぶカプセル状のベッドを前に、彼は最愛の妹に声をかけた。


「怖くないか、 アイリス?」


 そう呼びかけられた妹は整った顔を愛する兄に向け、にこやかに微笑む。


「ええ、兄さんと一緒なら」


 ゼフィロスとアイリスの兄妹はこの日、いつ覚めるとも解らない眠りにつくことになる。ゼフィロスは今年21歳、アイリスは18歳になったばかりだった。


 コールド・スリープ。

 人類が時を超えるために編み出した、人体冷凍保存技術である。人はそのカプセルの中、仮死状態のまま保管され、今とは違う未来に目を覚ます。いわば人類の緊急避難的措置と言えるだろう。


 彼らの生きるこの時代、24世紀の地球では人類の滅亡がカウントダウンに入っていた。

 20世紀末から始まったグローバリゼーションは先進国とそれ以外の国を大きく分かつ経済格差を生み出すに至る。富める者はさらに富、貧しきものはどこまでも貧しくなった。


 その歪んだ経済政策は国際協調どころか大きな争いを引き起こす。


 22世紀初頭に起きた第3次世界大戦だ。


 アメリカを中心とする太平洋諸国連合(T.P.U)と中国、ロシアを中心とするユーラシア連邦(U.F)。 いつかは起こると言われていた、この超大国同士の争いがついに火を噴いたのだ。


 開戦当初その圧倒的な技術力と資本で戦局を優位に進めていたT.P.Uは思わぬ泥沼に引きずり込まれる。U.Fの誇る人的資源に押され始めたのだ。

 兵の装備はT.P.Uが圧倒的にまさり、U.Fとの差は1世代、いや2世代はあったと言われる。

 しかしどれほど優れた武装で身を固めようが数の差はいかんともしがたく、どの戦線においてもT.P.U軍はジリジリと押され始め、T.P.Uの目論んでいた短期決戦は失敗に終わる。


 長期に渡る消耗戦で予想以上の戦死者を出したT.P.Uの国内世論は反戦に傾いていく。民主主義持って成立するT.P.Uにとって国内世論は絶対だ。このままでは不利な状況での和平も考えられる。その事に危機感を抱いた軍部はついに大きな決断を下す。


 アンドロイドの実戦投入だ。ロボット工学の結晶として生まれた自律型アンドロイド。自分で考え、判断することができる機械。これを軍事利用することにより、死ぬことを恐れず、しかも死んでも支持率が下がらないという、国家にとって誠に都合のいい兵士が完成する。

 初期投入はわずか500体であったがその戦果はすざまじく、不安定だった戦線は瞬く間に回復する。これには物量で迫るU.F軍も打つ手がない。何しろ相手はロボット。彼らの外骨格とも言うべき特殊装甲に、携行用の実弾兵器ではまともにダメージが与えられず、人間サイズまでに小型、軽量化され、人間以上の移動速度を誇る彼らに戦車などの鈍重な動きでは追いつかなかった。


 アンドロイドの投入により息を吹き返したT.P.U軍だったが、彼らの反撃もそこで止まる。アンドロイドの製造、メンテナンスには莫大な資金が掛かり、それを捻出することが難しくなっていたのだ。

 数年の間、両軍はにらみ合いを続け、やがて和平条約が結ばれる。どちらの陣営も自軍の勝利と発表したため、この戦争による情勢の変化は何もなく、ただ、開戦前の世界情勢に戻っただけだ。


 アンドロイド、それは人類にとってまさに夢の技術だった。軍事利用のみならず、平和利用にも素晴らしい成果を残すことは疑いの余地がない。危険な領域での作業や、重労働、今まで人間が担当していたこれらのきつい仕事を全てアンドロイドが請け負ってくれる。

 さらに身近なところでは老人や障害者の介護やハウスメイドなど精神的に大きな負荷がかかる分野での著しい成果を上げ、銃器を持った凶悪犯罪者の確保、刑務所の管理、交通の取り締まりなどの治安維持でも活躍した。

 そこまでたどり着いた時、人類はある危険性に気がつく。人をアンドロイドが管理する。そうなれば様々なことがより効率的になり、生活は向上する。それはわかる、しかしアンドロイドが何かの拍子に人類を邪魔なものだと考え始めたらどうするのか。

 人類は人類との争いに忙しく、新たにアンドロイドを敵にしている余裕はどこにもないのだ。しかも、戦いにおいて人類とアンドロイド、どちらが優秀なのかは図らずも先の大戦で示された通りだ。アンドロイドと敵対したとき、人類はなすすべもなく滅ぶしかない。


