18 選ばざるを得ない道

 街行く人々の視線が、不躾にイサム達へ向かって飛んでくる。


 注目を集めていることの恥ずかしさと運ぶ荷物の重さで顔を真っ赤にしながら、イサムの足は目的地に向かって動き続けている。


 一体何を間違えたのだろうか。足を進めながらも、イサムはそんな思いを拭うことができずにいた。



 ユーラを襲った男を部屋から追い出した後、すぐに宿の女が部屋を訪れた。


「あれだけ言ったのに……。面倒を起こしてくれたわね」

 イサムが部屋の扉を開けるなり、そんな言葉が聞こえてくる。


 開けた扉から部屋の外へとイサムが視線を向ければ、廊下には宿の女が一人で立っていて、あの男はいなかった。

 先ほどの出来事を知って来たのだろう宿の女は、その顔に浮かべた不快な表情を隠さない。殊更こちらの非を強調しようとするその態度に、イサムは憤りを覚えずにはいられなかった。


「この宿は、他の客を勝手に人の部屋に通すのか?」

 イサムの声は自然と低く、脅すようなものとなった。

「教会に頼まれたら断れないわよ」

「……ナリアが、彼女が本当にそんなことを頼んだのか?」

 イサムは一瞬考えるもすぐに質問を重ね、自身も不本意だったと言いたげな宿の女を睨み付ける。


 あの男からも似たような言葉を聞いた。ナリアの言動を思えば、理由があればそういうことを仕掛けてきても不思議ではない。だがイサムにはここに至って、ナリアが不意打ちを仕掛けてくるその理由に思い当たる節がなかった。


「わ、私は確かに世話を頼まれたのよ」

「世話? 寝込んだ女を男に襲わせることが?」

「襲わせるなんて人聞きの悪い! あの人だってうちの常連で、他の人が断る中でようやく引き受けてもらったのよ! それなのに追い返すような真似して……」

 宿の女は堰を切ったかのように、イサムへの非難の言葉をまくし立ててくる。


 イサムの言葉が気に障ったのか、べらべらと自己を正当化する言葉を一方的に並べるそれが、イサムには只々耳障りだった。

 気が付けば、苛立ちのままに拳を高く振り上げ、その拳で思いっきり開いた扉を打ち付ける。口からは宿の女の言葉を遮るように大きな声が飛び出した。


「誰が! いつ!! 男をあてがってくれなんて頼んだ!?」


 扉の立てた大きな音とイサムの怒鳴り声に、宿の女は体をびくつかせた。

 廊下に響いたその音に驚いたのか、近くの部屋の扉の開く音がする。だがそれもすぐに閉じられて、廊下に出てくる者は誰一人としていなかった。


 イサムの怒鳴り声の残響が消えると、廊下には静けさが満ちていく。

 宿の女は萎縮したように俯き、その場から動かず、言葉一つ発さない。


 辺りを沈黙が支配する中、俯く宿の女を目に、イサムもまた自身の行動に驚いていた。自分の声と立てた乱暴な音に、感情的になっていることを気付かされる。今、再び口を開けば、罵声を発する予感がした。


 次第に沈黙が気まずくなる中、イサムはささくれ立った心を落ち着かせようと、黙ったままに宿の女から視線を外し、深呼吸をした。


 そうしてイサムがたっぷり時間を使って落ち着く頃には、宿の女も落ち着きを取り戻したようだった。


「……とにかく、悪いけど宿から出て行ってもらうわ」

 イサムが再び宿の女に視線を向けると、宿の女は顔色を青ざめさせるがその言葉を撤回しなかった。


 宿の女の言葉に、イサムの視線には自然と敵意が籠もっていく。この宿は男に客を襲わせて、それが失敗すれば客を追い出そうとしてくるのか。事情がわからないとはいえ宣告された事実に、イサムは押し殺した怒りが再び沸き立つのを感じた。

