第9話

「じゃあ、これできょうのホームルームを終わります。掃除当番の人はちゃんと掃除やってから帰ってねぇ」

 六時間目終了後やってきた葉桜は、連絡事項を伝えると、笑顔でいった。

「あ、それから姫華さんはあたしと一緒に来てくれるかな? 刑事さんが待ってます」

 葉桜は瓢一郎に手招きした。瓢一郎はつんと鼻を上に向けつつ、芝居気たっぷりに大げさな動作で葉桜とともに教室を出る。

『なによその嫌味な歩き方? わたくしはそんな歩き方してませんことよ』

 姫華は背中の毛を逆立てながら後を付いてくる。

『誰も変な顔してなかったろ? おまえがいつもこんなふうに歩いているって証拠だ』

『ふん』

「ところで先生。あんな似顔絵が出回ってだいじょうぶなのか?」

 まわりに聞こえないように小声でささやいた。

「あら、ぜんぜん似てないでしょう? 問題ないわよ。っていうかむしろ助かったわ。誰が見たか知らないけど、けっこういい加減なものねえ」

 瓢一郎は必ずしもそうでもないと思った。たしかにあの絵はきつい表情をしているおかげで、いつもにこやかな葉桜とはイメージが一致しない。しかし部分部分を見る限り、それなりに似ているようにも見える。

 なんにしろ、警察はなんだかんだいってけっこう動いているようだ。きっと瓢一郎の写真片手に近所を聞き込みして、目撃者を捜し当てたんだろう。

「そんなことより、あなたはあくまでも姫華さまとして刑事さんの質問に答えるのよ。絶対に間違わないでね。姫華さまが見えなかったはずのものを見たといっちゃだめ。わかってるわよね?」

 もちろん充分にわかっている。そのことはテレパシーで姫華と交信しつつ、授業中にさんざんシミュレーションしたから問題ない。それにいざとなれば姫華からテレパシーで助け船をもらえばいい。

 葉桜は進路相談室の前で立ち止まった。

「ここよ。刑事さんたちが待ってるわ」

 そういうと、がらりとドアを開け、目一杯愛想笑いする。

「お待ちになりました? 花鳥院さんを連れてきました。わたし担任の葉桜といいます」

 おい。いくらあんまり似顔絵が似てないからといって、あんたを探している当の刑事の前に堂々と顔を出していいのか?

 そう突っ込みたいのを我慢し、「なによ、この刑事風情が」とでもいいたげな顔で、椅子に座っていたふたりの刑事を見下ろす。

 若い大男と小柄な爺さんのふたり組だった。

「いやいや、これはご丁寧に。私、警視庁捜査一課の吉田と申します。こっちは同じく五味です」

 ふたりは立ち上がり、吉田と名乗った禿げた老刑事が恐縮そうに挨拶した。

 まあ、吉田というよりヨーダだな。ついでにあっちは五味というよりゴリだ。

「まあまあ、お掛けください。こちらが花鳥院姫華さんです。まだ未成年ですのでわたしが立ち会ってもよろしいですか?」

「ええ、もちろん。ええと……ところで、その猫は?」

「あ、あら、なんでもありませんのよ。ほほほ。しっし」

『おまえ廊下で待ってろ』

『ふん。なにかあっても助けてあげませんことよ』

 姫華はしっぽを立て、顔をツンとそらして廊下へ出て行った。

 刑事たち、そして葉桜が着席したのを見計らって、瓢一郎は大げさな態度で椅子に腰を下ろすと、脚を組み、挑発するような目つきを刑事たちに向ける。

「それでわたくしになにをお聞きになりたいの?」

「あ、あら、すみません。こういう子ですけど、お気になさらないで」

 葉桜が取り繕うように、ぽかんと瓢一郎を見つめる刑事たちにいう。

「あ、いや、姫華さん。まず犯人に心当たりは?」

 吉田が苦笑しつつ質問を開始した。

「そんなものあるはずがございませんわ。おそらく花鳥院家の財産に関することでしょうけど、そういうことはお父様にお聞きになった方がよくわかると思いますわ」

「犯人の特徴は?」

「覆面を被っていたので顔はわかりませんの。目は無表情で冷たい感じ。体つきは小柄でしたが優れた運動能力がありそうでしたわ。うちの学校の男子制服を着ていました」

「小柄といいましたがどれくらい? 肉付きは?」

「背はわたくしよりも小さいくらいでしたわ。体つきはどちらかといえば華奢で、身軽だったのはそのせいでしょう」

「身軽とか、運動能力に優れているといってますが、それはどうしてそう思うんです?」

「剣道の達人の伊集院が手もなくひねられましたもの。それにクラスメイトの柳瓢一郎が犯人と戦いましたけど、そのときの動きとかとても人間のものとは思えない素早さでしたわ」

 そういいつつ、口に手を当てわざとらしく「ほほほほ」と笑う。

「そうそれ。その瓢一郎くんなんですけど、何者なんですか? あなたそうとう目の敵にしていたようですけど」

「何者? ただのつまらない男ですわ。それに目の敵だなんてとんでもない。少し気に入らないだけのことです。それがまわりの取り巻きたちが勝手に過剰反応してちょっかいを出してしまうのですわ。そうなるともうわたくしにも止められませんの」