 しかしながらアンドロイドの有用性はそのまま蓋をしてしまうにはあまりにも惜しいものだった。

 人類はアンドロイドの危険性を排除するため知恵を絞り、ついに回答を見つけ出す。


 インプリンティング。


 これが人類の見つけ出した答えだった。全てのアンドロイドは所有者の意思に従い、その所有者の死とともに活動を終える。所有者の脳波とアンドロイドのエネルギー供給は完全にリンクされ、所有者の脳波の停止とともにアンドロイドの活動も停止する。停止したアンドロイドは高度に進んだエコロジー技術により、構成している分子が分解され、土に戻る。

 リスクとしては所有者の脳波が届く、半径1キロ以内でしかアンドロイドが行動できなくなったということと、脳に負担が掛かる為、一人当たり2体までしか使役できないということだ。図らずもこの制約により人間はその存在意義を保つことができた。どんな資産家でもすべての事業をアンドロイド任せにすることはできず、必ず人を雇用しなければならなかったし、戦場においてもアンドロイドと共に人間が随伴する必要があったからだ。


 これら技術により、アンドロイドの完全な支配に成功した人類は様々な用途のアンドロイド開発に傾倒、人はアンドロイドという奴隷を手に入れることができたのだ。


 アンドロイドは社会において当たり前に存在し、量産化の成功により安価となった彼らはどこの家庭でもハウスメイドとして目にすることができた。そのころ、アンドロイド利用に置いて革新的な技術が日の目を浴びることとなる。

 愛玩用アンドロイドの誕生だ。医療分野でのサイボーグ技術はこの頃、人体と見分けがつかないほどの見た目と機能を持つ義手や義足などの開発に成功。これにより身体障害者はいなくなった。

 この技術を応用し、アンドロイドに人体と見間違うほどの内骨格の体を組み込んだ愛玩用アンドロイドが誕生する。彼らは所有者の理想の異性を演じ、一般生活から性行為まで人間のパートナーを務める。


 浮気の心配もなく、外見も、性格も口調も自分好みにカスタマイズできるそれらは瞬く間に普及する。インプリンティングによる完全支配。自分だけを見てくれる美しい異性。これを手にできるという誘惑に勝てる人間は少なく、男も、女もアンドロイドにのめり込む。

 数年後、明らかな出生率の低下という結果を招き、愛玩用アンドロイドは人類を滅亡に導く道具として迫害を受ける。生産は停止され、現存するものは廃棄処分となり土に帰った。

 しかし、裏社会ではわずかな数の生産が続けられ、好事家の間で高値で取引されていた。


 そんな時代が50年続き、人類は繁栄を極める。

 アンドロイドは太陽光のみで活動できるようになり、疲れを知らない彼らのおかげで地球の生産力は飛躍的に上昇する。人口も増えたが食料はそれ以上に生産され、砂漠などの不毛な荒野だった場所も土地改良が施され、今や緑豊かな一大農業地となっていた。

 貧富の差など今やどこにもなく、どこで生まれた人間も当たり前の教育と当たり前の仕事を与えられ、当たり前に生活していく。不治と言われた病はことごとく駆逐され、環境問題も化石燃料からの脱却に成功したためほぼ解決済みだ。この頃の人類の平均寿命は100歳を超えている。


 そんな中、たった一つの宇宙からの飛来物によって、人類は再び滅亡の危機を迎える。


 20世紀末から各国が血道をあげて配備してきた核戦略構想。管理するものがいなくなったこの時代でもそのシステムは生き続け、その飛来物、隕石は旧式のまま、放置されたシステムによってミサイルの発射と誤認された。それに反応した150のミサイルが世界を焼き尽くす。人類は自らの愚かさではなく、まさに数億分の1の確率、事故によって滅亡寸前に追いやられた。


 残された僅かな人類は放射能で汚染された地上を捨て、地下で息を潜めて暮らしていくことになる。だが地上への欲求は捨てきれるものではなかった。

 ある者は高度なバイオテクノロジーを利用し、自らの遺伝子を改造。過酷な環境で生きていく術を探り、人であることをやめた。またあるものは放射能汚染がなくなるまで眠り続ける、コールド・スリープを選択する。