 本来ならば自分からこの宿を出ていきたいところなのに、状況がそれを許さない。寝台にはいまだ寝込むユーラがいることは、宿の女も知っているはずだった。それが尚のこと、イサムの不快感を煽って視線を強くする。


 だが宿の女はイサムのそんな視線を受けても、態度を変えようとしなかった。

 そして青い顔をしたままに続けられた宿の女の言葉は、前言の撤回でも謝罪の言葉でもなく、退去を求める宿の事情の説明だった。


「あなたが追い出したのが、うちの常連だって言ったわよね? あの人があなたのことを獣化病だって、蛇の亜人だって言ってるのよ」

「はぁ?」

「寝てるあの子だけなら黙っててもわからなかったけど、あなたは食堂で食事もするだろうし、他の人から目立つのよね。他のお客は皆うちを贔屓にしてくれているし、あなたは今回が初めてで、教会の紹介で引き受けただけだし……」

「……食事を外で取ればいいんですか?」

 言いながら、イサムの顔からは血の気が引いた。

「そういうことじゃないって、わかるでしょ? はっきり言って迷惑なのよ。これ以上うちで揉めたら、あなた達だって大変なことになるわよ」


 これ以上ない拒絶の言葉だった。仮に味方のいないこの場所でさらに抵抗しても、結果がどうなるかはわかりきっている。宿からの退去はもう覆せない。その最後の一押しをしたのは、部屋にいた男を話を聞かずに追い出したイサム自身だった。


「なんで……」

 イサムの口から漏れた声は弱々しい。


 どうしてこんなことになったのか。そもそも宿の女が男を部屋に通さなければ、こんな事態にはならなかったはずなのに。


「準備には時間が掛かるかもしれないけど、昼には出て行ってもらうわ」

 宿の女はそれだけ言うと、踵を返した。


 先ほどまでの感情の高ぶりが嘘のように、イサムの頭の中は真っ白になった。去っていく宿の女の背中になぜ男を部屋に通したのかと問おうと思うも、それで何が変わるわけでもなく、イサムの口からその問いがついぞ出ることはなかった。


 昼を過ぎて、イサムが失意の中で宿を出るとなった時、宿の女から過分となった宿の滞在費の返金と共にある物を渡された。それは宿の女の謝罪の気持ちだったのか、獣化病の者でも泊まることのできる宿泊所の紹介状だった。

 紹介状を差し出しながら申し訳なさそうな顔をする宿の女に、イサムはもう何も言うことができなかった。


 そうしてイサムはユーラを背負うと、荷物と共に宿の外、街中へと放り出されたのだった。



 今、イサム達は大階段を目指し、さらにそこから下層へ下って、下層にある一軒の宿泊所へ向かっていた。


 宿を出た後にイサムが独力で街を回ってみるも、獣化病の者が休める宿は上層には存在せず、結局唯一の拠り所である宿の女の紹介状が示す先に縋る他なかった。そこは中層を通り過ぎての下層にあって、且つ本来はこの街の者で下層へ移り住む人のためのもので、外部の者を泊める、客を取る宿といった施設ではないとのことだった。


 大階段まで辿り着くと、イサムは一旦休憩するためにユーラと荷物を地面に下ろした。


 二人分の荷物にユーラを背負うと移動するのもぎりぎりで、荷物を下ろしたイサムの体は全身から汗をにじませた。


 イサムは疲労から大階段傍の地面に座り込んで、そこから景色を見下ろした。


 下層は深く、そしてそこまで続く階段は長い。これからこの階段を荷物を背負って下りるのかと想像すると、心底げんなりした。

 そんな下層を目に映したまま、イサムは宿の女から聞いた下層の話を頭の中で整理し始める。


 見下ろす先の下層、そこには獣化病の者ばかりが住む。只、そこに住むのはこの街の者ばかりではない。他所の村や街からも獣化病の者を集め、それが癒えるまで労働に従事させているらしい。

 その話を聞いた際、イサムの頭に浮かんだのは巡礼路沿いの村で遭遇した聖教会の騎士だった。彼らは獣化病を罪と称し、神への奉仕でそれが癒えると言って、獣化病の者を集めていた。