「ほう?」

 吉田の目つきが一瞬変わった。権力を持った糞生意気な小娘に反感を持ったらしい。

「で、その瓢一郎くんなんですが、犯人を追ってそのまま行方不明。それに関してはなにか知っていますか?」

「さあ? どうして彼がいきなり現れて、命がけでわたくしを助けようとしたのか、さっぱりわかりませんわ。たぶんわたくしに横恋慕なさっていたのでしょう」

『あら、そうだったんですの?』

 いきなり姫華の思考が乱入した。なぜか言葉が弾んでいる。

『そんなわけねえだろう? こうでもいわないと納得しないだろうが、この刑事』

『ふ~ん。じゃあ、本当の理由は?』

『今はそんなことでおまえと議論するつもりはない。邪魔すんな』

「どうかしましたか?」

「あら、なんでもありませんわ。……それで、彼が勇敢にも犯人を追って、行方不明になってしまったのは非常に残念ですわ。ただしその行方に関しては、わたくしが知っているはずもないでしょう?」

『じつはわたくしのことが好きだったんですのね、おほほほほほ』

『やかましい。おまえこそ俺が好きなんじゃないのか? だからちょっかい出したんだろう?』

『……』

 なぜそこで絶句する? 俺が好きだなどと思われるのは、絶句するほど屈辱的なことなのか?

『ば、ばっかじゃないんですの? 誰が……あんたなんか……』

「なんです? まるでこっそり他の誰かに指示を仰いでいるように見えますが、まさか、無線かなんかで誰かの話を聞いているわけじゃないでしょうね?」

 よほど姫華の乱入が心を乱したらしい。吉田が不審げに聞いてくる。

「な、なにをおっしゃるんです。そんなものは身につけておりませんわ。ほら」

 瓢一郎はわざとらしく両側の耳を交互に吉田に見せる。

 もっとも吉田の顔つきはますます猜疑心に満ちていく。

「と、とにかく、犯人の心当たりも、柳くんの行動に関してもわたくしはまったくわかりませんの」

「犯人はいきなり発砲したんですか? それとも撃つ前になにか警告した?」

「いきなりでしたわ。そもそも犯人は一言も口をきいていませんもの」

「つまり、最初からあなたを殺すことが目的だったと?」

「そんなことは犯人に聞いてください。わたくしが知るわけもありませんでしょう?」

 声を荒げ、テーブルをどんと叩いた。べつに激高したわけじゃない。姫華ならやりそうだと思ったからだ。それにいい加減、この取り調べがうっとうしくなり、早く終わって欲しいということもある。

「あの……、まだ彼女退院したばかりですし、この辺でどうでしょうか?」

 葉桜がにこにこ笑いながら、刑事たちを牽制する。

「それもそうですな。聞きたいことはだいたい聞きましたし。またあとでなにか聞くこともあるかもしれませんがそのときはよろしく」

 吉田は表面上はおだやかそうだが、明らかになにかを探ろうとする瞳で瓢一郎を見つめた。

 なんだ? なにを疑ってる? まさか、目の前のお嬢様が偽物だと思ってるわけじゃあるまいし。いや、……そうなのか?

「あ、そうそう。もうひとつ質問を。いっしょに襲われた伊集院君ですが、いつからの付き合いでした?」

 え? 一瞬返答につまった。そんな質問は想定してなかったのだ。

 こいつ本気で俺が偽物かどうか疑って、確認しようとしてる?

『小学校一年生のときですわ』

 姫華の助け船を受け、それを口にする。

「ああ、そうでしたね。ではお大事に」

 瓢一郎が立ち上がりかけると、吉田は不意をついた。

「あ、最後にもうひとつだけ。どこの病院に入院してたんですか?」

「ど、どこって、もちろん花鳥院総合病院ですわ」

「あ、なるほどね。まあ、当然ですね、自分の家で経営しているんですから」

 吉田は謎の笑みを浮かべた。

 とりあえず乗り切ったが、吉田の顔つきを見る限り、疑いが晴れたようには思えない。

 病院の医師には佐久間が話を通しているから、たとえ刑事が聞き込みに行ってもうまく話を合わせてくれるはずだが……。それともなにかミスがあって、ばれたのか?

「ではわたくしはこれで失礼させてもらいますわ」

 瓢一郎はすっくと立ち上がると、長い髪をたなびかせ、すたすたと出口に向かった。これ以上この刑事の前にいたくなかった。なにか見透かされそうな気がして。

 ドアを開けると、少し先をぱたぱとと走り去っていく女生徒がいる。

 陽子だった。

『あの子、どういうつもりか立ち聞きしてましたわよ』

 足下で姫華がツンと顔をそらしつつ心に訴えた。

 どうして陽子が? なにかいやな予感がした。

『姫華、陽子を尾けてくれ』

『なにをおっしゃる気? わたくしはそんな下世話なことはいたしませんわ』

『きっと陽子はなにか知っている。いや、見ている。だから、首を突っ込むんだ。ほっとくとなにかが起きそうな予感がするんだ。頼む』

『……ひとつ貸しですわよ』

 姫華は陽子のあとを追った。

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