 人類を未曾有の危機に追いやったその一件は「メテオストライク遅れてきた恐怖の大王」と名付けられた。


 ゼフィロス、アイリスの兄妹もまた、コールド・スリープを選び、不確定な未来に希望を託した。



 彼らが眠り続けてどのくらいったた頃だろうか。ゼフィロスは何の前触れもなく目を覚ました。目を開けると彼の収まっていたカプセルの蓋が開けられている。

 意識が覚醒するまで数分、生理機能の回復まで数時間。ようやく身を起こすことのできた彼は辺りを見回した。


「こりゃひどいな。埃だらけじゃないか。確かここには衛生管理用のアンドロイドが配備されてたはずなんだけどな」


 ぐうっと体を伸ばし、カプセルから足を下ろす。まだ、生理機能の回復が完全ではないのだろう。その足元はひどく頼りない。


「結構覚醒した人もいるんだな。ざっと見たとこ半分くらいか」


 彼の周囲に並べられたカプセルの約半数は口を開け、中に人はいなかった。


「あ、そうだ。アイリスを探さないと」


 彼は最愛の妹のことを思いだし、彼女が寝ていたカプセルを探し始める。


「あれ、いないや。て事は先に目覚めたのかな」


 「おーい、アイリスー。」とゼフィロスは妹の名を呼びながら施設の内部を歩き回る。しかし、彼の呼ぶ声も虚しく、施設の内部に動くものは何もなかった。


「先に目覚めた人たちと地上に出たのかもしれないな」


 そう判断した彼は施設内で動く設備を探す。生きていたのは施設内部をコントロールする情報端末が一台とシャワー、それに僅かな食料が残された保冷庫だけだった。

 長い眠りから覚めたばかりの彼はシャワーを浴び、頭をスッキリさせる。

 倉庫で見つけた新しいシャツと下着を身に付け、サイズの合いそうなズボンとブーツを履く。そして保冷庫に残された固形状の保存食と水を手に持ち、情報端末の前に陣取った。すると画面に白衣を着た女性が現れた。


「よく眠れたかしら? あなたは今どんな世界にいるの? ふふっ、聞くだけ無駄ね。私はすでに死んでいるはずだもの。でもこれを見てるあなたは人として形を変えず生き残れた。何のことかわからないわよね。いい? 今から話す事はあなたが生きて行くためにとても重要な事」


 そのあとは画質も音声も急激に悪くなり、うっすらと何かの資料を手にしながら説明する女のぼやけた姿が映るだけだった。


「私が言えるのはここまで。世代を重ね、繁栄するものもいれば、淘汰されるものもいる。あとは自然の摂理に任せるしかないわ。あとはあなたがその目で確かめてみて。それじゃ、素晴らしき人生を」


 急に画質が戻り、最後に白衣の女はそう告げて画面から消えた。何かを伝えるつもりだったのだろうが長年の劣化によるものか、それとも故障によるものか。彼には何も伝わらなかった。ただ、彼女が彼らにに希望を託していたこと以外は。


 「ふむふむ、地上の放射線濃度は問題なしと。空気も良いみたいだな。これなら地上に出ても問題ないか」


 彼のいる施設は、核攻撃に備え作られたシェルターで地下50mにある。ここから地上の様子を知る為に、様々な計測機器が地上に設置され、それらはこの端末から操作できた。カプセルや施設の電源はやはり地上に設置された太陽電池から供給されている。


 保存食をかじり、水を飲み干した彼は、地上に出るため準備を始める。施設を周り、使えそうな物を探し始めたのだ。1時間ほどして現れた彼の手には幾つかの道具がぶら下げられていた。

 まずはエアーガン。空気を圧縮して撃ちだす銃で、弾がいらない。動力は太陽光で賄われるため理論上は無限に発射することができる。但し、殺傷力は低く、当たっても強い衝撃を感じるだけで体を打ち抜かれたりはしない。確実に気絶はするだろうが。その為、猟師から毛皮を傷つけることなく仕留められる銃として愛用されていた。彼が手にとったのはピストル型の小さな空気銃であくまで野生動物対策として持ち出したのだ。


 同じような用途として、単分子カッターも用意している。単分子カッターとはその名のとおり刃先が分子一個分の厚みしかなく、ダイヤモンド並みの硬度を誇る特殊素材でできている。早い話がどのような素材でもスパスパ切れる夢の包丁で、眠りに着く前の世界ではどの家庭にも必ずと言っていいほどあったポピュラーな品だ。

 今回手に入れたものはその大型版で、それこそ中世の騎士が持っていそうな剣のような形をしている。鞘から抜いてみると刃先が回転する仕組みになっているらしい。これも動力は太陽光だ。

