第15話 綺麗なお姉さんは好きですか(1)
ええ、ええ、確かに元気にはなりました。一人でいるときは、どこにいてもなにをしていても巨乳ちゃんのあの無自覚に無責任で無神経な言葉が頭から離れなかったはずなのに……ひなたといると、うつうつとした気分はどこへやら。そんなことなどすっかり忘れてしまいます。すごいですね、さすがわたしの親友です。
……でも、なんか違うと思うのですよね。
だって、おかしいじゃないですか。こんなことになるなんて思ってもみませんでしたし。どうしてこうなったと何度も胸の中で叫びましたから。
「おはよう、沙雫」
「……おはようございます、ひなた」
金曜日です。
わたしは、ひなたの家のひなたの部屋のひなたのベッドのひなたの隣で、朝を迎えました。漫画でいう朝チュン状態です。
ああ、スズメさんは今日も元気ですねえ……。ほんと、うらやましいくらい……。
「ふふ、よく寝ていたね。沙雫」
「そりゃあもう、ぐっすりでしたよ。爆睡です。……夜遅くまであんなことを続けていれば」
「僕のせいで寝不足にさせてしまったね、ごめん。でも沙雫も悪いんだよ。……あんなふうにかわいい声を出されたら、つい興奮してしまう」
はあ? かわいい声? あれの? どこが?
「本当に楽しい夜だった。……また一緒に過ごそうね」
「ええ、ぜひ。……今度は絶対に負けません」
え? なにって、ゲームの話ですよ。
そうです。あのあと――ひなたとベッドの上でしていたことと言えば、対戦ゲームです。
最初はなにをされるのだろうとビクビクしていましたが、ひなたがニヤニヤと笑みを浮かべながら枕の下から出してきたのは、なんと先日発売されたばかりの新型ポータブルゲーム機でした。日曜日に、前日の夜から店の前に並んでやっとの思いで手に入れたらしいです。そりゃあもうめちゃくちゃ待ったそうですよ。徹夜組も何人もいたとか。それを聞いて、言われてみればひなたはそのゲーム機のことで数か月前から騒いでいたな、と思い出しました。そう、「予約しようと思ったところ希望者が殺到したためできなかったから当日販売でなにがなんでも絶対に確実にどんな手段を使ってでもモノにしてやるたとえ殺し合いになったとしてもだ」と息巻いていたのでした。元気そうなひなたの様子を見ている限りでは、どうやら殺し合いになるようなことはなく穏やかに購入できたみたいで、本当によかったです。
ひなたが購入したのは、新作の対戦型格闘ゲームソフトでした。わたしは普段だとあまりゲームをやらないのですが、ひなたがどうしてもと言うので、まあ少しくらいならとやり始めたら……もう、おもしろくておもしろくて。久しぶりに大ハマリでした。そりゃあもう目が血走るまでやり込みましたよ。次の日が学校だなんてことは、すっかり忘れていました。おかげで今めちゃくちゃ眠いですが、仕方ありませんよね。自業自得です。
ひなたが得意なのは、なにも勉強やスポーツだけではありません。素晴らしいことにゲームも得意なんです。多才ですよね。かくいうわたしもこれでなかなかいい腕をしているのですが、どうしてもひなたにだけは勝てません。何度も何度も液晶画面に「LOSE」の文字が現れるのが悔しくて、腹が立って、真夜中だというのに大声で叫んだり喚いたりしてしまいました。それを「かわいい声」だなんて言うのは、ちょっとおかしいと思うのです。ていうか余裕しゃくしゃくでが腹立たしいです。いつか絶対ぎゃふんと言わせてやりますよ。憶えていやがれです。
……あ、そういえば。
「ひなた、体調のほうはどうですか」
風邪をひいているはずなのに、昨晩は全然そんなふうには見えませんでした。つらそうにもしていませんでしたし、咳や鼻水の症状も見られなかったので、すっかり忘れていました。あれだけ騒いでいたけれど……いちおう、病人なのでしたよね。
「風邪、まだつらいですか」
「え? あー、うん、まあ……」
「熱をはかってみましょうか」
「ね、熱? いや、いいよ、べつに、そんな」
「だめです。薬も飲んでいないようですし、ちゃんと病院へ行って診てもらわなくては」
「そんなの大丈夫、大丈夫だから」
体温計を渡そうとしても、嫌がる子どものようにぐいぐいと押し返してきます。あれ、ひなたって体温をはかるのがそんなに嫌いでしたっけ。そんな話は一度も聞いたことがありませんけど。それなら病院へ行くのが嫌だとか? いえ、ひなたは薬も注射もなんのそののはず。……じゃあ、いったいなんなのでしょう。
ひなたの顔をじっと見つめます。
ひなたはぱちぱちとまばたきをすると、わたしの視線に耐えられず、すっと目をそらしました。口もとに、ほんの少し苦笑いを浮かべて。
……ああ、やっぱり。
ねえ、ひなた。わたし、知っているのですよ。なんて言ったって、わたしはあなたの幼なじみですから。ある意味、ひなたよりもひなたのことを、よーく知っている存在でもあります。
いいですか、教えてあげましょう。あなたはとっても優秀ですが、昔からたったひとつだけ不得意なものがありましたよね。今でも、全然変わってない。
それは――嘘を、つくこと。
「ひなた。あなた、嘘をつきましたね」
「う、嘘? はは、なんのことかな」
「しらじらしいですね。自分がいちばんよくわかっているでしょう」
「さあ。よくわからないな……」
