二十二 平清盛

 政子が八条院にお目通りする間、同行していた藤九郎とうくろうや家来たちは、屋敷の下手に回されていた。


 侍たちの長屋がある界隈だ。

 むさくるしいが、藤九郎たちにとっては、皇族のお座敷なんかにいるより、よっぽどくつろげる。


 井戸からくみ上げた水を、柄杓えしゃくで飲みながら、人心地。



「しかし、八条院と会えるなんざあ、あの小娘も、つくづくたいしたぁもんだ。これでなにかやらかしてなきゃあ、もっといいんだが……」



 万一の場合、連座して死ぬ覚悟はできているが、そんな事態、無いに越したことはない。

 どうせ死ぬのなら、頼朝本人のために死にたいものだ。



「姐さんならきっと大丈夫だぜ、藤九郎!」


「姫大将のことだ! なにかすんげえことやらかしてるにちげえねえぜ!」



 政子の家来たちが励ましてくるが、ちっとも励ましになっていない。



「……あんたらは気楽でいいなあ」


「ああ! 考えるのは姫大将だからな! 超楽だぜ!」



 いっぱしの武士として、それはそれでどうなんだという気がするが、仕方ない。

 彼らの気楽さをうらやみながら、藤九郎は政子の目通りが済むのを待った。


 八条院に仕える家僕たちと雑談していると、ふいに表から青侍あおさむらいが青い顔をしてやってきた。



 ――なにかやらかしたな。



 それを当然のことと認識している藤九郎は、「拝謁の時、女房たちが全員ぶっ倒れた」と言う話を聞いても驚かない。



「さもありなん。で、政子殿こむすめは?」



 藤九郎が尋ねると、青侍は幽霊を見てきたような表情で答えた。



「八条院はかの娘をことのほか気に入られ、御殿に一室を与えて住まわせることに」


「なにやったぁあの小娘!?」



 さすがの藤九郎も悲鳴をあげた。






「――と、いうわけで、しばらく八条邸ここることになった!」



 藤九郎が頭を抱えていると、その原因――北条政子がやってきて、開口一番、そう言い放った。


 さすがすぎて何も言えない。

 もとより、良くも悪くもやらかす童女であるのは、よく知っている。



「お前の住む場所はいいとして、わしらはどうするのだ?」


「安心せよ。ここの長屋に住んでよいらしいぞ」


「ま、そんなとこか」



 格差を感じながら、藤九郎はうなずいた。


 分相応だ。不満はない。

 御殿に部屋住まい、などという政子への処置が異常すぎるだけである。



「で、これからどうするつもりだ?」


「とりあえず、しばし八条院の話し相手をせねばならぬな。動けぬ」



 気が進まなそうな様子の政子に、藤九郎はおやと眉を動かした。

 この傍若無人な爆弾娘にも、苦手な人間が存在するらしい。



「――まあ、しばらくはつき合わねばな。その後は」


「その後は?」


「うむ、清盛きよもりに会う手はずになっておる!」



 藤九郎はしばらく、耳に入った言葉が理解できなかった。

 清盛というのが、いまをときめく平家の棟梁とうりょう、さきの太政大臣、平清盛入道にゅうどうのことだとようやく理解して。



「おいーっ!?」



 叫び声をあげた。

 もちろん政子は藤九郎などお構いなしだ。



「平清盛、どんな奴なのであろうな!」



 腕組して挑戦的な笑みを浮かべる政子に、藤九郎はため息をつきながら言った。



「まったく……大物すぎるぜてめえ」







 北条政子が平安京に襲来してしばらく経った頃。

 福原ふくはらより帰還した平清盛は、西八条第にしはちじょうていに入り、一門の者たちを広間に呼び集めた。



「やあ重盛しげもり



 五十を過ぎた入道姿の男は、老いてなお涼やかな風貌に、無駄にさわやかな笑みを浮かべながら声をかける。



「宗盛、経盛、教盛、頼盛、知盛、重衡、維盛、資盛。息子たち、娘たち……パパだよ」


「……いや兄貴、俺ら息子じゃないですし」


「じーちゃんだよな」



 弟や孫に突っ込まれて、清盛は首を横に振る。



「ノン! 一族を治める家長は、いわば一族全員の父親のようなもの! だからこのボクを呼ぶ時には親愛をこめて“パパ”と呼びなさい!」


「……パパって?」


唐言葉からことばだよ。漢字で書くと巴巴パパ



 後ろの方で孫たちがひそひそやっているのを無視して、清盛は立ち上がり、舞うような格好ポーズをとる。



「さあ無駄口は駄目だよかわいい息子たち! この皆が愛すべき平清盛パパは、後白河院のおかげをもって太政大臣にまで上り詰めた! 一族の者も、みな父の代では考えられないほど高位についている。これは素晴らしいことだ!」



 くるり、回って一門に向き直り、何事も無かったかのように言葉をつづける。回転に意味はない。



「――だけど、この素晴らしいことが、いつまでも続くと思っちゃいけない」



 説き聞かせるように、清盛は語る。



「今の平家の隆盛は、みんなの努力で勝ち取ったものだ。だけど、どれだけ取り繕っても、ボクたちはしょせん下級貴族の出自だ。生まれついての公家じゃない。家柄はボクらを守ってはくれない……だから、常に身を引き締めて、立身の努力を怠っちゃいけない。多くの敵から身を守らなくちゃならない……それを忘れちゃいけないよ、愛しい息子たち!」


「はいっ!」



 一門の頼もしい返事にニコリとうなずいて、清盛は言った。



「よろしい。ではパパも、これから八条院と親交を温めてくるとするよ。みんな、それぞれ平家いえのために頑張ろう!」





平清盛……保元・平治の乱に勝利し、数多の政争を切りぬけて、武士として初めて位人臣を極めた。

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