 神への奉仕とは一体何なのか。イサムはてっきり聖教会に所属して、そこで働くのかと思っていた。それはあのナリアの知り合いの、アルドという名の狼顔の騎士の存在のせいだろう。あの時の会話を振り返れば、彼らは一言もそんなことを口にしていなかった。

 もしもその神への奉仕とやらがこの街や、あるいは別の街での労働だとしたら、それは自分の住む村や街で働くことと何が違うのだろうか。

 イサムの脳裏に亜人狩りという言葉が掠めていく。

 巡礼路沿いの村でガフやバゴが口にしたその言葉は、その村にとってのものだけではなく、言葉通りの意味なのかもしれない。

 他所の街からダムティルの下層に来た者は態度が悪く、真面目に働く地元の者とは折り合いが悪いらしい。ガフの村での出来事を思い起こせば、連れて来られた者が素直に働こうとしないのはイサムの想像にも難くない。

 そのような事情もあって、下層は流れる塩の川を境にして地元の者の東部、外部の者の西部に住み分けがなされている。

 上層を探ってみても、その環境差はわからない。只、イサムの持つ紹介状の示す先は東部で、宿の女はイサム達に相応の便宜を図ってくれているようだった。


 イサムが横を向けば、そこにはユーラが地面に置いたリュックサックにもたれて座り込んでいる。そしてその首元には、イサムの目から現れた蛇がゆるゆると巻き付いていた。

 ユーラは意識を戻したものの、まだ満足に体を動かすことができず、喋るのも億劫そうだった。

 休息を必要とするユーラに、宿を出てからすぐに街を離れるという選択肢を選ぶことができず、下層の宿泊所を目指すことしかできなかった。

 イサムがユーラを見ていると、その首元にいる蛇がイサムを見上げてくる。この蛇は以前の蛇と同じように人語を理解しているようで、今は満足に動けないユーラを守るように指示している。

 この蛇が草原に消えた蛇と同一の存在なのか、確かめる術がなくてわからなかった。けれど人語を理解する蛇が一般的でないならば、やはりこの蛇はあの蛇と同一の存在としか思えない。そう思うことで、イサムが気持ちを楽にしたかったことは否めないが。


 地面に座り込む二人を、道行く人々が怪訝そうに横目で見てくる。


 最初は注目を集めていることが気恥ずかしかったイサムだったが、それは体に感じる疲労と時間の経過が解決していた。

 だが羞恥が消えても宿から追い出さなければ、という後悔の念は消えない。

 ナリアの説明が悪かったことや、宿の女が勘違いしたことなど、他人に原因を求めることはいくらでもできた。しかしそれでイサム自身の宿を出ることになった原因が消えるわけではない。

 今となっては自分が短気を起こさずにいればと思わずにはいられなかった。だがそれと同時に、こうなるならば男を一発ぐらいぶん殴っておけばよかったという気持ちも湧き上がる。状況を思い返しても、男を追い出した時にさほど悪い対応を取ったとはどうしても思えず、ならばこれは必然の結果だったのかもしれないともイサムには思えた。

 考えれば考えるほど、イサムは受け入れ難い今の状況を受け入れることしかできなくなっていき、頭を抱える他なかった。


 十分に休憩を取ると、イサムはリュックサックを体の前に掛け、ユーラを再び背中に担いだ。イサムの首に回されたユーラの腕を、蛇が絡んで繋ぎ止める。そしてその腕が少し力んだのを感じて、大階段へ足を踏み出した。


 ユーラと出会い、山から下りた時と似たような状況だ。只、あの時とイサムが違うのは、こんな状況でもあの時よりは気持ちに余裕があることと、今はユーラを引き摺らずに背負えていることだ。


「今度は落とさないから」

 イサムが気を吐くように軽口を飛ばすと、背中のユーラが小さく笑う。


 そうしてイサムは長く続く石段を、慎重に一段また一段と下っていった。

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