第14話 魔女と暗殺者Ⅱ

 王歴九八二年。ゼンザックはこの年を、決して忘れることはないだろう。十年戦争終結の年にして、公爵であった父が断頭台へ送られた年なのだから。

 騎士同盟内に於ける戦後の粛清しゅくせいで処刑された貴族は、トライアンフ公爵だけではない。もう一つの公爵家であったベイシック家を始めとし、二十を超える侯爵、伯爵、子爵、男爵が、いわれなき罪によって断頭台へ送られた。そして当主のみならず一族のことごとくが処刑され、その人数は二百人とも三百人とも言われている。また後世に憂いを残さぬため、幼子おさなごまでもが刑に処されたという。

 騎士同盟内でもこれだけの粛清が行われたのだから、敗戦国として併合される魔導連合内でどれほどの粛清が行われたのかは想像にかたくない。王政にとって有用な者を除いて大半の貴族がとり潰しとなり、その領地と資産はノウレッジ家に接収された。こうやって戦後の政治体制は、血の粛清の上に打ちたてられたのである。

 ビットレイニアに王家はなく、御三家と呼ばれる三つの公爵家から王が選出されるしきたりであった。しかし二つの公爵家が取り潰されたことにより、ノウレッジ家のみが王位継承権を持つ唯一の公爵家となった。また、ノウレッジ家は騎士団を管轄していたが、トライアンフ家の行政と立法、ベイシック家の司法も加えて管轄することとなった。分立していた政治、司法、軍事の全てを、ノウレッジ家が掌握しょうあくしたのである。


 当時ゼンザックは、五歳になったばかりであった。そして公爵家の第一子として、粛清により命を絶たれる運命にあった。

 しかし、運命は変わった。一族捕縛の命をうけた憲兵が雪崩れ込むより先に、屋敷から少年を連れ出す者がいた。その者はゼンザックの他にもう一人、王都から妊婦を連れ出した。二人を街はずれまで導いて商隊と落ちあい、少年と妊婦を別々の荷馬車へと隠した。一方は旧グルーモウン領内を巡り、もう一方は旧ヴェルペス領内を巡る商隊の荷馬車であった。

 少年を荷馬車に隠す際、連れ出した者はゼンザックへ小袋を握らせてこう言った。

「決して失くさないでください。貴方あなた出自しゅつじを証明する物です」

 小袋の中には、自分の拳ほどもある大きな緑玉エメラルドが入っていた。ゼンザックは以前、父に見せてもらったことがあると思い至った。トライアンフ家に代々伝わる家宝なのだと、そしてビットレイニア三種の神器の一つでもあるのだと聞かされていた。


 少年は何が起こっているのかも判らず、不安だけを抱えながら荷馬車に揺られ続けた。三ヶ月が経った頃、商隊は山間に在るヴォースという街へ到着し、その小さな街で少年は荷馬車から降ろされた。

 商隊からゼンザックを引きとった男は、自らの執務室のソファーに少年を座らせこう言って迎えた。

「ようこそ、暗殺者アサシンギルドへ」

 作り物のような薄ら笑いを、顔に貼りつけてしゃべる男であった。男はこのギルドのマスターだと名のり、おびえるゼンザックに名をたずねた。

「ゼンザック……です」

「名字は?」

「トライアンフ」

「よろしい。では今日から、トライアンフの名は捨てなさい。いいね?」

 男はふところから煙草を取りだすと、マッチで火をつけながらそう言った。

 名を捨てろと言われてどうすれば良いのかわからなかったが、ゼンザックはうなづいた。

「物分かりのいい子だ。お父さんたちは、残念だったね」

「父を! 父のことを知っているのですか!?」

 驚いてソファーから立ち上がるゼンザックへ男は笑顔を貼りつかせたまま、家族全員が処刑されていることを告げた。

「まずは休みなさい。修練を積むのは、気持ちが落ち着いてからでいい」

「修練? 何かを習うのですか?」

「何かをって、ここは暗殺者アサシンギルドだ。暗殺術に決まっている」

 笑顔を貼りつけたまま、男はそうこたえた。


 落ち着いてからで良いとは言われたが、ゼンザックは翌日から修練にはげんだ。打ち込むことがあるということは、ゼンザックにとって大きな救いとなった。修練に励んでいる間だけは、余計なことを考えなくてもすむのだから。

 次期公爵としての地位を失い、不自由なく暮らしていた生活を失い、そして何よりも自分を愛してくれた家族を失なった。なんの前ぶれもなく、ある日突然に……である。

 家族が何をしたというのだ。自分が何をしたというのだ。なぜ家族が殺されなくてはならない。なぜ自分がこんな目にあわなくてはならない……。ゼンザックは、このような理不尽にあらがうすべを知らなかった。だからあらがうことを忘れようとした……修練に没頭することによって。