 それともう一つ。彼が首からぶら下げているのは万能ゴーグル。望遠、暗視、赤外線探知など様々な用途に使え、見たものの解説までしてくれる親切設計だ。このゴーグルを通して見た動物や、植物はメモリーに蓄えられた膨大な情報と照らし合わされ、視界の左下に写真付きの解説ウインドウが開かれるのだ。くどいようだがこれも動力は太陽光。


 それらの機器にインプリンティングを施す。アンドロイドの為に開発されたインプリンティング技術は所有権を示すためにも使われている。例えばこの空気銃や剣はインプリンティングを施した彼でなければ本来の性能を示すことはない。引き金を引いても発砲しないし、剣は鞘から抜けないといった具合だ。もちろんゴーグルも彼以外の者が使えばただのゴーグルにしかならず、内蔵された機能は一切働かない。

 インプリンティング自体は遺伝子配列を読み取るだけのものなのでその方法は簡単。所定の場所に手を当て、自らの情報を読み取らせればそれで完了する。 譲渡や廃棄する時には同じ要領で所有権を放棄できる。

 この簡易インプリンティングは日用品などに使われ、高価なアンドロイドなどは『儀式』と呼ばれる特別なインプリンティングが必要で、所有者の血液から詳細な遺伝子情報を読み取らせる方法が用いられる。


 防弾効果のあるケプラー繊維のコートを着込み、剣や銃を下げる為のベルトを腰に巻きつける。バックパックには食料や水の他に、トイレットペーパーなども詰め込んだ。


 「ここに帰ってきてないって事は外で暮らしてるってことだよな。久しぶりの地上か、何年経ったのかはわかんないけど楽しみだな」


 そう呟きながら地上へ上がるためのエレベーターに乗り込んだ。

贅沢を言えば地上で動き回るためのビーグルが欲しかったのだが、格納庫にあったはずのそれは、すべて持ち出された後だった。


「うっわぁ、風がきっもちいぃぃ!」


 久々の地上。眩しく照りつける太陽にゼフィロスは目を細めながら叫びをあげた。

 眼下には一面の深い森が広がり、人工物らしきものは見当たらなかった。ゴーグルを最大望遠にして見回すも、あるのは深い森と岩肌がところどころむき出しになった山ぐらい。文明を感じさせるものは何もなかった。とにかく、近隣を回り、少しずつ行動範囲を広げなければ。いつかきっと妹たち、もしかしたらその子孫かもしれないが、誰かに出会えるはずだ。


 森にはどのような野生動物が住んでいるか解らないし、万一襲われでもしたら困るのでゴーグルを着用し、生体反応を確かめながら進んでいく。シェルターの方向は先ほどインプットしたので深い森でも迷子になることはないだろう。当面はあそこを根城にしながら探索を続けるつもりだ。


 森に入ると明らかな違和感にとらわれる。なんというかその、でかいのだ。木々も葉も花も。まるで自分が小人になったような感覚にとらわれる。木の幹は小さなものでも直径2mは下らないし大きなものでは5m以上ある。青々と茂った草は自分の身長より低いものを探すほうが難しく、視界を大きく狭めていた。恐らく獣がつけたであろう道を進んでみるしかなかった。


 半日も進んだだろうか、小さな悲鳴が聞こえ、ゴーグルからも危険が知らされる。注意深く辺りを見回すと、小さな馬ぐらいはあろうかという大きさのやたら牙の長い獣が少女を襲っていた。前足で少女のスカートを踏みつけ、その口は今にも彼女の頭を飲み込みそうだ。


 ゴーグルに出た表示は『UNKNOWN』つまりデーターにないということだ。放射能の影響でできた突然変異種かもしれない。

 空気銃を構え狙いをつける。獣がよだれを撒き散らし、大きな口を開けたその刹那空気の塊が打ち出される衝撃音がして、しばらくの沈黙のあとドサリと獣がその巨体を横たえた。


「おぉ、結構使えるじゃん、コレ」


 右手に握ったなにか金属製の物体になにやら話しかけている彼を見ながら、口をポカンと開けてしまう彼女。


「あ、あのぉ、助けてもらってありがとうございました」


 気を取り直して礼を言う。何しろ相手はこの獣を一撃で仕留めるほどの実力者。気分を害すれば自分だってどうされるかわからない。


「ああ、気にしないで。それよりコイツが目を覚ますと厄介だから早くこの場を離れたほうがいいね」


 彼女の手を取り、ゼフィロスは森の中を走り出した。自分以外に人がいた。それは彼にとって何よりの喜びだった。

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