楓とのデート 1/3
日曜の朝の車内は、ぽつぽつと空席があるくらいには空いていた。
僕は先頭車両のドア付近に立って、息を整えながら窓の外の看板をぼんやりと眺めた。サンタの恰好をした有名アイドルが僕に向かって手を振っている。これから向かうショッピングモールの広告のようだ。クリスマスセールを絶賛開催中らしい。
電車がプシューと鼻息を荒くして、ゆっくりと動き出した。
可愛らしいアイドルサンタが徐々に遠ざかる。少しも名残惜しくない。
駅を抜けると、鉄筋コンクリート造ビルの隙間から雲一つない青空がチラチラと見え隠れしていた。この様子じゃ明日も雪は降らないな、と残念に思う。
ガタンゴトンとレールの継ぎ目を通過する音が規則的に聞こえる。心地良く揺られて漏れたあくびを噛み殺すと、ふと、寝坊しかけた事実を思い出して背筋がぶるりと震えた。
全てはあの小説が悪いのだ――。
昨晩、一度去ってしまった睡魔はなかなか戻ってきてくれなくて、楓から借りた小説の続きを読み進めてしまったのがまずかった。ドロドロな愛憎劇の末、小説のラストで二人はついに破局を迎えた。初デートの前日になんて不吉なものを読んでしまったんだと大いに後悔し、始まってもいない楓との終わりを想像してますます眠れなくなってしまったのだ。
あれだけ目覚ましが鳴っていたのに、父さんも母さんも起きてこないんだもんな、と八つ当たりしそうになったところで、車内アナウンスが、
『次はー、花木町ー、花木町ー』
と鼻を摘まんで出したようなダミ声を流した。
ん? 花木町? 待てよ……花木町だって? 楓が乗って来る!
そうだった。うかつだった。楓の最寄り駅は隣駅だった。せっかく『芝浜駅』で待ち合わせをしたというのに、車内で鉢合わせるのは非常にばつが悪い。待ち合わせ場所を指定したのは僕だったのに、おろかにも考えていなかった。思わず、手すりと座席の間にある小さな隙間に身を収めて隠れた。
『花木町駅』のホームに電車が入る。
僕はこっそりと伺うようにして、ホームで電車を待つ人たちを窓から確認した。
――いた。ホームのちょうど真ん中辺りで、本を読みながら電車を待つ楓を見つけた。
うつむく楓の顔は前髪に隠れて見えない。こちらを向いていないことを良いことに、僕は楓が見えなくなるまでじっと見つめた。
電車が止まり、ドアが開く。何人か降りて何人か乗り込んだ。すぐにドアが閉まって電車が動き出した。
僕は一歩も動けなかった。実際は直線を走っていたのに、ホームの端から端までを楓を支点として弧を描いたような感覚だった。初めて見る私服の楓は、近寄りがたいほどの可憐さを身にまとっていた。なんてことだ。僕はあんなに可愛い女の子とデートをするのか……。
我に返る間もなく、電車は『芝浜駅』に到着した。
ホームに降り立ち、しばらくじっと待つ。西口改札へと続く階段は、僕と楓のちょうど中間にある。このまま進めば鉢合わせてしまう。それだけは何としても避けたいと思った。
楓の小さな姿が階段に向かって消えて行くのを見届けてから、僕は歩を進めた。
階段を昇る足がひどく重い。電車に乗るまであれだけ軽快に走っていた両足に重たい枷をはめるほど、楓の私服姿は破壊力抜群だった。巨大看板のアイドルサンタを歯牙にも掛けない。
少しでも平常心を取り戻せるように、ゆっくり歩こう。計算上は二分は余裕があったはずだ。三十秒ほど使ってしまったから、残り一分半。さすがに遅刻だけはしたくない。
階段を昇り切って改札を通る。左に折れて西口へ向かう。待ち合わせ場所である西口の大時計が見えてきた。楓の姿はまだ見えない。
大時計に辿り着く。大時計を見上げると、時刻は十時ちょうど。周りを見渡してみたが、先に歩いていたはずの楓がいない。ホッとしたはずなのに、なぜだか胸がチクリと痛んだ。その瞬間、
「わっ!」
後ろからいきなり大きな声を掛けられて、思わず飛び上がる。訳の分からないまま振り向くと、両手をメガホンのようにして口に添えた楓が楽しそうに笑っていた。
「び、びっくりした……」
「あーおかしい。光葉ったら、ずっと後ろを歩いているのに全っ然気づかないんだもん」
「な、なんで後ろにいるのさ……」
「なんでって――ふふっ。光葉、ホームでわざと止まっていたでしょ? 階段を昇ったところでこそっと隠れて、逆に光葉を待ってたのよ」
なんてことだ。僕の必死な作戦がもろばれだったのだ。
「それじゃあ、僕が電車に乗っているのも気づいて……?」
「うんっ。絶対光葉が乗ってるって思って、本を読むふりして電車の中を覗いていたの。そうしたら――うふふっ。光葉が大きな口を開けて一番先頭に乗っているんだもの。笑いをこらえるのに必死だったわ」
くすくすと楓は笑い続けている。楓の笑い声はとてもくすぐったい。駅のホームで電車を待ちながら、僕にするいたずらを楓が考えていたことを思うと、悔しさや恥ずかしさよりも嬉しさがじわりと込み上げてきた。
電車の中で感じた近寄りがたさは、どうやら楓の大声で消し飛んでくれたようだ。
ほんの少しの余裕を持って、いつもと違う楓の私服姿をじっと見つめる。
髪は真っすぐ下りていて、櫛で抵抗なくスッと梳けそうだ。フード周りにファーの付いた白いダッフルコートは楓みたいにふわふわで、ネイビーのフレアスカートは少しだけ大人な雰囲気をかもし出している。真っ赤なハンドバッグはとても楓らしいな、と僕は思わず笑みをこぼした。
にやにやしている僕を見て楓は何を勘違いしたのか、
「えっと……。わたしの顔に、何か付いてる?」
笑顔を引っ込めて戸惑うような表情を見せた。
「ん? 付いてるって? あーそうだね……。うん、めちゃめちゃついてる」
「えっ、何? わたし、なんか変?」
楓がぺたぺたと自分の顔を触って確かめている。僕は可愛らしく慌てる楓に、
「全然変じゃないよ。こんなに可愛い女の子とデートできるなんて、僕はめちゃめちゃついてるなぁってこと」
頬を熱くしながらキザったらしい台詞を吐いた。
楓はボッと真っ赤なハンドバッグのように頬を染めて、
「――な、なによぅ」
消え入るような声を漏らしてうつむいた。
仕返しは大成功だったが、身を切った攻撃で僕も大ダメージを受けていた。
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