この期に及んで、まだ知らないふりをするのですね。まったく、なんて子でしょう。
いいです、じゃあはっきり言ってあげますよ。
「あなた、仮病をつかったでしょう?」
びくり。ひなたの肩が反応します。
ビンゴです。わたしは溜め息を吐きました。
「呆れた。まったく、どうして仮病なんて小賢しい真似をするのですか。わたしより頭のいいひなたにこういうことを言うのはなんですが、授業を受けないと勉強も遅れます。一時間でも欠席すれば、そのぶん周りに置いていかれるのですよ。来週ある試験で成績順位を落としても知りませんからね」
「だ、だって、沙雫に会うのが怖かったんだ。わかるだろう、僕はずっと悩んでた。理由もなしに仮病なんか使わない」
「そんなの知りません。自業自得です。ああいうことをするんだったら、最初からどんと構えていなさい。悩むくらいならしないでください。どうしてキスされた側のわたしがこんなことであなたに説教しなくちゃいけないんですか。こっちの身にもなってほしいです」
「そりゃあ沙雫はそういうところタフだし……僕はどちらかと言うとナイーブだから……」
「泣き言を並べない! 言い訳しない!」
いや、ていうか今の言い訳、わたしに失礼じゃないですか。タフってなんですか。そういうところってどういうところですか。ひなたからキスしてきたくせに、ひどい言いようですね本当に。
「わたしが怒っている意味、わかりますよね?」
「……わかったよ。僕が悪かった。だから……そんなに、怒らないで」
子犬が耳としっぽを垂らすみたいに、ひなたはしょんぼりと頭をさげました。
反省しましたか? 反省しましたね? よし、いいでしょう。
「では、早く用意をしてください」
「え……?」
ひなたを一瞥し、わたしはベッドの上からぴょんと降りました。ううんと背伸びをしたあとで、後ろで手を組み、肩ごしに振り向きます。
ぽかんとするひなたに向かい、わたしは明るい声で言いました。
「学校、一緒に行くんでしょう?」
にっこりと微笑むと、ひなたは、ぱあっと表情を明るくさせ、大きく頷きました。それから自分もベッドを降りて、それこそ犬みたいに、わたしの周りをくるくる走り回ります。ほら、もう、わかったから、どうどうどう。
「さあ、ひなた。早く着替えて学校へ……」
そこまで言って、はっとします。
そうです。わたし、制服を持ってきていません。
昨日は夜にここへ来ましたから、私服だったことをすっかり忘れていました。これだといったん家に帰らなければいけませんね。仕方ありません、遅刻覚悟で制服を取りに行きましょう。午前の授業には出られそうもないですが、欠席するよりはまだましです。
「沙雫、制服がないの?」
「残念ながらそうですね」
「じゃあ僕のを貸そうか」
「ひなたのを?」
「僕はジャージで登校するよ」
「お気持ちは嬉しいですが、遠慮しておきます」
「どうして?」
どうして、って。
「……バカにしているのですか?」
わたしがひなたの制服なんて着られるわけないのに。
じっとりとした目で睨むと、ひなたはホールドアップをしながら笑います。
「ま、僕と沙雫は体型が違いすぎるしね。仕方ない。……じゃあ、僕の小学校の制服を貸してあげようか。今の沙雫でもきっと似合う」
「マジでキレますよ」
低いトーンで言うと、ひなたは小さな声で「……冗談だよ」と目をそらして笑いました。
ああ、こんなことをしている暇はありません。時計を確認すると、時刻は午前五時。今からここを出て、自宅へ戻り、制服に着替えて、学校へ向かうとなると……四時間目の授業までにギリギリ間に合うか、といった感じです。
「じゃあ、そろそろ行きますね」
「僕も一緒に沙雫の家に行くよ」
「いえ、大丈夫ですよ。遅刻してしまうので、ひなたは先に学校へ行っていてください」
「でも……」
「ひなた。あなたは二日間も学校を休んでいるんですよ。仮病でね。……それを忘れていないでしょう?」
ぐう、と喉がなる音が聞こえました。なにも言えないようですね。当然です。
わたしは微笑みました。
「わたしを心配してくれているのでしょう。わかっていますよ。でも大丈夫です。午前中までには、必ず学校へ行きます。そうしたら、向こうで一緒にお昼を食べましょう。……ひなたのいないお昼休みは、とってもつまらなかったですから」
ね、と首を傾けると、ひなたは小さく頷きました。
二人で一緒に楠家を出ます。ひなたは学校がある東へ、わたしは自宅のある西へと向かって走ります。だけど振り返れば、必ずこっちに向かって大きく手を振るひなたがいて、それに応えていたらなかなか先へ進めずに困りました。でも、なんていうか、……ひなたのそういうところ、ほんとかわいいです。わたしもひなたに甘いですよね。でも実際かわいいんだから仕方ありません。ひなたって、本当にわんこみたいです。そんなことを言ったら、ひなたには怒られてしまうでしょうけど。
ようやく汽車に乗り、数十分。やっとのこと赤井家に到着です。
家の中へ入り、さっと制服へ着替えます。もちろん両親はいませんでした。今日もお仕事を頑張ってくれているみたいです。ならば、わたしも勉強をがんばらねばなりませんね。ひなたに負けてばかりじゃ悔しいですから。
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