第14話 愛情と友情は用法用量を守って正しくお使いください(1)
「ええと……こういうときは、どうするんでしたっけ」
そう。まずは、電話です。
声が聞きたいなら、おしゃべりがしたいなら、電話をすればいいんです。
便利な時代になりましたね。こんな小さな機械を使ってボタンひとつで話したい人と簡単に繋がれるんですから。電話機を発明してくださったグラハム・ベルさんに感謝しなければです。ありがたやありがたや。
むくりと起き上がり、ガラケーを手に取ります。それから電話帳を開き、ひなたの名前を探しました。……ああ、探さずともすぐ見つかりましたね。そうそう、わたし、友人と呼べる人がほとんどいないんでした。電話帳に入っているのも、ひなたと、家族の連絡先くらいです。件数が少ないと探すのがらくでいいですね、時短時短。
さて、電話を掛けますよ。……おや、わたしらしくない。通話のボタンを押す手が震えています。一度、手をふるふると振るいます。それから、今度こそ通話ボタンを、ぽち、と押しました。耳にケータイを押し当て待っていると、間もなくして呼び出し音が鳴り始めました。一回、二回、三回……。ううん、出ませんね。もう夜ですし、もしかしたら寝ているのかもしれません。ひなたの特技は昔から早寝早起きでしたから。きっかり二十時に寝て、きっかり六時に起きる。健康優良児そのものです。わたしはどちらかというと夜更かししてしまうタイプでしたから。
呼び出し音が十回鳴ったところで、諦めて電話を切りました。仕方がありません。明日、学校で話せばいいのです。勇気を出して、ひなたのクラスまで行って、わたしから話し掛けましょう。待っているだけじゃ、らちがあきませんから。ね。
さあ、今日はおとなしく本でも読んで就寝しましょう。美容と健康のためにも、……なにより成長ホルモンを分泌させるためにも、早寝は心がけるべきなのです。
だから、おやすみなさい。
――と、先ほどまでは思っていたのですよ、本当に。
でも、どうしてでしょうか。
……知らず知らずのうちに、わたしはひなたの家の前まで来ていました。
いえ、あの、違いますよ。なんだか急に、こう……、そう、お散歩がしたくなったのです。だって、ほら、カーテンの隙間から見えるお月様があまりにも綺麗でしたから。ね、そうなんです、だからお散歩ついでに寄っただけです。それだけなんです。べつにひなたに会うのが明日まで待てなかったとか、そんな理由じゃないですからね!
「……って、わたしはいつも誰に言い訳をしているんでしょうか」
自分でもわかりません。
まあ、いいです。せっかくひなたの家まで来たことですし、ちょこっとだけ……ほんのちょこっとだけ、顔を見ていくことにしましょう。
なにを話せばいいか、なんてのは、会ってから考えればいいことです。そもそもわたしたちは、そんなことを考えなければ話せないような仲ではありませんから。
そっとインターホンに手を伸ばし、鳴らします。
数十秒の間があって、ぷつり、と通じた音が聞こえました。
『はあい、楠ですが』
一瞬、どきりとしました。……が、うん、これはひなたのお母さんの声ですね。ひなたと声がそっくりなので、ついつい反応が大きくなってしまいました。いやもう、ほんと、声そっくり。きょうだいみたいですね。でも、ひなたのほうがもう少しだけ低いかもしれません。お母さんのほうが、やや鼻にかかった声です。それでもって、ふわふわしてます。あ、でも、イントネーションはまったく同じです。やっぱり親子ですね。そういうところはさすが似てくるんだな、なんて、
『あのう、どちらさまですか?』
はっと我に返ります。
いけません、しっかりしなさい、わたし。
「あ、えと、沙雫です、あの、赤井の、沙雫、です。……夜分遅くにすみません。あのですね、」
『ああっ、沙雫ちゃんね! あらあ、久々っ。ちょっと待ってねえ』
「えっ? あ、あのっ……!」
あ、だめですね、ちっとも話を聞いていません。もう一度、インターホンからは先ほどと同じ、ぷつり、と通話が切れた音が聞こえました。
溜め息をつき、少し待っていると……玄関のドアが静かに開きます。中から出てきたのは、ひなたのお母さんでした。黒のショートヘアがひなたにそっくりです。体の線の細いところまでそっくり。「いらっしゃい」と出迎えてくれたときの笑顔もそっくりだし……ああ、ひなたはやっぱりお母さん似です。
「こんばんは。あの……突然押しかけてしまい、すみません」
「ふふ、気にしないで。だけど、ひなたは今、寝てると思うのよねえ」
ああ、やはり寝ていましたか。時刻はまだ二十時ですが、さすがひなたですね。早寝早起きが特技なだけあります。だからあんなに背が大きいのでしょうね。寝る子は育つ。本当にそのとおりです。わたしも見習わなければいけません。高校生でもまだ身長が伸びる可能性って大いにあるんでしょうか。やってみる価値はありそうです。
わたしは、ひなたの部屋がある二階の窓を、ちらりと見ました。
「寝ているんじゃ、わざわざ起こすのも申し訳ないですし……今日は帰りますね」
「あら、いいのよお。せっかくお見舞いに来てくれたんだし、寄っていってほしいわあ」
「いえ、でも、本当に悪いので……」
……え?
