第16話 犬猿の仲……なのです?(1)
人生生きていると、とっても不思議な運命の出逢いに巡り逢うことも、ままありますよね。
たとえば、わたしとひなたが幼い頃に同じ幼稚園で出逢い、今もこうして一緒にいることとか。
たとえば、わたしが祖母の家へおつかいに行ったときに風が吹き、帽子が飛ばされ、大神さんと出逢ったこととか。
たとえば、わたしの知らないところで大神さんとひなたが出逢っていて、さらには険悪なムードになっていたこととか。
……まあ、最後のはたとえ話ではなく、現在進行形なのですが。
「ええと、あの、すみません。お取り込み中大変申し訳ないのですが、……これはいったいどういうことなんです?」
場所は、わたしの家の前。時刻は、午後一時過ぎくらいでしょうか。
対峙しているあいだに入り込み、わたしは二人を交互に見上げます。
今、どんな状況かと言いますとですね。あの綺麗なお姉さんと別れ、学校へ向かおうと家の前まで戻ってきたら――どういうことか、大神さんとひなたが火花を散らして睨み合っているところに遭遇したってわけです。
理由もよくわからぬまま、まあまあまあ、と二人をなだめます。
ふと、大神さんと目が合いました。ああ、なんだかとっても久々な気がします。最後に会ったのは、四日前になりますでしょうか。熱を出してお泊まりさせてもらったときが最後でしたっけ。そうですそうです、その節は本当にお世話になりました。おかげさまですっかり体調もよくなりましたよ。
で、ひなた。あなたはなぜ、ここにいるのですか? 学校へ行ったはずじゃなかったですか。だって、確かにひなたは今朝、東に向かって歩いていきましたよね。その姿を、わたしはしっかり見ています。振り向くたびに、子どもみたいに無邪気に大きく手を振ってくれていたじゃないですか。それなのに。
ううん、やっぱりいまいち状況が飲み込めません。どこでなにがどうなってこうなったのかはわかりませんが――とにもかくにも、大神さんとひなたはお知り合いだった、ということでしょうか? ……知りませんでした。
「知り合い? 冗談きついよ、沙雫。僕は、こんなやつは知らない」
え? 知らない? 嘘でしょう?
……こんな険悪なムードなのに?
「俺だって、こんなやつは知らん。……だが、こいつが突然、俺に喧嘩を売ってきたのは確かだな」
大神さんが呆れたような口調で言います。
こいつって、ひなたが? 大神さんに? 喧嘩を売ったんですか? まさか! ひなたは確かに元気すぎるところはありますが、理由もなく面識のない人に喧嘩を売るような子ではないですよ。幼い頃からずっとひなたを見てきたわたしが胸を張ってそう言えるんです。ひなたは、心の優しい子なんですから。
「ひなた、いったいどうしたんですか。なにがあったって言うんですか」
「ねえ、沙雫。……きみが言っていた『大神さん』というのは、こいつのことだろう?」
ひなたはわたしに体を向けると、大神さんを親指で指し示しました。
ええ、まあ、確かにこの人はわたしが言っていた大神さんで間違いはないです。ないです、けども。……それだと、なにか問題でも?
「そう。だったら僕は、こいつを征伐しなければならない」
せ、征伐……?
「な、なぜです……? 征伐って、そもそも大神さんは悪い人では……」
「悪いよ、凶悪だよ、極悪だよ。僕に言わせれば、強姦魔や殺人鬼となんら変わりないね」
「ご……、さ……!?」
なにを言っているんですか! ついにとち狂ったんですか!
「だって、沙雫が言ったんだろう。こいつの家に泊まったんだって」
おわあああ!?
え!? 今ここでそれを言いますか!? 言っちゃうんですか!?
わたし内緒だって言いましたよね!?
だって、だって、そんなことを言ったら……!
「……おまえ、そんなことまで話したのか?」
「ええそうですよ話しましたよ確かに話しましたけれど!」
ああもうほら! 絶対こうなるじゃないですか!