 しかし時が過ぎ、いつしか家族の仇を討つことがゼンザックの目標になっていた。誰が仇なのかもわからぬままに、目標を達するためさらに修練に励んだ。歳の近い修練者も多く居たが、できるだけ他者と関わることを避けた。孤独に身を置いていないと、仇を憎む気持ちが薄まってしまうように思われたからだ。


 ギルドへ来て三年の月日が流れた頃、ゼンザックはギルドの任務を割り当てられるようになった。仕事の依頼はギルドが取りまとめ、難易度によって所属の暗殺者アサシンに割り当てられる。難易度はS級を頂点に、以下A級からD級まで合計五段階に分けられる。暗殺者アサシンギルドと称するものの、任務の内容は暗殺ばかりではなく要人警護や諜報活動の任務も多い。暗殺が絡む任務は、S級またはA級に仕分けられる。


 ゼンザックが十歳になったとき、初めてA級の任務が割り当てられた。要人暗殺の任務だった。暗殺術を修めたとは言っても、実際に人など殺したことは無い。自分に人を殺すことなど出来るのだろうか……任務を請けた直後は不安に思ったが、ゼンザックのナイフは躊躇ちゅちょすることなく対象の喉笛をかき切っていた。

 何千回、何万回と体に憶え込ませた暗殺術は、考えるよりも早くその目的を果たす。もしかすると着任前に行われる、心理制御が効果を発揮したのかもしれない。返り血で赤く染まった右手を見ても特に感じるところはなく、逆に人を殺しても何も感じない自分に不安をおぼえもしたが、「こんなものか」そうつぶやいて納得することにした。

 やがてゼンザックは、暗殺者アサシンギルドの中でもトップクラスの実力を有するようになった。特に暗器の扱いに関しては、並ぶ者が居なかった。S級の任務ばかりが割り当てられ、ギルドの中でも一目置かれる存在となっていった。


 そして十二歳の春に、特S級の任務を請け負うことになる。隠遁の魔女暗殺の任である。

 暗殺対象は十年戦争で魔導連合を率いた魔女で、名をドー・グローリーと言う。暗殺の依頼は何年も前からギルドがうけていたのだが、潜伏先がようとして知れなかった。しかしようやく潜伏先が判明したため、ついに実行命令がくだったのである。

 情報では十年戦争の終結直前にドーは消息を絶っており、その際に魔力の大半を失っているという。力を失った魔導士メイジの暗殺など、容易過ぎるのではないか……ゼンザックはそう思った。しかし、ギルドが特S級に仕分けている案件なのだ。油断はしないようにと、自らをいましめた。

 出立の前日、ゼンザックはギルドマスターの執務室へ呼ばれた。

「良い目をするようになった……」

 ソファーに身を沈めるゼンザックを見て、男はそう言った。七年前に初めてこのソファーから見あげたときと、同じ薄ら笑いを貼りつかせながら。

いくつになった」

「十二歳です」

「ここの暮らしはどうだ?」

「不満はありません」

「そうか……」

 男は懐から、煙草を取りだして火をつけた。灰皿へと放られたマッチの燃えさしから白い煙が立ち上り、リンが燃える匂いが漂う。

「珍しいですね。出発前に呼び出すなんて」

「珍しい……か。そうだな」

 男はソファーから立ち上がり、窓際から外を見ながらこたえた。

「今回の任務だがな。強いぞ、あの女は」

「力を失った魔導士メイジが……でしょうか?」

「そうだ。あの女は、魔導に頼らずとも強い」

「トップレベルの暗殺者アサシンを持ってしても、勝ちを危ぶむ程に……でしょうか?」

「どうだろうな。お前ならば勝てると踏んでいるが、やってみないとわからん……。できることなら、生きて帰れ。それを言いたくて、ここへ呼んだ」

「善処します」

「それとな……」

 紫煙しえんくゆらせながら、男が言葉を続ける。

「お前が隠し持っている緑玉エメラルド……あれ、持って行け」

「どうして緑玉エメラルドのことを⁉︎」

 感情が表に出ることのないゼンザックであったが、このときばかりは動揺を隠せなかった。暗殺者アサシンギルドに来てから一度たりとも、あの緑玉エメラルドを他人に見せたことはない。それどころか、そんなものを持っていることすら、誰にも話したことが無いのだから。

「いいから持って行け。きっと役に立つ」

 翌朝、ゼンザックは独りヴォースの街を発った。馬上で懐を確かめ、服の上から勝利の緑玉トライアンフ・エメラルドを握りしめる。目指すは、隠遁の魔女が住まう森……ゼンザックの運命がまた、大きく動き出そうとしていた。


(つづく)

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