第36話 英雄の帰還Ⅳ

 言葉を発しようと足掻いた。ドーが見詰めるわずかな時間が、ゼンザックにはまるで永遠のように感じられた。

「……ドー様」

 やっとの思いで一言、絞りだすことができた。やっと師の名を呼ぶことができた。

「久しぶりだな、ゼンザック」

 ドーが涼やかな笑みを浮かべる。ゼンザックの前に膝を突き、右足を射留めている光の矢ホーリー・アローをドーの手が握り潰す。砕けた矢はそのまま宙に消えていった。

「夢では……夢では、ないのですね……」

 膝立ちにドーへと相対するゼンザックの頬を、知らぬ間に涙が濡らしていた。

「馬鹿者。泣く奴があるか……」

 ドーはそっと、ゼンザックを抱きとめる。

「すまんな。心配をかけた……」

 耳元でささやくと金色こんじきの瞳を伏せ、胸に抱いたゼンザックの髪をなでる。そして次の瞬間には立ち上がり、拳を握っていた。

「さぁ、話は後だ。先ずはこの炎を何とかせねば……。詠唱に入る、護ってくれ」

 ゼンザックは、強く頷いて涙をぬぐう。そして立ち上がり、長剣ロング・ソードをかまえる。詠唱のため、ドーが舞風刃ウインド・エッジを解く。二人を護っていた無数の風刃ふうじんが霧散すると、再び高熱が肌を焼いた。

 いまや光の矢ホーリー・アローの射手は金獅子のみならず、馬上より十人ほどの聖騎士パラディンが代わる代わる矢を放っていた。次々と飛来する光の矢ホーリー・アローを、ゼンザックは剣を握って薙ぎはらう。

「さて、クラーケン殿まで、巧くしゅが届けばよいが……」

 水の精霊王の名を呼んで、ドーが両手を合わせて腕を伸ばす。その一瞬で集中トランスに入った。大気に満ちるマナが、ドーを中心に渦を巻く。


   水の気よ 風巻しまきよりいで雷雲らいうん

   天に垂れ込み 叢雨むらさめとなれ


   地に注げ 清浄無垢せいじょうむくなる水礫みずつぶて

   邪気をそそいで 土へとかえ


   『篠突く雨クラウド・バースト!』


 詠唱が終わると、一瞬にして暗雲が天空を覆い尽くす。雷鳴が轟いたかと思うと、突如として激しい雨が降りそそいだ。まるで滝のような豪雨に火勢は削がれ、大気から黒煙が洗い流されていく。

「巧くいったようだな……」

 ドーの表情に、安堵の笑みが浮かぶ。

 降りそそぐ雨は塹壕を満たし、あれほど燃え盛っていた火炎も今やくすぶって白煙をあげるばかりだ。その煙すら、激しい雨に洗い流されていく。

 塹壕の手前で前線を形作ろうとしていた聖騎士パラディンたちも、壕へ油樽を投げ込み攻撃の機会を伺っていた騎兵たちも、鎮火に向かうと知ると本隊へと帰っていった。

 塹壕より這い出てたヘレスチップが、ドーの姿に気づいて駆け寄ってくる。

「ドーちゃん!」

 叫んでドーへ飛びつこうとした瞬間、泥濘ぬかるみに足を取られて泥の中に転んだ。

「生きてたニャ! 良かったニャ!」

 泥濘の中を、ヘレスチップが這い寄ってくる。

「ひ、久しいな……ヘレスよ」

 顔をひきつらせて、ドーがヘレスチップの接近を拒む。

「この雨、ドーちゃん降らせたのかニャ?」

「そ、そうだが……」

 泥にまみれたまま脚にまとわりつくヘレスチップを、ドーはあきらめ顔で受け入れていた。泥まみれのヘレスチップを、雨のつぶてが洗い流していく。

「ドーちゃん、力が戻ったんだニャ!」

「あぁ、まだ四割ほどだがな……」

 そう言ってドーは、ヘレスチップへ笑みを向ける。

 次第に雨の勢いが衰え、足早に雲が流れていく。やがて雲の切れ間から、陽の光が覗く。豪雨にひるんでいた王国軍も、雨が止めば動き出すだろう。体勢の立て直しを図らなくては……ゼンザックは、残存の兵力を見積もる。三分の一ほどは、もう兵力として見ることができないだろう。森の兵を呼び戻して、一万二千か、三千か……。

「援軍を呼び寄せる。魔法陣を敷いている時間がない。ヘレス、手伝ってくれ」

「何をすればいいニャ?」

「魔法陣の代わりにガイド打って、座標を安定させてくれ。ワタシは転移ゲート呪文スペルに集中する」

転移ゲートで集中って……いったい何人を転移させるつもりニャ!?」

 並の魔導師メイジであれば、百人の転送がやっとであろう。魔法陣を敷いたとしても、その二倍か、三倍か……。ヘレスチップであっても、それ以上の転送には相当の準備を要する。

「チマチマ送っていたのではらちがあかん! 一気に行くぞ!」

 そう叫ぶとドーは、両手を合わせて集中トランスに入る。慌ててヘレスチップが、塹壕の前の草原にマナを集めてガイドを創る。ガイドの周囲に光の柱が立ち現れる。光は急激にその面積を増し、見る間に草原いっぱいにまで広がった。

 立ち上る光が突如としてその明るさを増す。あまりの眩しさに、ゼンザックは思わず目を閉じた。辺り一面が真っ白に焼き付いたかと思うと、次の瞬間には一万の軍勢が眼前に在った。

