31 弁解

 灯りが照らす部屋の中にイサムとユーラ、パルツィラにヒュイジ、そしてモスフともう一人、ゴルンと名乗る男が集まっている。


「謝罪はしない」

「おい」

 開口一番にモスフはそう言い放ち、それをヒュイジが咎めた。


 話を聞こうとイサム達が戻れば、モスフ達に選択の余地はない。落ち着いた場所へ案内を頼んで、連れていかれた先は塩の川の向こう側。洞窟の奥に掛かった橋で下層の西部、余所者達の暮らす場所に渡って、洞窟を出てほど近いところに建つ小屋を訪れた。


 木造の小屋は物置や倉庫といった体で、中は一つの部屋が広がるばかり。家具や道具の類といったものはなく、床に置かれたランプが煌々と灯るのみだった。

 ヒュイジとモスフ、ゴルンは床に腰を落ち着けている。背負われて運ばれたパルツィラも、最初は床に寝かされていたが調子を少し持ち直して、今は姿勢を崩しつつも座っている。

 一方でこの場に案内されたイサムとユーラは座ることなく、壁に背中を預けて四人を見下ろすように立っていた。


 モスフ達が床に座ってランプに火を灯してから、イサムは彼らの姿をようやくしっかりと確認できた。

 モスフは黒い体毛がしっかりした熊そのもので、熊と比べたら痩せた体型に服を着た姿でかろうじて人だとわかる。ゴルンはまだモスフより人に近いが、それでも茶色い毛むくじゃら。ヒュイジは一見人と変わらない姿だが、口元では異様に鋭い犬歯が光っていた。

 そして三人共に体や服を土と泥でひどく汚し、それは洞窟の中でユーラによって何が行われたのかを物語っている。

 洞窟で相対していた他の者達はユーラにやられたのが応えたのか、話し合いをモスフ達に任せてこの場にはいなかった。


「お前はそれだけのことをやった」

「だから、俺が一体何をしたっていうんだ?」

 苛立ちを含んだモスフの視線を受け止めながら、イサムは問う。


 イサムを見上げるその視線はその言葉にも憤りを重ねたようで、不快の色を強くした。


「モスフさん達は他所から連れてこられた人なんです。だからこの街の人達よりも……」

「パルツィラ、お前だって同じのはずだ。他の連中だってそうだ」

 パルツィラが説明しようとすれば、モスフはイサムから視線を逸らさずにそれを遮る。

「お前はいつも、どういうつもりであの階段を上っている?」

「どういうつもりって……」

「俺達が普段どんな気持ちであの階段を、お前を見てるかわかるか?」


 問い続けるモスフはさらに視線を強くして、イサムは見下ろしながらに自身が気圧されていくのを感じた。

 大階段を上る際、いつだって向けられていたいくつもの視線。その意味は少し考えればわかることだった。

 自分には他に上層へ行く方法がないから。自分達はすぐにこの街を去るから。その事実を免罪符にして、イサムは想像することを放棄してきた。だが所詮それはイサムの事情でしかなかった。


