六十七 源義経



 源義経みなもとのよしつね

 鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟にして源平合戦の英雄。

 源平合戦中、もっとも戦局と政局をかき乱した混世の魔王。


 治承5年閏2月、魔王は動き出す。

 だが、その動きは義経の望まぬ形でしかなかった。



「奥州からの支援がない! 越後に残した藤原国衡ふじわらのくにひらも動かん! 白山社はくさんしゃの馬鹿どもは襲ってくる! どういうことだ!」



 越中東部にあった義経は、いきなり現出した四面楚歌に、怒りの声を上げる。


 ここぞとばかり挽回をはかる平家方の武士団や、なぜか敵対的な白山神社に攻め寄せられて、義経は対応に追われることになった。

 これら地元の勢力に、ゲリラ的に襲われては、さすがの義経も、それぞれの本拠を根こそぎ焼き落とすくらいしか対策がない。


 当たり前だが、そんな苛烈な手段を使えば、抵抗は余計にひどくなる。

 負の連鎖に囚われて、義経は越中で足止めを食らう羽目になった。



「さてさて、平家どもの打った手か、それとも坂東の魔王娘か……くそめんどくせえ手を打ちやがったもんだ!」



 義経とともに各地を攻めながら、義経の師であり、同盟者でもある源為朝みなもとのためともは笑い、吼える。



「叔父上! あんたは楽しそうだな!」


「かっかっか、それなりにな! 地侍や神人じにんぶっ殺し放題なんだぜ!? とりあえず暇つぶしにはなってるさ!」



 言いながら射る矢は、重装の武者を鎧ごと貫き、一度に2、3人も射殺している。

 短時間の戦闘を終えて、義経と為朝は馬首をそろえる。



「だが、あれだな」


「なんだ?」


「これが魔王娘の手だとしたら、あの娘らしくない」


「そうか? あいつは徹頭徹尾理不尽だぞ」



 言い切る為朝に対して、義経は疑わしげだ。

 為朝は、困ったもんだと鼻の頭をかきながら、語り聞かせる。



「理詰め過ぎるのよ。これじゃあまるで頼朝の手だ。面白くもねえ」


「ならば平家の手であろう。気になどせずに敵をぶっ殺せばいい――いや、国衡を脅しつけて兵をぶんどるのが先か」


「んなの後回しでいいんだよ。どうせ藤原秀衡おやぶんからの通達で動けねえんだろ。それに国衡は、奥州の息がかかった、おれらの目付け役だ。居ねえなら居ねえで、かえってさっぱりするってもんだ」


「ならば、進むか」


「おう。とりあえず越中、加賀の白山神社を燃やして従順な豪族どもを舎弟にして、さっさと越前まで行こうぜ! 都は飢饉らしいから、食糧庫の北陸を抑えたら、院も平家もさぞや青い顔するだろうよ!」



 ふたりが物騒な相談をしていると。



「――その前に、わしが来たっ!」



 よく通る、高い声が、笑い声とともに降って来た。







「その声は!」


「魔王娘かっ!?」



 義経と為朝の驚きに応じるように、山影から姿を現したのは、尼僧姿に鎧を纏った少女と、その従者たち。



「ひさしいな! 義経に為朝よ!」


「かっかっか、魔王娘も、あいかわらずだな、おい!」



 馬を寄せてきた政子に、為朝が上機嫌で笑う。

 笑いながら、警戒を露わにする味方勢を、片手で制する。



「デアルカ! 義経は、なんというか……人相が悪くなったのう。ますます鬼武蔵おにむさしじゃわ」


「鬼武蔵って誰だよ!?」



 義経が全力で突っ込んだが、政子は聞き流す。



「っていうか、なんでお前がここに居るんだよ! しかもなんでそんな少人数なんだよ!」


「はっはっは、少人数でなければ貴様らの配下に捕捉されよう! それに、話をしに来たのだ! 軍を背にして交渉するのも無粋と言うものよ!」


「そっちの勝手をこっちれに押しつけられても困るわ! このまま捕えてもよいのだぞ!」


「――おっと、それはやめといた方がいいぜ」



 と、義経を止めたのは、為朝だ。

 不満げな義経に、為朝は耳打ちする。



「相手はほとんど単騎で来た。坂東十ヶ国の盟主、しかも女が、だ。剛毅なもんよ。これを虜になんぞしてみろ。おれさまたちに従ってる1500の武士どもに見放されかねんぞ?」