あの、ち、ちょっと待ってください。今、ひなたのお母さんはなんと言いましたか? 『せっかくお見舞いに来てくれたんだし』って、そう言いました? 言いましたよね、確実に。お見舞い、お見舞い……。
……お見舞いって、なんのことですか?
「沙雫ちゃんが来たって聞いたら、きっと喜ぶわあ。あの子が風邪をひいて寝込むだなんて、もう何年もなかったことだから」
うふふ、と笑って、ひなたのお母さんは玄関の扉を大きく開きました。
……風邪。ひなたってば本当に風邪をひいていたのですか。だから昨日も一昨日も姿を見なかったんですね。全然知りませんでした……。
それにしても、ひなたらしくありません。いつもだったら「具合が悪くなっちゃったから看病しにきて」と甘えた電話が来るはずなのに。……なんだかんだ言って、ひなたも気まずいと感じていたのでしょうね。
ひなたのお母さんが、ひなたの部屋の前まで案内してくれました。幼なじみとはいいえ、こうしてお互いの家に上がることなんてなかなかあることではないので……やっぱり緊張します。幼い頃は、そんなことも気にしないでずかずか上がり込んでいたのですけどね。わたしも大人になったものです。見た目は子どものままですけど。
ドアの前に立ち、そっと深呼吸をしました。意を決してノックをします。
コン、コン、コン。
――ひなた、わたしです、沙雫です。入りますよ。
そう言おうと思った、そのときでした。
「――そこにいるのは母さん? ……ねえ、お願いを聞いてくれる? 来ないとは思うけど……思うんだけど、もし……万が一にでも沙雫が来たら、僕は四十度以上の熱を出して意識が朦朧としているから、当分のあいだは会えないと伝えておいて。それでも会いたいと言うようなら……無理にでも追い返していいから。本当なら僕だって、こんなことは言いたくないよ。でも、仕方ないんだ。……できれば今は、沙雫と会いたくない。お願いだよ」
おっと。ずばり本音ですね。嘘偽りない、まったくの本心!
呆れました。そんなことを言ったら、お母さんに心配されますよ。なにかあったのかと訊かれた場合、なんて答えるんですか。まさか不意打ちでキスをしてしまって気まずくて会えないだなんて言えないでしょうに。わたしは嫌ですよ、そんなことを訊かれるのは。だってひなたのお母さんってば、きっとからかうでしょうし。「あらあ、あなたたち、キスなんてしちゃったの、幼なじみなのに、まあもっとも、幼なじみだからでしょうねえ、ずっと前から仲良かったものねえ、本当かわいいんだから二人とも……」なんて、ふわふわとろとろしながら、にこにこにこにこ笑って、冷やかしてくると思うんですよね。わたしはそれがものすごく恥ずかしいです。ね。ひなたのお母さんって、そういえところあるじゃないですか。だから、もっとよく考えてから物事を言うようにしましょうよ。ていうか、そもそも、大体、いっちばん聞かれてはいけない人にがっつり聞かれてますしね。……ええ、まあ、わたしのことですが。
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