第145話 史上最大の決戦―kiss of war―②
現在、俺たちは決戦中。
その可愛らしさに危うくやられそうになったが、なんとか窮地を脱し、今は俺が壁際に追いつめている。
このまま唇を奪えば、俺というご主人様の勝利だ。
しかし、もうちょい恥ずかしがらせたいかもしれぬ……と油断した瞬間、ギラッと唯花の瞳が輝いた。
「もう怒ったんだからぁ……っ」
そんなお怒りの言葉と同時に、ばっと唯花の両手が動いた。
向かうのは、あごクイをしている俺の左手。しかし無駄な足掻きだ。
「唯花メイドよ、力任せに俺の手をどかせるつもりか? そんな程度でこの状況が覆ったりは――」
「柔よく剛を制すなり!」
「――しない、ぞおおおおおおお!? な、なにぃ!?」
突然、全身に違和感が走った。
体から力が抜け、膝がガクガクと震えだす。
「な、なんだこれは!? 一体、俺に何をした!?」
「ふっふっふ、まだ気づかないとは。愚鈍なご主人様なのです」
「ご主人様を愚鈍とか! なんて口の悪いメイドだ……っ」
「ツインテールのヒロインは口が悪くてなんぼなのです。それともこういうのはお嫌い?」
「いやまったく嫌いではないが! むしろなんか新鮮でいいが!」
「ならば良ーし!」
ツインテールをふるふると揺らし、唯花メイドは小生意気に勝ち誇る。
「愚鈍なご主人様、よく自分の手を見てあそばせ?」
「自分の手……だと?」
言われて目を向ける。
俺の左手は唯花に掴まれていた。
しかしただ掴んでいるだけではない。これは――。
「恋人握りだとぉ!?」
「はい、そういうことー!」
ツインテールメイドの元気な声と共に、指をにぎにぎされる。
「にーぎにぎ♪ にーぎにぎ♪ ご主人様のお手々をにーぎにぎ♪」
「ぐぅ、ぬう……っ!」
凄まじい癒され力にどんどん力が抜けていく。
唯花は俺の手をどけようとしていたのではなかった。
恋人握りによって、俺を腰砕けにしようとしていたのだ。
効果はテキメン。
指を絡めてぎゅっとされ、俺は膝から崩れ落ちる。
「馬鹿な……っ。壁ドンであと一歩のところまで迫っていたのに、こうも易々と覆されるとは……!」
「嘆く必要はありませぬ。あたしだって……出来ればこの手だけは使いたくなかったし」
「な、なんだと?」
切なげに目を逸らされ、ちょっと不安になってしまった。
軽く身じろぎし、口調がややぶっきら棒になってしまいつつ、尋ねる。
「お、俺と……手を繋ぎたくなかったってことか?」
「そうだよー?」
「な……」
間髪を容れず肯定され、息をのんだ。
唯花がじっと目を見つめてくる。
俺は今、床に膝をついている状態。
唯花は立ったまま、恋人握りをしながら俺を見下ろしている。
「だってー」
指がにぎにぎされた。
「これ、
俺の手を握ったまま、自分の手を口元に持っていき、顔を隠した。
そして、ウルルと涙目になって、囁く。
どこか拗ねるように。
「だってさ、あたし、一度奏太にフラれてるから」
俺、戦慄。
こ、こいつはーっ!?
雰囲気たっぷりにジョーカーを切ってきやがった!
分かってる、これは唯花の作戦だ。
乗ったらさらなる窮地に立たされてしまう。
しかし……っ。
罠だと分かっていても、男として飛び込んでいく以外の選択肢がない!
「ああ、ちくしょう!」
膝の力なんて一瞬で戻り、すぐさま立ち上がった。
こっちからぎゅっと指を絡め、唯花に近づく。
「確かに俺は一度お前をフッたかもしれない! でもあれは違う。そういうことじゃない。分かるだろ!?」
「……分かんないもーん」
唇を尖らせ、ぷいっと顔を背けてみせる。
しかしそれに反して、指はぎゅっと強く握り返してくる。
裏腹な態度に不覚にもキュンッとしてしまった。
くっ、あざとい……っ!
あざとさが爆裂している……っ!
確かに形の上で一度、唯花をフッたことがある。
でもあれは唯花が『奏太がいれば何もいらない』なんて言ったからだ。
前を向き始めた今の唯花を見れば、むしろ『そんなこともあったよなー』と笑い話にしてもいいくらいの話である。
しかしこともあろうにその過去を武器にしてきやがった。
血も涙もない反則技だ。
なんせこっちは正面からこの話題を受け止めなければならない。
そうしなければ男がすたる。
ノーガード戦法ならぬ、ノーガードを強いられているだけのサンドバッグ状態だ。
「あーあ、あの時のあたし、すっごく勇気を出したのになぁ。一世一代の告白だったのになぁ」
「いや正確には告白はしてないだろ!? もうちょっと遠回しな言い方だったじゃないか!」
あの時の唯花の言葉は『あたしたち、もう恋人でいいよね?』だ。
告白か告白じゃないかで言えば告白かもしれないが、明確に告白かどうかと問えば告白じゃないと言えないこともないかもしれないのである。いかん、ワケ分かんなくなってきた!