 義経と奥州武士団との繋がりは、地縁でも血縁でもない。

 ただ義経や為朝の武威を、武勇を信望するがゆえに、彼らのほとんどは従っているのだ。

 義経たちが、武家の棟梁としての器に疑問符がつくような姿を見せれば、軍団の空中分解は避けられない。


 むろん政子は、それを見透かして、この場に在るのだろう。



「……ちっ。それで、お前、なんで来たんだ!」



 不貞腐れたように眉をひそめると、義経は政子に鋭い視線を送る。

 北条政子は動じない。胸を反らせて大音声で答える。



「言ったであろう! 貴様と話をしに、わしは来た!」



 さして威圧した風もないのに、小戦を終えたばかりの高ぶった武士たちが、冷水を浴びせられたように身を震わせた。



「――しかし、まずはひとつ、文句を言わせてもらおうか!」


「文句? なんだ?」



 義経は動じない。

 政子の覇気を正面から跳ね返して、仏頂面で問い返す。



「わしの愛する妹、かわいいかわいい保子やすことの婚約を断ったのはなぜだ!?」


「な、なぜって……おま」



 不意打ちの問いに、義経はあっという間に平静を崩した。

 ここで真正面から理由を答えるには、義経は青すぎた。



「かっかっか、義経、先に言われたが負けよ!」



 二人のやりとりを見て、為朝が上機嫌で割って入る。



「――いまさら思い人が居るなどと、それがお前だなどと言ってみろ。それこそ恥だぜ?」



 義経に耳打ちするが、政子には聞こえていない。

 ぐうの音も出ない義経に代わって、為朝が笑いながら答える。



「まあ、あれだ。魔王娘。一手の大将としての意地とか、そんなもんだ」


「デアルカ!」



 為朝のぞんざいな答えに、馬上で腕を組みながら、政子はうなずいた。

 偉そうなのはいつものことで、特に意味はない。



「そんじゃ、まあ、魔王娘よ」



 義経に代わり、為朝がわずかに馬を進めた。



「――前置きはいいとして、話を聞こうじゃねえか。わざわざそんなこと言いに、こんなとこまで来たわけじゃねえんだろ?」


「そんな事とはなんぞ! そっちも深刻じゃったわ! ……じゃが、たしかに他にも話はある。これまでのことと、これからのことよ」



 盛大に抗議してから、そう前置きして、政子は二人に問う。



「――義経よ。為朝よ……貴様ら、頼朝は好きか?」


「嫌いに決まっておろう! なにせ――いや、なんでもない」


「……好きか嫌いかで答えりゃ、嫌いになるだろうぜ。あの頭のよすぎる陰険男のことはな」


「そうであろう! そうであろう!」



 夫への暴言に、なぜか満面の笑みをうかべながら、政子はうなずく。



「……実はあ奴は生きておる」



 うなずいて、政子はこそりと言った。

 聞いた二人の顔に、驚きの色が浮かんだ。



「生きて、影から状況を動かしておる……なかなか、気に入らん状況だとは思わんか?」



 義経が、思索とともに視線をひと巡らせて、苦虫をかみつぶす。



「……では、いまのおれたちの状況は」


「あ、それはわし。あとたぶん平家と奥州の思惑。お主ら敵作りすぎじゃろう」


「お前なのかよ!? というかお前に言われたくないわっ!!」


「はっはっは」


「かっかっか」


「二人ともなぜ笑う!?」



 義経の突っ込みに、政子も為朝もどこ吹く風だ。



「まあ、そういうわけで、だ。わしは思ったのだ。頼朝が表に出ずに、影で姑息にわしを支援しようというのなら……」



 にやり、と、口の端をつり上げて、政子は言う。



「――あやつに尻拭いを任せて、好き勝手暴れてやろう、と。だから手伝え!」


「乗った!」



 親指を上げて、為朝が即座に応じた。



「おれさまが楽しめば楽しむほど、頼朝が泣きっ面になるってことだろ? 最高じゃねえか!」


「叔父上!」


「かっかっか、義経ぇ! いい加減素直になりやがれ! うずうずしてやがるんだろう? てめえの修羅も! まだ語ってもいねえ魔王娘の天下取りになあっ!」



 指摘されて。

 義経は握りっぱなしになっていた己の拳に視線を落とす。

 それから、視線を北条政子に向けて、ふたたび、ため息。



「……お前、頼朝が生きておったのなら、還俗はせんのか?」


「べつに。いまさら還俗とか面倒じゃわ」



 その、興味のなさが気に入ったのか、義経はどこか納得のいった表情で、含み笑いをした。



「くっくっく、まあ、それなら、我慢してやるか……せいぜいおれの修羅を満足させることだな」


「ああ、せいぜい貴様らに、面白い地獄ゆめを与え続けてやろうぞ!」



 治承5年3月。

 源義経軍、奥州より離脱。北条政子に従う。

 白山神社は反発したが、すでにそれを形にする力はなく、焼かれた分社の修復を約して手打ちとなった。


 この事実を知って、熊野から延暦寺に身を移していた男が、盛大に頭を抱えていたようだが、大事ではない。

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