林檎が二人 2/2

「マスターがさ、」


 マスターの力を借りて、先に沈黙を破ったのは僕だった。


「ん? まふたーが?」


 人差し指に零れたみつを舐めとりながら、楓が答える。なまめかしい仕草にどぎまぎする。


「そう。マスターからの伝言。『イヴは元気に出て来いよ』だってさ。この調子じゃ大丈夫そうだね」


「あ、そうだった。光葉、面白い事考えるね? すっごく楽しみ」


 楓はそう言って顔をほころばせた。この反応ならマスターの言った通り、楓は参加してくれるのだろう。胸の内が一瞬で喜びに満たされた。僕は平静をよそおって、


「発案は僕じゃないけどね。千見寺が思いついたんだ。覚えてる?」


「光葉と同じ文芸部の人だよね? 前に帰り道で言ってた」


「そう。阿呆なんだけど憎めない奴なんだ。サンタの恰好かっこうをしてって言うのも、あいつの発案」


 照れくさくてつい千見寺に全責任を負わせてしまった。すまん、義男。


「えっサンタの恰好、するの?」


「うん。楓の分も準備するからどう? マスターは楓が良いなら良いってさ」


 期待と不安が入り混じった視線を送ると、楓は、


「――光葉も着るならいいよ?」


 楓ならそう返してくれるという、確信めいた予感はあった。なので、昨夜は母さんにサンタ衣装のストックを見せてもらい、これなら着てもいいかなというものを確保していた。卑怯かもしれないが、男と女じゃ180度見られ方が違うのだから仕方ない。僕は自信満々に最後のカードを切る――。


「もちろん。僕だけ違う服だと変でしょ? だから楓も、ね?」


「――わかった」


 楓は、諦めたように、でもちょっぴり楽しそうに答えた。


 僕は心の中で大きくガッツポーズをした。


「それで、光葉は何するの?」


「当日は僕もホールに立つよ。客引きと入れ替わりって話だけど。だから、明日は研修として一日『クロワッサン』でウエイターするんだ」


「ふぅん――」


 楓は、悪戯いたずらを思いついたような子供のような目を瞬時に戻して、


「クリスマスパーティも参加していいの?」


 次の懸念事項けねんじこうに対して、喜ばしい回答をくれた。


「いいに決まってるじゃない。文芸部のみんなも紹介するよ。面白い連中だから、楓もきっとすぐに仲良くなれると思うよ」


「――そっかあ。楽しみだなあ。文芸部、かあ」


 楓は遠い目をして呟く。


「楓も本が好きって言ってたもんね。本棚にもたくさん本があるし。たぶん、部長と気が合うんじゃないかな? 見た目と話し方はクールだけど、実は一番女の子っぽいんだ、うちの部長」