俺の混乱を目ざとく見つけ、唯花は大げさに驚いた顔をする。
「えっ、奏太はあたしの告白をなかったことにしてるの……? ひどい!」
「ち、違う! んなわけねえだろ!? そんなことするか!」
「だって正確には告白じゃない、とか言うし」
「いやだからそれは……っ」
俺としたことが、しどろもどろになってきた。
唯花は後ろ側に傾き、壁にこつんと額をぶつける。
そしてわざとらしくふくれっ面。
「あーあ、傷ついた。あたし、すごい傷ついちゃったなー」
「や、やめろよ、そういう言い方するの……っ。本気じゃないと分かってても『もしかしたら本気で傷ついたのか』って不安になるだろーがっ」
「だって本当に傷ついたもーん。もう引きこもっちゃおうかなぁ」
「もう引きこもってるだろうが! ……あ、一応、ツッコみどころを作って『本気で傷ついてるわけじゃない』って教えてくれてるのか。ならば良し!」
あー、ほっとした。
と思ったのも束の間である。
「あたし、もしかして奏太に嫌われてるのかなぁ?」
「くぅ、こいつは……っ」
独り言みたいなことを、まったく独り言じゃない声量で言ってきた。
しかもなんてデリケートな話題を……っ!
それ、俺の答え方次第じゃとんでもないことになるだろ!?
顔をひくひくさせていると、こっちをチラリと見て、唯花はわざわざ繰り返す。
「あたし、奏太に嫌わてるのかなぁ」
「ぬう……っ」
どうする?
どんな返しをすればいい?
「あたしー、奏太に嫌われてるのかにゃー?」
ほれほれどうするの? と言わんばかりに繰り返してくる。
こやつめ、なんて楽しそうな顔をしやがる。
とりあえず時間稼ぎだ。
上手い返しが思いつくまで、時間を稼ぐのだ。
目の前でゆらゆらしているツインテールが視界に入った。
これだ、と思い、毛先をツンツンと引っ張る。
「はにゃっ?」
驚いて唯花が目を白黒させた。
「な、なにするのよー?」
「いやなんか触りたくなって」
「勝手に触らないのー。えっちー」
ぺちぺちと胸を叩いてくる。
しかしぜんぜん本気の叩き方じゃないので、俺の毛先ツンツンは止まらない。
「ほれほれー」
「あー、もうなあにー? そんなにツインテールがいいのー?」
「ああ、悪くない。唯花のツインテール、結構いいかもしれん。可愛いぞ」
「まったくもう……」
ちょっと困ったような、それでいて嬉しそうな顔。
「じゃあ、触っててもいいよ。許可します」
「よっしゃ、許可もらえた」
引き続き、ツンツンを続行。アンド時間稼ぎを継続。
……と思ったのだが、そうは問屋が卸さなかった。
「で、お話の続き。奏太はあたしが嫌いなのー?」
ネコのように目を細め、ニヤニヤしながら聞いてくる。
……くそっ、逃げられなかった。
内心歯ぎしりしつつ、どうにか言葉を絞り出す。
「メイドオブ唯花さんや」
「なんじゃらほい、ご主人様オブ奏太さんや」
「私の左手は今、君の右手にニギニギされております」
にぎにぎ。
「そして私の右手は今、君のツインテールをツンツンしております」
ツンツン。
「こんな状態で君の質問は果たして意味を成すのでしょうか?」
……ぶっちゃけ、これは時間稼ぎにもならない駄目な返しだ。
こんな程度ではすぐさま唯花に覆されてしまうだろう。
「…………あう」
「んん?」
俺は目を瞬く。
すぐにやり込められてしまうかと思ったのに、予想外に唯花が俯いた。
頬っぺたがちょっと赤い。
「なんだ? どうしたんだ?」
「や、その、えっとね……」
もじもじしながら、蚊の鳴くような声でつぶやく。
「奏太に『君』って言われるの、なんか新鮮だなあって……」
「あー」
そういやそうかも。
……ん、いや待て! のんきに頷いている場合じゃない。
唯花にダメージが通った。
これはチャンスだぞ!
俺はすぐさま左手をぎゅっと握り返し、ツンツンしていた右手で肩を抱く。
「唯花、君は可愛い」
「ふえっ!?」
「君は可憐で美しい」
「ちょ、う、美しいとかそんな……っ」
唯花がしどろもろになってきた。
おろおろと目もさ迷わせている。
今だ! にぎにぎ解除!
右手は肩を抱いたまま、左手は再びあごクイへ!
「あ……」
吐息のような声がこぼれた。
そんな唯花へ、俺はぐっと顔を近づける。
「唯花、俺は君のこと嫌いじゃないよ。それを今から行動で示そう」
「え、ちょ、ちょちょちょ……っ」
大いに狼狽え、直後に唯花ははっとする。
「し、しまったーっ!? なんかいつの間にか逆転されちゃってるーっ!?」
「さあ、君は目を閉じるんだ……」
「なんかイケメンっぽい口調で迫ってくるぅ!? 似合わない! ぜんぜん似合ってないからね、それーっ!」
「でも君はトキめいちゃってるだろう?」
「トキめいちゃってるけどもーっ!」
ジタバタしているが、すでに俺の間合いである。
よし、王手だ。
唯花の唇を奪うべく、俺は一気に距離を詰めていく――。
次回更新:3/12(木)予定
書籍1巻:絶賛発売中!
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