最悪です。恥ずかしいです。穴がなくても掘って入りたい気分です。
熱くなる頬を両手で押さえながら、必死に言い訳(自分ではそうは思いませんがまわりから見たらきっとそう見えると思うので)をします。
「でも、でもですねっ! ただお泊まりをしたと言っただけですよ! ちゃんと『熱が出てしまったので』とも言ったはずです! そして看病をしてもらっただけだと! ねえ、ひなた! そうでしょう! わたしはなんの意味もなく異性の家に泊まるような子じゃありませんよね! ね!」
「さあ、どうだったかな」
えええええ!? なぜそこで知らんぷりをするんですか!?
ああ、ほら、大神さんの目が疑うように細められたじゃないですか……。もうだめですね……これは絶対勘違いされましたね……。そんな節操のない子に見られたら、わたしはもう生きていけません……。本当にこの森に狼さんがいるのなら今すぐわたしを食べてほしいです……。跡形もなく……むしゃむしゃと……。
「理由はどうであれ、泊まったのは事実だろう」
「それは……そうですが、でもそれはべつに変な意味じゃなくてですね……」
「意味なんてどうでもいいよ」
ふと、ひなたの目に剣呑な光が宿りました。細い体の横で固くこぶしが握り締められます。奥歯をぎりと噛みしめています。
……これはまずいです。早くひなたを止めなければ。
そう思ったときでした。
わたしが動き出す前に――ひなたは、大神さんの襟首を掴み上げたのです。
「ひなた!」
「ずっと頭に来ていたんだ。……僕の沙雫になんてことをしてくれたんだってね」
至近距離で睨み合っています。どんなにわたしが二人を引き離そうとしても、こんな小さなわたしの力なんて、ありんこくらいものです。この二人の前では、なにもできることがありません。それでもなんとか止めようと……わたしはただひたすらに、ひなたの手を押さえて「やめてください」と叫ぶしかありませんでした。
ひなたももちろん怖かったですが、わたしは大神さんが怖かった。
今、彼はどんな表情をしているのでしょう。とても気になりましたが……わたしはそれを知るのが恐ろしくて、視線を上げて大神さんを見ることができませんでした。
ひなたは同世代の子たちと比べれば背が高いほうですが、大柄な大神さんとは比べ物になりません。身長は三十センチ以上も違います。年齢だって八つも離れているし、……そうなれば力だって大神さんのほうがあるに決まっています。大神さんがひなたに暴力をふるえば、きっとただ事では済まされません。……だから、とっても怖かった。
だけど、それでも。わたしは、この人たちを止めなければいけません。
恐る恐る、大神さんに視線を向けました。ゆっくり。ゆっくり。
……そして、わたしは気づくのです。
……ああ、そうです。わたしはなにを心配していたのでしょう。
『もし大神さんが暴力をふるったら』なんて――そんなこと、ほんの少しだって考えなくてもよかったのに。
「少し落ち着け」
わたしの不安は、まるで杞憂でした。
大神さんの焦げ茶色の瞳は、驚くほどに穏やかで。
大丈夫。大丈夫です。大神さんはなにも怖くありません。
大神さんは、わたしが思うより……ずっと、ずっと、大人でした。
襟を掴むひなたの腕をそっと取り、離すように促します。ひなただって、そんな簡単に引くわけはありませんが、大神さんも引きませんでした。じっとひなたの目を見つめ、腕を掴むその手を離しません。
「俺を殴ったところでどうなる」
「さあ。だけど、そうでもしないと僕の気がおさまらない」
「一発殴れば気が済むのか?」
だったらどうぞ、とでも言うように、大神さんは堂々たる態度でひなたを見続けます。
ひなたはくちびるを噛みました。悔しいとくちびるを噛むのが、ひなたの幼い頃からの癖です。きっとひなたは、大神さんを殴ってもなんの意味もないことを、自分でもちゃんとわかっているのでしょう。……だから、相手にそれを見越されてしまえば、どうすることもできません。
ひなたは小さく舌打ちをして、大神さんの襟から手をぱっと離しました。
ほっと安堵の溜め息が漏れます。……これで喧嘩沙汰はなくなりました。少なくとも、殴り合うことはないでしょう。
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