「……俺だって、遊んでるわけじゃない」

「それはここで暮らしていくことよりも大変なことなのか?」

 苦し紛れに言葉を吐けばすぐさま問いを重ねられて、イサムは次の言葉を発することができなくなっていく。


 モスフは言葉を続けず、只々イサムから視線を外さなかった。

 誰もが口を噤み、沈黙が続くと、イサムへの視線はゴルン、ヒュイジ、そしてパルツィラと重なって、イサムはそれらから逃れるように顔を伏せた。


 あらぬ非難だと、その一言が言えればどんなに良かったか。そう思うイサムの脳裏には動きながらも生気のない、下層で暮らす人々の姿がちらついて離れない。

 結果としてモスフ達を傷付けたのは事実なのだろう。けれどその事実を知ってもイサムがユーラを優先する以上、それは今後も続いていく。

 モスフ達の感情にイサムの行動は左右されず、なればこそその非難は的外れではなかった。


「イサム、帰るわよ」

 イサムを責めるような長い沈黙に、それまで黙っていたユーラが口を開く。

「ユーラ?」

「こんな話、意味がないわ」

 イサムの手を掴むと、ユーラは短くそう続けた。


 ユーラの声からは呆れと憤りが伝わってくる。どうやら本気で帰ろうとしているようで、困惑した様子のパルツィラを立たせると小屋の玄関へそのまま足を踏み出していく。


「待ってくれ!」

 ヒュイジの声がする。


 けれどユーラの足は止まらない。イサムの手を引いてさらに一歩、外へ出るために足を進める。


「俺達の村はもうないんだっ!」

 途端、狭い部屋の中に一際大きな声が響いた。


 叫ぶようなその声に、ユーラの足もさすがに止まった。

 ヒュイジとは別の、その声の主を探して、イサムとユーラは二人して振り返った。


「こんなところに閉じ込められたまま、それを知った俺達の気持ちがわかるか!」

 そんな二人を睨み付けながら言葉を続けた声の主は、モスフの横で立ち上がったゴルンだった。


 ゴルンは興奮しているのか、声だけでなく呼吸も荒い。それ以上言葉を続けなければ、部屋の中にはゴルンの荒い呼吸の音だけが響いていく。

 只、そんなゴルンを見るユーラの目はその様子と相反するように冷たく、ゴルンの言葉に対する動揺は欠片も存在していなかった。


「……わかるわけないじゃない」

 ゴルンの言葉が続かないとみるや発されたユーラの声は、話にならないとばかりに完全に呆れ返っていた。

「他人事のつもりかもしれないが、お前だって同じだぞ」

「違うわ。だって私はここから出られるもの」

 脅すようなモスフの物言いにもユーラの態度は変わらず、言い切ったその言葉は確信に満ちていた。


 そんなユーラの言葉に言い返す者は誰もおらず、部屋に訪れた静寂は今まで一番深く厳しいものだった。


「行きましょう」

 再びの沈黙の中で、ユーラは一言そう口にすると踵を返して小屋の外へと向かう。


 ユーラを止める声はもう何処にもなかった。


 夜明けが近い紺色の空の下、イサム達は人目に付かないように洞窟を経由して宿泊所へ戻った。

 道中のユーラは怒りが収まらないようで口を開かなかった。

 批難だけされて、肝心な話に一切触れないあの場は全くの無駄だった。

 あの場での会話とユーラに対しての気まずさでイサムの口も重く、パルツィラもイサムの背中の上で黙っていた。

 そして宿泊所へ戻った三人はそれぞれ思うところがあるだろうに、夜明けまでの短い時間を睡眠に充てようと言葉を交わさず寝床へ入った。



 そうして迎えた翌日。

 イサムは疲労のためか、蛇に起こされるまで目覚めることができなかった。

 部屋を出れば既に宿泊所唯一の食事である朝食は片付けられ、まだ眠る二人を余所に空腹のまま仕事へ向かう。

 仕事に臨めば体は自然と動いたが、寝不足と空腹、そして昨夜から胸の底に澱む思いのせいだろう、その間の記憶がイサムにはなかった。只、帰路を進むイサムの腕にはいくつかの果物が抱えられ、それが何事もなかったことを物語っているようだった。


 宿泊所へ戻ると、部屋の中ではようやく起きた様子のユーラとパルツィラがベッドの上でぼんやりとしていた。

 二人は当然食事をしておらず、イサムが持ち帰った果物を渡せば早速食べ始める。

 今日一日を食事抜きで乗り切ったイサムも自分のベッドに腰掛けると、好ましくない味のそれを二人と同じように口に運んだ。


 三人の間に会話はなく、部屋の中には果物を咀嚼する音だけが響いて独特の緊張感が漂っていた。


「イサムさん、ユーラさん」

 そんな牽制し合うような空気の中で、最初に口を開いたのはパルツィラだった。

「本当に、あの、すみませんでした……」

「どうしてあなたが謝るの?」

 俯きがちなパルツィラの声はか細く、ユーラが強めに言葉を返せばしゅんとしてしまう。

「意地悪するなよ」

 見かねたイサムがそう口を出せば、ユーラは横目でイサムを睨んだ。

「いえ、私が悪いんです。イサムさんを巻き込んだのも、私がモスフさん達に提案したんです。上へ行ける人がいるって」

「どうしてそんなことしたの?」

「ずっと前からモスフさん達はここから、この街から出ようとしてるって聞いて……」

 一旦言葉を区切ると、パルツィラは顔を上げてイサムを見る。

「あの、前、手紙貰いましたよね」

「手紙?」

 イサムはそう口に出しながら、すぐに中層で渡された手紙のことを思い出した。

「あれに書いてあったんです。私の家族が、もうこの街から出て行ったって。私、それを確かめたくて」

「イサムに見てきてもらえばよかったのに」

 ユーラの言葉に、イサムも頷いてパルツィラを見る。

「どうしても自分の目で確かめたかったんです。だからヒュイジに紹介してもらって、どうにか上に行こうとしたんです。でも、あんなことになるなんて……」

「頼んでくれれば、連れてくことぐらいしたわ」

 ユーラの声は少し呆れたようだった。

「失敗しました。折角魔術を教えてもらったのに、そんなことまでできるなんて思わなかったんです」

 そう言うと、パルツィラは自嘲するようにぎこちなく笑う。


 昨夜、パルツィラがイサムを連れ出した理由がこれでようやくはっきりした。

 しかしイサムの意識の大半はそのことよりも、悲壮感漂うパルツィラの笑顔に向けられている。後悔の念を浮かべながらもそれを笑って隠そうとするその様子が、イサムには痛々しく思えて仕方がなかった。