「これだけの兵を一瞬で!?」

「で、でたらめニャ……」

 ゼンザックとヘレスチップが、驚きの声を上げる。驚いたのは二人だけではない、自軍から、そして敵軍からも驚きの声が上がりざわめきたっている。

 転送された軍勢を離れ、此方こちらへ向かって三騎の兵が向かってくる。先頭の赤毛の男を見て、ゼンザックは絶句した。

「炎帝よ。言われた通りに兵をそろえたぞ。これで良かったのか?」

 ドーの手前で馬を止めた男は、下馬しながらそう言った。

「上出来だ。ご苦労だったな、バフガー」

 忘れるはずがない。かつて敵として戦った、僧兵団団長バフガー・スターネスだ。

「お、お前、なぜ此処ここに……」

「なんだ、ゼンザックではないか。相変わらず暑苦しい奴だ……」

 お前にだけは言われたくない……そう言い返そうとしたが、バフガーの後に並び立つ二人の女を見て、再びゼンザックは絶句した。

「久しぶりやな、ゼンザック……」

 そう言ってバフガーの後ろで手を振っているのはルベライトとシベライト、双子の暗殺者アサシンだ。

「お、お前たち、ヴォースの街で……」

「ウチらだけと違うで。ヴォースのみんな、全員無事や!」

 ルベライトが指し示す方向を見やると、転送された兵の中に見知った暗殺者アサシンの顔がいくつも在る。そして、僧兵団とおぼしき五十人ほどの集団もそこに在った。

 呆気にとられるゼンザックの隣で、ドーが王国軍を見やり舌打ちをする。

「何をやっとるんだ、あいつは……」

 ドーは大きく息を吸い込み始める。ゼンザックは知っている。これはドーが大声で叫ぶ前兆だ……慌ててゼンザックが両耳をふさぐ。隣で耳をふさぐヘレスチップと目が合い、二人思わず苦笑する。

「くぉら! インディゴ! いつまで遊んどるか!!」

 耳をつんざく突然の咆哮に、バフガーと双子は目を白黒させて驚いていた。

 ドーの叫び声は、二百メートルほど前方に進軍しつつある王国軍まで響き渡った。

 先頭に金獅子トパゾライト・アンドラダイトの姿が見える。軍馬にまたがる金獅子の横で、副官らしき男が下馬して頭を下げている。頭を下げている男、あれはもしかしてマスターではないのか……ゼンザックが気づいた次の瞬間、金獅子の長剣ロング・ソードが横薙ぎに男の首をはねたように見えた。しかし男の姿は既になく、長剣ロング・ソードが虚しく空を切っていた。

「いやー、まいったね。いきなり斬りつけるとか、金獅子の旦那も気が短い……」

 いつの間に現れたのか、王国軍に居たはずのインディゴの姿が隣に在った。懐から煙草を取り出し、紫煙をくゆらせている。

「よぉ、ゼンザック。頑張ってたじゃねぇか」

 再び絶句するゼンザックの肩を、インディゴが叩く。

「いつまで遊んどるんだ、貴様は……」

 呆れたように言い捨てるドーの言葉に、インディゴが薄ら笑いで応える。

「金獅子の参謀にされちゃってさ、身動きとれないのなんのって。でもまぁ、おかげで戦場に出られた……」

 白い煙をはきながら、インディゴが思い出したかのようにバフガーに告げる。

「僧兵団の連中にも話はついてるぞ。団長が居るのなら、此方こちらに付くとさ。意外と人望あるのな……お前」

 インディゴの指差す方向を見やれば、二百五十余騎の僧兵モンクが王国軍の隊列を離れて此方こちらに馬を走らせていた。

 ドーは満足げに頷き、ゼンザックへと向き直る。

「これで兵力は五分と五分だ。さぁ、ゼンザック。指揮をとれ!」

 立て続けに起こる信じがたい出来事に、ゼンザックは呆気にとられていた。

「どうした。怖気おじけづいたのなら代わってやるぞ?」

 そう言って口の端をゆがめるドーに、慌ててゼンザックが言葉を返す。

「馬鹿をおっしゃっては困ります。大きな呪文スペルを使ってお疲れでしょう。休んでくださって結構ですよ」

「お前の皮肉も、久しぶりに聞くと新鮮だな……」

 ドーとゼンザックは顔を見合わせ、互いに苦笑する。

「確かに呪文スペルは打ち止めだ。しかし休むつもりなどないぞ。剣の腕なら、少しばかり覚えがある。りに行こうじゃないか、金獅子を!」

 そう言ってドーは剣を掲げ、王国軍を指し示す。

「えぇ、行きましょう! 王国軍を倒しましょう!」

 ゼンザックの声に応え、皆が騎乗する。

 陣頭に立ち、ゼンザックは馬上から自軍を振り返る。

 インディゴと暗殺者アサシンギルド一千が居る。バフガーと僧兵団三百が居る。いずれも、一騎当千の猛者ばかりだ。ヘレスチップも居る。援軍を合わせ二万を超えるグルーモウンの兵も、再集結を終ようとしている。そして、偉大なる魔導師メイジにして百戦錬磨の将、ドー・グローリーが居る……。

 相手は金獅子が率いる王国軍の精鋭部隊だ。しかしこの布陣であれば五分の勝負が……いや、それ以上の勝負ができるであろう。

 全軍の視線が、ゼンザックへと注がれる。総司令官の号令を、今か今かと待ち構えている。

 大きく息を吸い込み、ゼンザックは天を仰ぐ。あれだけの豪雨を降らせた雨雲は既になく、抜けるような青空が広がっていた。

 蒼天に目を閉じると、万感の思いが去来する。だが今は置いておこう。目の前の敵を打ち倒すことだけを考えよう……。

「全軍、突撃!!」

「応!!」

 ゼンザックの号令に、全軍が気炎を吐く。

 マイカ平原の戦いは今、決着の時を迎えようとしていた。


(つづく)

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