 本がみっちり収まっている背の高い本棚に目をやりながら言う。ふと、見覚えのあるタイトルが目についた。


「――あ、あの本」


 間違いない。楓が僕に話しかける切っ掛けになった本だ。でも、少しだけタイトルが違う。


「ん? どうかした?」


「い、いや。知ってる本があったからさ。あの、楓が『私も好き』っていってた本――」


 あの時の事を思い出してしまい、思わず言い淀む。楓ははっとした顔をして、


「ああ、あの小説ね――。そこにあるのは光葉が読んでた小説の続編。借り物だから、最初のやつはもう返しちゃった」


「続きがあったんだ。知らなかったよ」


「良かったら持ってく? 読んでくれたら話題も増えるし」


「又貸しになっちゃうけど、いいの?」


 楓は、「全然大丈夫よ」と笑いながら立ち上がって本棚に向かい、すっと一冊抜き取って僕に「はい」と手渡した。


「返すのはいつでも良いから。じっくり読んでね?」


 楓はクッションに腰を下してまた笑った。


「わかった。ありがとう」


「どういたしまして」


 楓は珈琲をすすった。釣られるように僕も一口すする。すっかり冷えた珈琲は、苦いばかりか酸味が強くなっていた。


「クリスマスが終わったらさ、」


 酸っぱさを吐き出すようにして、僕は勇気を出してもう一歩踏み込んだ。


「初詣も、一緒に行かない? 文芸部のみんなで行こうってなってるんだ。クリスマスパーティも参加する楓なら、みんなも歓迎すると思う」


 相変わらず、珈琲を飲んだばかりなのに口の中はカラカラに乾いていたが、今度はちゃんと楓の目を見て言えた。


 楓はカップから口を離し、眉をピクリと動かして、


「うん、いいよ。初詣も行こっか。ふふっ、忙しい冬休みだね?」


 喜びが体中の穴という穴から噴き出して、今にも飛び上がりそうだった。楓のお母さんが僕を招き入れてくれたことからして、あまりに都合の良い展開が続くので、夢の中ではないだろうかと疑って手の甲をつねった。すごく痛い。


「初詣なら、行きたいところがあるんだけど――」


 続ける楓の言葉に我に返る。


「い、行きたいところ? 実は参拝するところは、もう決まっちゃってるんだ。僕らの学校の近くにある、小さなほこらなんだけど」


「――えっ。もしかして、学校の裏山にある?」


 楓が心底驚いた顔をして僕を見る。


「そうなんだけど――なんで楓が知ってるの?」


 遥は文芸部の内輪ネタと言っていた。知っているような楓の反応に、今度は僕が驚いた。


「なんでって――この辺りじゃちょっとした有名なスポットよ? そこは。誰が言いだしたか分からないけれど、願いが叶うかもって。光葉の口からそんなロマンチックな場所が出て来るとは思わなかったの」


 そう言って楓は楽しそうに笑った。


「ぐっ――。悪かったな、似合わないこと言って。そもそも、そこに行こうって言いだしたのも千見寺だからな」


 今度は本当に千見寺のせいだ。そういえば、千見寺は父親から聞いたと言っていた。ここらの地域では、卒業生によって意外と広がっている話なのかもしれない。


「あら? 千見寺くんって聞いてる話と違ってロマンチストなのね。会うのが楽しみ」


 冗談でも、胸の奥がチクリと痛んだ。


「とにかく、行く場所は決まってるけど、それでもいい?」


 外れかけたレールを強引に戻す。


「いいよ。だって、わたしが行きたいのも同じところだもん」


「え、そうなの?」


 たぶん間抜けな顔をしたと思う。


「うん。だから一緒に行こっ」


 楓は明るい声を出す。


「そっか。じゃあ一緒に行こう」


 照れ隠しに珈琲をすすると、やっぱり苦くて酸っぱかった。でも、気のせいか、ちょっとだけ甘いような気がした。ちょっとだけ。


 途端に、上手くいってほっとしたのか、急に流れ込んできた珈琲に胃が驚いたのか、ぐーと僕のお腹が鳴った。


「ふふっ。もうこんな時間だもんね」


 恥ずかしさをこらえながら時計を見ると、午後八時を過ぎていた。いつの間にか一時間もいたのか、と時間の流れの速さに驚愕きょうがくした。


「長居しちゃったね。そろそろ帰るよ」


 僕はゆっくりと立ち上がった。


「病み上がりなんだから、今日はもう寝なよ? イヴまで長引いちゃったら困る」


 立ち上がりかけた楓を制しながら言った。


「そうだね。そうする」


 楓はぺたんと座りなおして、素直につぶやいた。


「それじゃあ、――次はイヴの日かな」


 僕は口先で突っかかった言葉を何とか吐き出す。


「――うん。楽しみにしてるね」


 楓はコクリと頷いてふわふわな笑顔を見せた。


 僕は楓に笑顔を返してから、背を向けてドアの取っ手に手を掛けた。その背中に「光葉っ」といつかと同じような優し気な声が掛けられた。

 

 振り返ると、


「お見舞いにきてくれて、どうもありがとう」


 掛けられた声は、メイプルシロップのようにトロトロに甘かった。

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