「ユーラ」

「私は手伝う気はないわ。本当に頭にきたんだから。イサムだってそうでしょ?」

 イサムの呼び掛けに何かを察して、ユーラは目を合わせずにすげなく告げた。

「大体ね、何が大事かわかってない人と話なんか通じないのよ。自分の恨みをぶつけられたって、こっちは知らないわよ」

「本当に、何て言ったらいいか」

 ユーラの厳しい言葉に、パルツィラは申し訳なさそうに再び俯く。

「パルツィラ、あなたもちゃんとわかってるの? 私は獣化病が治るかなんて知らないけど、本来ここを出るってことはもうそうはならないってことなんでしょ?」

「わかってます」

「なら、ことはあなた一人で済む話じゃなくて下層に暮らす他の人、この宿泊所で生活する人達も巻き込む可能性があることも、当然わかってるんでしょうね?」

「それは……」

「ずっと前からあいつらがここから出ようとしてたって、今まで何もできなかったんでしょ。きっと何かするにしたって、ろくな方法じゃない」

 ユーラはモスフ達を思い出して感情が高ぶるのか、次第にその語気を強めた。


 その時、扉のない部屋の外、中から窺える廊下に誰かが姿を見せる。

 三人ともに人影に気付くと、勢いそのままに言葉を続けようとしたユーラは勿論、イサムとパルツィラも揃って固まってしまう。

 だがその誰かは部屋の会話が聞こえなかったのか、それとも関心がなかったのか、イサム達を一瞥することなく部屋の前を通り過ぎた。

 恐らく只の他の宿泊者だったのだろう。三人は人影が去ったことを確認して緊張を解く。


 人影が見えなくなった後の部屋の中は少しばかり緊張が緩み、また会話に疲れたようでしばらくの間、沈黙が支配した。

 そしてその沈黙の中でも、イサムの胸中には昨夜からの気まずさがしこりのように残っていた。


「……ユーラが手伝わないのはわかった。けど、俺が手伝うのはいいんだろ?」

 沈黙の中、イサムが会話の口火を切ったのはそのせいだったのかもしれない。

「イサム!」

「そもそもパルツィラは、俺に何か頼もうとしてたんじゃないのか?」

「それは、あの……」

 パルツィラはユーラをちらりと一瞥すると言葉を濁す。

「あなた、痛い目見たはずなのに、いつから聖人みたいな真似をするようになったのよ!」

 ユーラは先ほどの人影を忘れたかのように、大きな声で非難がましくそう口にした。


 イサムがユーラを見れば、ユーラもしっかりと目を合わせてくる。病み上がりとは思えないほどにその視線は強く、生半可な気持ちであれば前言を撤回したくなるほどだった。


「聖人が何かは知らないけど、パルツィラには助けてもらった」

 それでもイサムの意志は固く、短くそう言うとユーラの視線を受け止める。

「洞窟でのことなら、あの場で帳消しになってるでしょ……」


 恩があるとはいえ、それはユーラの言う通りだった。

 パルツィラを何とか助けてやりたいなんて、そんな強い気持ちはイサムにはない。只、耳にはまるで呪いのように、昨夜のモスフとゴルンの言葉がこびりついている。

 闇の中で殴られたからか、その場面が思い浮かばず、彼らに対する怒りがいまいち薄い。そこに罪悪感を植え付けられた。そんな思いの中でこのまま何もなかったことにして、ユーラと二人で街を出ていくのは何か違う気がした。


「多分、俺はもう無関係じゃないんだ」

 イサムの言葉に、ユーラは顔に疑問を浮かべて続きを促す。

「泊まって出ていくだけなら関係なかった。でも俺は、もう数え切れないぐらいの人を傷付けてる」

「それは知らなかったからでしょ」

 ユーラの言葉に、イサムは首を振った。

「だけど事実だ。それなのに何もせず、自分達だけ出ていくことなんてできない」

「イサムの言いたいことはわかったわ。でもパルツィラを手伝ったって、傷付けた人達全員への贖罪にはならないわよ」

「……それは、さすがに文句を言ってきた人しか相手にできない」

 イサムは考えながらそう言うと、パルツィラへ顔を向ける。

「それとこうは言ったけど、あんまり無茶なことを頼まれても応えられないと思う」

 恰好悪いとは思いつつも、そう言って保険を掛けるのは忘れなかった。

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