第77話、その女恋人にあらず。

「ど、どういうことでありますか松本くん!」


 細柳小枝の慌てふためく声に、俺は溜息をついた。


「恋人じゃねぇよ。同居人なだけで──」


「ど、どどど、同居っ! 同居人! ま、松本くん、も、もうそんな仲なのですかっ!」


「コラ松本、どういうつもりだ? 彼女と二人暮ししてるのか? あとで生活指導の先生に報告しとくからな? お前それ両親には許可得てるのか?」


「ま、松本くん、そ、それは、それはいつからでありますかっ! 我かなり知りたいですぞ!」


「それと松本、学校は勉強する場所だ。お前それなのに入学して一週間で彼女連れ込むとはいい度胸してるな」


「ま、松本くん。恋のABCはど、どこまで行ったのでありますか? ぜ、ぜひ感想だけでも。いや、もし可能でありましたら携帯端末内の画像フォルダを少々見せていただくだけでも」


「ちゃんと聞いてるのか松本! お前貞操観念どうなってるんだ? ちゃんと後で話してもらうからな。学校にまでこんな明らかに歳上の女連れ込んで──」


「あ゛?」


 担任と細柳小枝が喚きふためく中、口を挟む暇などなく黙っていた俺とバーニングさん。そんな困惑にも似た複雑な空気を、突如冷たい声色が走り静寂を生み出した。


 怒りを顕にしたその声の主は、他でもない話題の中心人物バーニングさんだ。


「おい男。うぬよ今妾のことをなんと呼んだ?」


 明らかに態度の急変した真紅の髪を持つ女性に、担任がたじろぐ。しかし彼女は止まらない。右手をワキワキと握ったり開いたり繰り返しつつ、怒りの矛先をただ一心に男へ降り注ぎ続ける。


「いやね、松本の彼女さん。ここは学校なんですよ。分かるでしょう? ここは勉強するところ。下手に外部の人が入ってきたり、未成年が恋愛感情のせいで問題を起こしたりするとダメなんですよ。だから──痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」


 バーニングの圧に屈したのか、突然穏やかな口調で説明を始めようとした担任ではあった。しかしそんな長い話を彼女が聞いているはずもない。

 この人は知らないのだ。バーニングさんは小学生相手ですらガチギレする超絶短気だということを。


「おい男よ。うぬは妾をなんと呼んだ? え? もう一度、今一度言うてみるが良い。いいや言うてもらおうぞ。再度その呼び名を聞いた上で、うぬの頭部を妾の万力にも似た手力雄たぢからのおで捻り潰してやろう。ああ、安心するが良い。うぬの血肉が妾の服を汚す前に、煙にしてくれようぞ」


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」


 担任はバーニングさんの右手に顔面を抑えられ、ゆっくりと宙に浮く。全体重を首だけが支えているのだろう。首筋の健が太く張り、血管が浮きでていた。

 余程痛いのか、最初のうちは身体を震わせ抵抗していたにも関わらず、今となっては正反対。両手でバーニングさんの右腕にしがみつきながらも、下半身は無駄な動きを取らないようピンと張った姿勢のままだ。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……」


 余程の痛みと恐怖が彼を襲っているのだろう。担任は最早言葉を出すことすら困難な状況にあると見える。


 それでもバーニングさんの怒りは治まらない。そういう人なのだ。


「おい男、うぬは言うたであろう? 妾のことを、年増であると。確かにそう言うたであろう?」


 涙と涎を零す男に、血走った目を向けて言い放ったバーニングさん。しかし同時にその言葉は、彼女怒りが完全に誤解であることを表していた。


「あの、バーニングさん」


「なんじゃ松本ヒロシ」


「い、言ってないですよ」


 彼女はキョトンとした顔で俺の方を振り向く。それでも担任を離そうとはしない。


「いや、先生は歳上って言っただけで、年増とは言ってないです……よ?」


 彼女は俺の言っている意味が分かっていない様子で、首をさらに傾げた。


「いや、歳上ってのは俺よりも歳上ってだけで、その、若い女性だと言ってますよ!」


 若い女性とも言っていない。が、俺の言葉を信じたらしい。彼女は慌てた様子で担任から手を離し床に落とした。


「そ、そうであったか」


「えっと、バーニングさんは今日も魅力的ですよ……?」


 とりあえず分かりやすいお世辞で彼女の怒りを誤魔化しつつ、担任に駆け寄る。


「だ、大丈夫ですか? 先生……?」


「……呼んでやる」


 涙と鼻水と口から溢れた泡が、彼の呼吸に合わせて飛び散る。安心から全身の力が抜けたせいだろうか、彼は立ち上がることもままならないまま声を絞り出した。


「警察呼んでやるっ!」


「いや、それはちょっと……」


 面倒ごとは起こしたくない俺を案じたのか、バーニングさんがそっと俺の肩を叩いた。

 謝ってことを済ましてくれるのだろうか。そう思って振り返ると、彼女は頬を真っ赤に染めてたいそう嬉しそうな上目遣いで囁いた。


「も、もう一度妾を褒めてはくれぬだろうか……?」


「……」


「……」


「先生」


「……なんだ?」


「警察呼びましょ」

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