二十二 平清盛
政子が八条院にお目通りする間、同行していた
侍たちの長屋がある界隈だ。
むさくるしいが、藤九郎たちにとっては、皇族のお座敷なんかにいるより、よっぽどくつろげる。
井戸からくみ上げた水を、
「しかし、八条院と会えるなんざあ、あの小娘も、つくづくたいしたぁもんだ。これでなにかやらかしてなきゃあ、もっといいんだが……」
万一の場合、連座して死ぬ覚悟はできているが、そんな事態、無いに越したことはない。
どうせ死ぬのなら、頼朝本人のために死にたいものだ。
「姐さんならきっと大丈夫だぜ、藤九郎!」
「姫大将のことだ! なにかすんげえことやらかしてるにちげえねえぜ!」
政子の家来たちが励ましてくるが、ちっとも励ましになっていない。
「……あんたらは気楽でいいなあ」
「ああ! 考えるのは姫大将だからな! 超楽だぜ!」
いっぱしの武士として、それはそれでどうなんだという気がするが、仕方ない。
彼らの気楽さをうらやみながら、藤九郎は政子の目通りが済むのを待った。
八条院に仕える家僕たちと雑談していると、ふいに表から
――なにかやらかしたな。
それを当然のことと認識している藤九郎は、「拝謁の時、女房たちが全員ぶっ倒れた」と言う話を聞いても驚かない。
「さもありなん。で、
藤九郎が尋ねると、青侍は幽霊を見てきたような表情で答えた。
「八条院はかの娘をことのほか気に入られ、御殿に一室を与えて住まわせることに」
「なにやったぁあの小娘!?」
さすがの藤九郎も悲鳴をあげた。
◆
「――と、いうわけで、しばらく
藤九郎が頭を抱えていると、その原因――北条政子がやってきて、開口一番、そう言い放った。
さすがすぎて何も言えない。
もとより、良くも悪くもやらかす童女であるのは、よく知っている。
「お前の住む場所はいいとして、わしらはどうするのだ?」
「安心せよ。ここの長屋に住んでよいらしいぞ」
「ま、そんなとこか」
格差を感じながら、藤九郎はうなずいた。
分相応だ。不満はない。
御殿に部屋住まい、などという政子への処置が異常すぎるだけである。
「で、これからどうするつもりだ?」
「とりあえず、しばし八条院の話し相手をせねばならぬな。動けぬ」
気が進まなそうな様子の政子に、藤九郎はおやと眉を動かした。
この傍若無人な爆弾娘にも、苦手な人間が存在するらしい。
「――まあ、しばらくはつき合わねばな。その後は」
「その後は?」
「うむ、
藤九郎はしばらく、耳に入った言葉が理解できなかった。
清盛というのが、いまをときめく平家の
「おいーっ!?」
叫び声をあげた。
もちろん政子は藤九郎などお構いなしだ。
「平清盛、どんな奴なのであろうな!」
腕組して挑戦的な笑みを浮かべる政子に、藤九郎はため息をつきながら言った。
「まったく……大物すぎるぜてめえ」
◆
北条政子が平安京に襲来してしばらく経った頃。
「やあ
五十を過ぎた入道姿の男は、老いてなお涼やかな風貌に、無駄にさわやかな笑みを浮かべながら声をかける。
「宗盛、経盛、教盛、頼盛、知盛、重衡、維盛、資盛。息子たち、娘たち……パパだよ」
「……いや兄貴、俺ら息子じゃないですし」
「じーちゃんだよな」
弟や孫に突っ込まれて、清盛は首を横に振る。
「ノン! 一族を治める家長は、いわば一族全員の父親のようなもの! だからこのボクを呼ぶ時には親愛をこめて“パパ”と呼びなさい!」
「……パパって?」
「
後ろの方で孫たちがひそひそやっているのを無視して、清盛は立ち上がり、舞うような
「さあ無駄口は駄目だよかわいい息子たち! この皆が愛すべき
くるり、回って一門に向き直り、何事も無かったかのように言葉をつづける。回転に意味はない。
「――だけど、この素晴らしいことが、いつまでも続くと思っちゃいけない」
説き聞かせるように、清盛は語る。
「今の平家の隆盛は、みんなの努力で勝ち取ったものだ。だけど、どれだけ取り繕っても、ボクたちはしょせん下級貴族の出自だ。生まれついての公家じゃない。家柄はボクらを守ってはくれない……だから、常に身を引き締めて、立身の努力を怠っちゃいけない。多くの敵から身を守らなくちゃならない……それを忘れちゃいけないよ、愛しい息子たち!」
「はいっ!」
一門の頼もしい返事にニコリとうなずいて、清盛は言った。
「よろしい。ではパパも、これから八条院と親交を温めてくるとするよ。みんな、それぞれ
◆
平清盛……保元・平治の乱に勝利し、数多の政争を切りぬけて、武士として初めて位人臣を極めた。
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